第一章 第7話:揺らぐ心と新たな可能性
その日、マリーアの店は朝から忙しかった。季節の変わり目ということもあり、新しい装飾品や日用品を求める客で賑わっている。街の広場では小さな市場が開かれており、周辺の商人たちも活気に満ちた声を響かせていた。ここロルフシュタットは交易路の中継地として知られ、特にこの時期は外からの旅人や商人が増えるため、街全体がいつも以上に賑やかになる。
ルシアンは店のカウンターで帳簿を開きながら、客の動きを観察していた。最近、店の売り上げが上向きになったとはいえ、さらに効率的な経営ができる余地はある。彼の視線はマリーアに向けられた。彼女は笑顔で常連客と話しながら、商品を袋に詰めている。
「マリーア。」
ルシアンが声をかけると、彼女は少し首を傾げながら彼の方に近づいた。
「何か問題でも?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ、帳簿の記録が最近ちょっとずさんじゃないかと思ってね。」
マリーアは驚いた顔をした後、困ったように笑った。
「そんなに厳密にやらなくても、大体の収支が分かればいいんじゃない?今までそれでやってきたし、問題は起きてないわ。」
ルシアンは溜息をつき、帳簿を彼女に見せた。
「それじゃ不十分なんだ。細かい数字を把握していないと、どの商品が売れ筋で、どれが在庫を圧迫しているのか見えてこない。収支の管理が曖昧だと、思わぬタイミングで赤字になることだってある。」
マリーアはルシアンの真剣な表情を見て、少しばかり居心地が悪そうに視線をそらした。
「でも、そんなに細かいことまで考えなくても、商売って回るものじゃないの?」
「確かに短期的にはそれで済むかもしれない。でも長期的には、しっかりとした管理が必要だ。例えば、今後もっと商品を仕入れる量を増やしたり、新しい客層を取り込むための工夫をする時、正確な数字が武器になる。」
彼の言葉にマリーアは考え込むような表情を浮かべた。確かに、最近の売り上げが伸びたのはルシアンの提案があったからだ。彼の言うことには耳を傾ける価値があるかもしれない。
「分かったわ。これからはもっとちゃんと帳簿をつけるようにする。それに、帳簿のつけ方も教えてくれる?」
「もちろんだ。明日、時間を作って一緒にやろう。」
マリーアが微笑むと、ルシアンは心の中で小さく頷いた。彼女が少しずつだが、自分の意見に耳を傾けるようになってきたのを感じた。
昼過ぎ、店に若い男性客が数人入ってきた。その中の一人が目を引くような声で言った。
「やっぱりマリーアさんは可愛いなあ。この街で一番だって噂も本当だな。」
彼らは冗談交じりにマリーアに話しかけ、何とか彼女の気を引こうとしているようだった。マリーアは苦笑しながら対応していたが、どこか困った様子も見えた。
その光景を見ていたルシアンは内心で溜息をついた。
(これも人気商売の一部かもしれないが、彼女にとっては迷惑だろうな。)
彼は適切なタイミングで会話に割り込み、手際よく男性客たちを買い物へと誘導した。彼らは少し物足りなさそうに店を出ていったが、マリーアは安堵の表情を浮かべた。
「ありがとう、ルシアン。ああいうの、正直少し苦手なの。」
「分かるよ。客として来るならいいけど、節度は守ってほしいよな。」
マリーアは微笑みながら、少しだけ頬を赤らめた。
夕方、店が少し落ち着いた頃、ルシアンは新しく入荷した装飾用の大きな鏡を確認していた。その鏡に映った自分の姿を見て、ふと立ち止まる。自分の顔立ちはこの世界の人々とは少し違う。彫りの深い顔立ちと、光沢のある暗褐色の髪、そして冷静な青い瞳。異世界で得たこの体は、前世の自分とはまるで別人のようだ。
(異世界での俺の見た目が、ここでどう映っているのかは分からないけど、少なくともこの店での存在感は悪くないみたいだな。)
そんなことを考えながら、ルシアンは鏡から目を離し、店内の様子に目を向けた。
(次の手を打つ時が来た。これまでの改善で結果を出せたとはいえ、まだまだ成長の余地はある。ロルフシュタットの外の市場も視野に入れるべきかもしれないな。)
ルシアンの瞳には、さらなる発展への意欲と計画が浮かんでいた。マリーアの店は着実に変わり始めている。そして、その変化は二人の関係にも小さな波を立てる兆しを見せていた。
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