第22話 回想
問題は何を伝えるかではなく、何を伝えないかだ。霊感が強いと信じ込ませるだけで、怪しまれずにどこまで荒木警視正と情報を共有するのか。
出勤が遅れることを渡辺に告げ、携帯電話を上衣の内ポケットにしまい込むと、直人の口元からため息が漏れた。やはり昨夜、素直に渡辺のマンションに泊まるべきだったと後悔しても、荒木の迫力のある三白眼で凄まれれば、素直に警察の覆面車に乗り込むしかなかった。まさに昨日の青山涼と同じ状況に陥っている。違うのは、せいぜい得体のしれない尋問役が真横に座っていないぐらいで、要領は同じだ。
「心配することはない。これは非公式の面談だ」
直人の視線に気づいた荒木が応えた。
「これで渡辺君抜きで話ができる。奴は弁も立つし、頭の回転も速くて厄介な漢だ」
「荒木さんは渡辺さんとは長い付き合いがあるのですか?」
前から疑問に感じていた荒木と渡辺の関係を尋ねてみた。渡辺は多くを語らないから、何を考えているのかよく解らない時がある。
「二十年前、奴が起訴されてね。まだ弁護士だった頃の話だ」
荒木の低い声が合図となって、覆面車が走り出した。
「聞いたことがあります」
神崎隆一がコスタリカで事故死した時、渡辺は日本を離れることができず、宗一郎と恵子だけで遺体確認のために中米へと向かった。
「何の容疑だったんですか?」
「本人曰く、正当防衛だったらしいが傷害罪で起訴されてね。検察側が仕組んだのだろう」
「え?」
そのまま言葉を失った。確かに冤罪事件は過去に事例がある。それは捜査側のミスかもしれないし、嫉妬や妬みといった悪意から告訴をする人がいるのかもしれない。しかし検察側が不正に関わってくるとなると、一般人はどう戦えばいいのだろうか。
「奴は裁判中、弁護士を次々とクビにして、最後は自己弁護していたな」
懐かしむように過去を回想する荒木の横顔を、直人は黙って見詰めることしかできなかった。
「箝口令が出ているから詳しくは話せないが、奴は恐ろしいほど事実を追求する強情な漢だ。その卓越した精神力と知識の深さに感動してね、今でもこうして付き合いがある」
「裁判はどうなったんですか?」
箝口令という響きが不気味であったが、直人は夢中で尋ねた。
「棄却された」
荒木は後部座席を振り返ると、声を立てずに笑った。
「──渡辺さんにそんな過去があったなんて……全然知りませんでした」
衝撃的な事件よりも、知らなかったという事実の方がショックで、胃にチクリと痛みが走った。
「だが弁護士としては致命的だった。最高裁まで知らせがいったからな」
そのあと渡辺は弁護士を辞めて私立探偵事務所を立ち上げたという。何の知らせが上まで伝わったのかは教えてくれなかったが、法曹界で目を付けられたのは確かなのだろう。直人が興奮気味に荒木の会話を消化していると、
「さて、昔話は終わりだ。今度は君の番だな」
鋭い三白眼に射られ、一瞬にして現実に引き戻された直人は、ただ面食らうだけであった。なんとか昨夜、渡辺のマンションで打ち合わせをした話に頭を切り替えると、監察医務院で視た黒川和男の残影を怪しまれない程度に要約して語ることにした。
「男がオフィスに来て、首元に触れるとすぐに黒川和男の容態が悪くなりましたので、薬物だと思いました。その後、男がどのように遺体を吊るしたのかはわかりませんが、一人で死体を動かすのは結構大変だと思います」
黒川和男は情報と引き換えに命乞いをしようとした。だが、エリック・ホフマンは交渉を望んでいないと刺客は告げた。渡辺の予想ではエリック・ホフマンはCIA局員とのことだが、そこまでの詳細を荒木に直接告げることは控えた。刺客や逸見教授との会話内容は特に気を遣うよう渡辺から忠告を受けている。
「血液検査からは何も検出されなかったが、首元に突き刺された跡を発見した。プロの仕業だろう。指紋も発見されなかったし、建物内のセキュリティカメラも接続が切られていた」
「──接続が切られていたんですか? カメラの設置場所はどこに?」
「廊下やエントランス、それとエレベーター内だ」
「物理的に切られていたんですか? それとも……」
エリック・ホフマンは警備会社勤務だとパーティーで紹介された。そして一緒にいたクラウディア・フォーゲルは製薬会社勤務だった。
「物理的──ではないようだ」
荒木の苦々しい口調から、遠隔操作だと悟った。
「カメラが切られる前に、誰かが少しでも映り込んでいませんでしたか?」
逸見教授と刺客は入れ違いになっている。もしかしたら廊下ですれ違っているかもしれないが、逸見教授が建物に入るところがカメラに納められている可能性もある。
「年配の男がエレベーターに乗って十一階で降りたのを確認している。だが肝心の顔が映っていない。洒落た帽子を深くかぶり、一度も顔を上げようとしなかったからだが、その妙な用心深さが気にはなっていた……君は何か心当たりがあるのかな?」
凄みのある低い響きに怯みそうになったが、慎重に質問を返した。渡辺からは自然に逸見教授の名前を出すように指示されている。
「黒川和男の通話記録は解析しましたか?」
「捜査中だ」
「逸見寛という名前が出るかもしれません」
「ほう」
荒木が興味を示した。
「黒川和男は都立国際大学の内部に秘密組織のようなものを設立していましたが、逸見寛という教授も関与しているようです」
「そういえば渡辺君に頼まれた電子メール履歴もそんな名前が挙がってたな」
直人は頷くと、渡辺が逸見寛の情報を集めていることを伝えた。
「逸見教授は欧州の金融機関に属するのではないかと考えています」
黒川和男のオフィスでの会話から、逸見教授は欧州のどこかの銀行から送られてきた人物であることがわかっている。まだ確信はないが、銀行が出資しているプロジェクトの監査役として派遣されたのだろう。
「どこかの銀行の犬か」
荒木がふてぶてしく笑った。そう云われると身も蓋もないが、大学機関は偽装身分なはずだ。
「逸見教授と刺客に接点があるかは解りません」
車の窓から外を窺うと、すでに渡辺事務所のビルの近くまで来ていた。
「構わん。その逸見教授という男から糸を手繰り寄せるさ」
荒木の低い声が響いた。
「荒木さん、この辺りで十分です」
いつでも車から降りれることを促すと、荒木の部下が車を道路に寄せるように停めた。
「最後に、君の霊感のことについて聞きたい」
荒木が視線を正面に向けたまま尋ねてきた。
──やっぱり聞いてきたか──
直人は事前に渡辺と打ち合わせたことを反芻しながら、飛び出てくるであろう質問に身構えた。
「君は故人と交信できるのか?」
拍子抜けした質問であったが、直人は丁重に否定した。
「いえ、できません。故人の生前の短い映像が頭の中に浮かぶだけです」
よくよく考えれば大した能力ではないとさえ思うときがある。単に死者の記憶を五分程度覗き見るだけで、過去を変えることも、死者を生き返らせることもできない。
「そうか──」
荒木の短い呟きに、直人は後部座席のドアを開けようとしていた手を止めた。
「三年前に亡くなった女房に伝えたいことがあったんだが──」
荒木は振り返らず、まるで独り言のように話を続けた。
「もしそのようなことが可能なら、──ワシは元気にやっているから、心配するなと伝えてほしい」
「──はい」
心を締め付けられるような思いに駆られたが、伝言を預かることで気休めになるのであれば、それだけでも相手の心が救われるのかもしれない。もし本当に故人と交信できる能力があるのなら、二十年前に事故死した父親に尋ねるだろう。何のために独りで中米に行ったのかと!
礼を述べて車から降りると、すでに午前十時を回っていた。直人は走り去る覆面車を見詰めながら、四年前に授かったこの中途半端な能力のことに思いを巡らした。
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