第19話 帰途
東京行きの新幹線に乗り込むと、直人は窓際の指定席に座った。
「それにしてもすごい話でしたね。通過儀礼があるなんて映画みたいです」
青山涼から得た情報を頭の中で整理しながら、窓の外に広がる暗闇を眺めた。混雑を避けて夜に那須を発ったから、東京に着くのは夜の十一時ごろになる。
「よくある話だ。まあ、階級を示すのにトランプカードを用いたのは興味深かったな」
渡辺は周囲に気を配ると、直人の隣に腰を下ろした。
「青山君はハートのジャックでしたっけ」
「ハートは聖職者だが、秋を表すカードでもある」
「じゃあ黒川和男はスペードのエースですか?」
渡辺は暫く考え込んでいたが、
「危険だな。黒川和男は消される可能性がある」
声のトーンを落とした。
直人は監察医務院での出来事を思い浮かべると、記憶のない死体について思いを巡らせた。すると突如、渡辺が話題を振ってきた。
「そうだ、例の〝記憶のない死体〟の詳細を聞きたかったんだ」
「忙しくて全然報告できていませんでしたね」
直人は近くの席に乗客がいないことを確認すると、監察医務院で視た三体の遺体の記憶にアクセスできなかったことを順序良く説明した。
「つまり命の結晶は細々と灯されていたが、三体とも何も映っていなかったってことか」
「はい。それにアクセスすると普通は五分ぐらい残影を覗くことができますが、数十秒ぐらいで空間から弾き出されたんです」
「初めてのことだったのだろう?」
直人は頷くと、
「三日過ぎれば命の結晶が消えて残影は映りません。でもこの三体は死亡してから三日以内ですし、眉間に視える光は弱々しくもまだ灯されていました。あとは──」
何かを思い出したように、話が途切れた。
「どうした?」
「いえ、記憶が映らなかった時が過去にもありましたが、今回のケースは当てはまりません」
「なんだ、初めてじゃないのか。どんなケースだ?」
「遺体が棺に入ってた時です」
「は? なんだそれは」
渡辺が面食らったように尋ねた。
「渡辺さんに提案されて色々試行錯誤したんです。憶えていませんか?」
四年前に死を体験した時、通常の人間の八百倍という尋常ではない量のエンドルフィンが分泌されたことによって直人は奇跡的に死の淵から蘇ったが、死者の記憶にアクセスをするという特殊能力を得た。遺体の眉間に映る灯火のような光に触れれば、魂が共鳴して別の
「初めて視たのは母さんの死ぬ間際の残影でしたが、そのあと色々試してみたんです」
「ああ、だがそのまま続けていれば、精神が崩壊しそうで危なかったと思うぞ」
「まあ、死者の記憶を覗くというのは、その人の死を五感で体験することなので……」
死といっても色々な死因がある。死者との共鳴を何度も繰り返して精神を危うくした直人を救ったのは渡辺である。
「でも、残影を覗けてもその人の心情はわかりません。口に出した言葉なら聞き取れますが、その人が死期に何を思ったのかは……わかりません」
だから神崎恵子が死期に何を思ったのか直人にはわからない。
「それでいい。死者にだってプライバシーがあるさ」
渡辺は静かに応えた。
「もちろんです。僕は……理不尽な死であれば、それを知ってあげることはその人にとって鎮魂になると思ったんです」
直人は苦笑いを浮かべると、そのまま話を続けた。
「色々試しました。この特殊能力を知る必要もあったので。それでわかったことは、死後三日経過すると命の結晶は遺体から消えること。残影は五分ぐらいしか覗けないけど、こちらの空間では数秒しか経過していないこと。そして棺に入った遺体は死後三日以内でも残影が視れないことです」
「命の結晶も視れないってことか?」
「そうです。遺体が棺に入っていると命の結晶も残影も視れません」
「見ざる、聞かざる、言わざるか、興味深いな」
独り言のような渡辺の呟きであった。
「何ですか?」
「いや、単なる独り言だ」
渡辺は微笑んだが、直人の右眼が赤味を帯び始めた。
「生きている人間の命の結晶も、右眼のピントを合わせれば視れます」
「今、俺のを視てるのか?」
「大丈夫です。渡辺さんのは力強く輝いています」
そう云うと、互いに笑いを交わした。
「世の中には直人以外にも、何らかの能力を持つ者が存在するのかもしれないな」
急に考え込むような表情で、渡辺は一点を見詰めた。
「そうであれば、黒川和男の近くにいる可能性が大きいですね。プロジェクト・エムの関係者でしょうか?」
「人間も外国に送っているようだし、何か実験でもやっているのかもしれないな」
手に余る事件だと、渡辺はため息をついた。
「まあ、黒川和男を逮捕するのは荒木さんの役割だ。トップが捕まれば組織は瓦解するだろう」
直人は頷くと、黒川和男が変死しないよう心の中で祈った。
「あとは、青山涼を逸見教授から引き離す必要があるな」
「逸見教授は何者なんですか?」
「欧州から送られてきた博士のようだが、大学内では割と影響力があるみたいだ」
渡辺は平岡の報告を振り返った。
「やはり逸見教授がジョーカーですかね」
直人が独り言のように呟くと、渡辺が視線を向けた。
「ジョーカーは二枚ある」
「あ、確かに」
トランプにはジョーカーが二枚入っている。五十二枚のカードは一年の週数だが、そこに一週間の単位である七日を掛ければ三百六十四日。ジョーカーを足せば一年の日数になる。ジョーカーにスペアがあるのは閏年があるからだ。
渡辺は顎を撫でながら話を続けた。
「ジョーカーは外部から派遣された人間を指していると思うが──」
言葉を遮るように携帯の通知音が鳴り、渡辺は上衣の内ポケットに手を伸ばした。
「外国組織の人間の可能性が高いかもな」
通知音の相手を確認し、無言でメッセージに眼を通していたが、小さな舌打ちが聞こえた。
「どうしたんですか?」
直人は驚いて横に座る渡辺を見た。渡辺は短く返信すると、携帯を内ポケットにしまった。
「黒川和男が首を吊ったらしい」
「えっ?」
思わず声が上がってしまい、辺りを見廻したが、幸い乗客はほとんどいない。直人は声のトーンを下げ、聞き直した。
「荒木さんからですか?」
「ああ、すでに死後二、三日経過しているみたいだ」
「視れるか瀬戸際ですね。遺体は今どこに?」
「港区から監察医務院に搬送されている」
「本当に自殺なのか、視させてください」
真剣な眼で渡辺を見詰めた。
「東京駅から直行するぞ。荒木さんが待っている」
渡辺の言葉が不吉な響きを残した。
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