第16話 霊園にて

 日曜日の朝は、すべてがゆったりと動いている感覚に陥る。


 ビルに囲まれた都会とは一線を引くような静寂な霊園に足を踏み入れれば、ほんの四か月前までは葉桜に包まれていた空間も、今では赤や黄色に彩られている。周囲に気を配りながらも墓地に続く石畳を歩き、奥に進んでいくと、やがて上品なジャケットに身を包んだ男の姿が視界に入る。渡辺は音も立てずに近づくと、声をかけた。


「今週末だろ? ワシントンでの金融会合」


 橘宗一郎は渡辺叡治とは対照的に背は低く華奢だが、どことなく上品な雰囲気を漂わせる男である。


「おまじないだよ。日本を離れるときはいつも恵子に会いに行くんだ」

 宗一郎は微笑みながら恵子の眠る墓に眼を向けた。


 神崎恵子は二十年前に中米で事故死した夫の神崎隆一の墓には入らず、宗一郎の独断により橘家の墓に入っている。その事実を直人はどう捉えているのだろうかと、渡辺は時々考えることがある。


「ロマンチストだな」

 渡辺は笑ったが、

「叡治君の方がロマンチストだと思うよ」

 宗一郎はそう云うと、ため息を溢した。

「何だ? 予想外の結果だったか?」

 渡辺は笑いを残しながらも辺りの気配を窺った。

十和子とわこさんにも報告書を読ませたよ。困ったねぇ、そんな危険なクラブが相手とは」

「なんで奥さんにそんな報告書読ませたんだ?」

 渋い表情で宗一郎を睨んだ。

「婦人クラブを通して十和子さんと青山夫人は交流があるからねぇ」

「なるほど。それで青山夫妻の件を優先させろと電話してきたのか」

「ふふふ。まあ、私も十和子さんに押し付けられた身だけどね」

 面白そうに笑う宗一郎を横に、渡辺は話を続けることにした。


「明日、青山夫妻に結果報告する予定だが、果たして息子さんがすんなりクラブを退会できるのか不明だ」

「私は水曜日に出発するから、青山さんの説得は叡治君に任せるよ。十和子さんも賛成しているし」

「いや、待て。説得までは依頼に入ってないだろ?」

 渡辺の眉が上がったが、

「叡治君は面倒見がいいから十和子さんも喜んでるよ」

 宗一郎の表情が無邪気に綻んだ。


「じゃあ、一つ頼みがある」

 渡辺は気を取り直すと、宗一郎が持つ金融ネットワークを頼ることにした。

「逸見寛博士の情報が、欧州で引っ掛からないか探ってくれないか?」

「金融方面から?」

「そうだ」

「いいよ」


 宗一郎は理由も聞かず、二つ返事で引き受けた。そこには高校時代から築き上げてきた信頼関係がある。


「退会できないのなら、できるように仕向ければいいさ」

 独り言のように呟くと、渡辺の眼が鋭く光った。


「叡治君、朝食はもう済んだ?」

 宗一郎が何気に尋ねた。

「いや、俺は朝はコーヒーだけだ」

「一緒に朝食はどうだい?」

「……コーヒーぐらいなら付き合うぞ」

 宗一郎の温かい眼差しには逆らえなかった。


「海外に出たら何が起きるかわからないからねぇ。叡治君との朝食が最後にならない事を祈るよ、ふっふっふっ」 


 宗一郎は含みのある笑い方をすると、待たせてある黒塗りの車へと渡辺を案内した。

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