真理襲来

「兄様! よくぞ御無事で!!」


「真理か! 久しぶりだな!」


 美濃遠山みのとおやま領を全て喰らい尽くし、俺達はようやく高山たかやま城へと帰還する。皆に労いの言葉を掛け終え、祝勝会が始まるまでのんびりしていた所、一人の少女の乱入が大きく空気を変えた。


 名は木曽 真理。以前の名は武田 真理となる。三年前に数え六歳で信濃木曽しなのきそ家へと嫁いだ俺の腹違いの妹だ。戦国時代ならではの露骨な政略結婚である。


 そんな妹が木曽谷の地から俺の戦勝祝いに駆け付けてくれる。こんな嬉しい事はない。少し見ない内に大きく、そして綺麗になったものだ。


 久々の妹との再会につい頬が緩む。真理も俺と会えたのが嬉しかったのか、小走りに近付いてきて、


 パンッ


 俺の頬に平手打ちを喰らわせた。


「痛ってー。再会の挨拶がこれかよ。何するんだ」


「兄様、真理はとても心配をしたのですよ。二年前に木曽谷から近い東濃にやって来たというのに、真理に会いに来ない所か文一つ寄越さない。ようやく念願の文が届いたと思ったら、『戦をするから義昌よしまさ様に援軍を出すよう頼んで欲しい』と無茶なお願いをしてくる」


「あっ、そう言えばそうだった。悪い」


 妹の真理との関係は良好だ。というより他の兄や姉との年齢が離れ過ぎていたり、嫁いだり、死亡したり等々で疎遠であったために、比較的年齢も近い俺が仲良くなったのが実状である。


 俺は早くから高遠諏訪家を継ぐのが決まっていても、日々の勉学や鍛錬以外に特に何かをする必要が無かったからか、時間だけはあった。その空いた時間で様々な実験を行うだけでなく、真理ともよく遊んでいた。幾ら俺が庶子として疎まれていても、小さな子供にはそんな事情は関係無い。それよりも一緒に遊んでくれるかどうか。こちらの方が重要となる。


 たった三年前までの出来事とは言え、今では随分と懐かしく感じる。


「しかも此度の戦は、高遠諏訪家が滅亡するかもしれない危うき戦だったそうじゃないですか。もしかしたら戦場で兄様が命を落とすんじゃないかと。柿ぷりんが食べられなくなるんじゃないかと。だから必死で義昌様に援軍を出して頂くようお願いしたのです。そんな頑張った妹に対して素っ気なく『久しぶり』はないでしょう。あっ、文と一緒に室住もろずみ 様が持ってきた『くっきー』なる物はとても美味しかったです」


「そうだったな。真理の頑張りで信濃木曽家が動いた。戦にも勝利できた。感謝している」


 そんな仲の良い妹を約三年程ほったらかして、都合の良い時だけ利用する。怒るのも無理はない。


「ふんっ。そんな言葉一つで真理は納得しませんから。本当に感謝しているなら、行動で示してください」


「いや、行動で示せと言われても、一体何をすれば……」


「良いから兄様はそこに座る!」


「はいはい、分かりましたよ。って、真理さんや。どうして俺の膝の上に座るんだ?」


 俺が床に座るのを確認した途端、真理は何の迷いもなく昔のように膝の上に背を向けてちょこんと座る。それだけではなく、当然のように体重を預けてきた。


「そんな事も分からないのですか? 良いですか兄様、真理を甘やかすのです。それも目一杯。兄様と会えなくて、兄様からの菓子を食べられなくなって、寂しさに震えていた真理を満足させるのが今の兄様の役割です」


「いやいや、真理はもう木曽 義昌殿に嫁いでいるんだぞ。俺ではなく、木曽殿に構ってもらえば良いじゃないか」


「だから兄様は駄目なのです。良いですか。義昌様の前では、真理は信濃木曽家当主の正室として振る舞わなければならないのです。ですが、兄様の場合は違います。真理は妹として兄様に甘やかされて良いのです。この違いを理解してください」


 加えて何というトンデモ理論。三年の月日は真理を大人へと変えていたようだ。


「木曽殿、こんな事を言ってますが良いのですか?」


「四郎殿には申し訳ないが、真理の我儘を聞いてはもらえぬであろうか? 何と言っても真理はまだ九歳。未だ親や兄に甘えたい年頃であろうに。しかし、このような真理は初めて見たな」


「ふふん。義昌様もこう言ってますよ。さあ兄様、観念をするのです」


「はいはい、分かりましたよ。それで、昔のように本を読み聞かせるので良いか?」


「それだけでは足りません。真理はとても良い子にしていたから、きちんと頭も撫でるのです。これはとても大事ですよ」


 泣く子と地頭には勝てぬとは言うが、遅れて部屋に入って来た木曽 義昌殿も真理の態度に苦笑する始末。まあ、仕方ない。戦国の世のならいで真理はずっと木曽の地で寂しい思いをしてきたのだ。しかも夫である木曽 義昌殿は俺より六歳年上の一九歳である。一〇歳も年齢が離れていれば、幼い真理では気後れもしよう。それでも弱音を吐かず、ずっと気丈に振る舞っていたのだから、大したものだ。


 だからこそ、時には羽を休めたいのだろう。昔のように触れ合うだけでそれができるのなら、お安い御用である。


「そう言えば兄様、室住様からお話を聞きましたよ。真理に黙って、兄様はこの地で美味しい物を色々食べているとか」


「いや、何かの勘違いだろう」


「分かりました。なら、その勘違いを正さなければなりませんね。これからはちょくちょく遊びに来るので、楽しみにしておいてください」


 ただ、その羽を休める時は、今日だけでは終わらないようだ。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 祝勝会を無事終わらせた俺は、皆と戦後処理を話し合っていた。


 特に大事なのが論功行賞となる。これに付いては一位が義弟の木曽 義昌殿、二位が秋山親子となった。ただ、二位となった秋山親子は、この順位を喜ばない。それ所か自分達は一切敵と槍を合わせていない。二位は過大評価だと反発をする。


 しかしながら、今回の戦に於いて品野城の敵の動きを封じたのは値千金の活躍だ。この軍勢が東濃もしくは岩倉城に駆け付けていれば、俺達は負けを喫していた可能性が高い。勿論勝利を決定づけたのは信濃木曽家の軍勢ではあるが、負けとならない状況を作り出したのは秋山親子の働きとなる。それを評価するのは武家の当主として当然。こう説得すると、親子は不承不承ながらも納得せざるを得なかった。


 戦は派手な勝ちにばかり目が行きがちだが、本当に大事な点は如何に負けない状況を作り出すかにある。これに勝るものない。


「という訳で秋山親子の俸禄は大幅に増やすから、甲斐の領地を返上して残してきた家人も全て東濃に移住させてくれ。あっ、勿論屋敷を建てる土地は支給する。以後は高遠諏訪家のために一層励んでくれないか?」


「四郎様、武家に対して領地を返上しろとは酷ではないですかな。ですがここ東濃に来てから、甲斐の領地を綺麗さっぱり忘れていたのもまた事実。今の生活の方が甲斐かい時代よりも遥かに楽ですからな。分かりました。四郎様のお話を受けましょう」


 当家の家臣は多くが甲斐国の領地管理を家人に任せ、単身赴任のような形で仕えてくれている。この歪な状況は改めなければならないと考えていた。勿論当家から出す俸禄では生活が成り立たないのなら話は別であるが、実際は逆。領地から得られる税が無くとも俸禄で十分にやっていける。中には逆に甲斐にいる家族に送金する家臣までいるという話だ。


 俺が東濃の地へとやって来て三年が近い。左遷当時は城一つ、寂れた城下町一つであったのが、今では勢力も大きく拡大。町には賑わいが訪れている。ならば、家臣達を当家で完全に囲い込むには良い時期であろう。


 その手始めとして、俺の最側近の秋山親子を甲斐国から切り離す。こうすれば、甲斐武田たけだ家の重臣達も余計な手出しができなくなるというもの。美濃遠山家の領地を全て併呑した当家は、広さだけなら甲斐武田家内でも上位となる。大領の甲斐穴山かいあなやま家や甲斐小山田かいおやまだ家に匹敵する形となった。それを面白くないと感じる者は、甲斐武田家中に多くいるに違いない。


 だからこその囲い込み。これによって家臣を守り、俺の命を守るという訳だ。その反面、一層重臣達との対決姿勢が鮮明となるが、これは元々どうにもならないと考えている。


「秋山親子だけではなく、甲斐の土地を返上して東濃に一家で移住しても良いと考える者がいれば申し出てくれよ。返上した分は俸禄を増やすからな。正直な所、また領地が増えて人手が足りなくなった。一人でも多く東濃にやって来て欲しい」


 それともう一点が領地の急拡大による人手不足。人は畑では穫れない。どこの馬の骨とも分からない者をほいほいと雇う訳にもいかない。そうなると手近な所から確保する。基本中の基本であった。


「四郎殿、そういう話でしたら、是非我が弟 義豊よしとよを高遠諏訪家に迎え入れてくれないだろうか?」


「木曽殿、どうされました突然? 勿論歓迎致しますが、何か事情がありそうですね。良かったらお話し頂けないでしょうか?」


 そんな中、今回の戦での一番の功労者とも言える義弟 木曽 義昌殿より、自身の弟を当家に推挙する話が飛び出す。


 武家に於いて一族は最も頼りとなる家臣だ。山ばかりとは言え広大な信濃木曽領を治めるには、一族の力は必要である。何も赤字経営だから弟をリストラしたいという訳ではない。信濃木曽領は檜や馬を基幹産業として十分に潤っている地だ。この時代の木材は文字通り金の生る木であるのだから、食料生産が少なくとも飢える心配はまず無い。どちらかと言えば、信濃木曽家は裕福な部類に入ると思われる。


 だがそれが、仇となった。


 具体的には木曽 義昌殿の父親含む親族や重臣の一部が甲斐国で人質生活を送り、尚且つ甲斐武田家から監査役の名目で木曽谷に出向してきた者達がいるという。名目は監査だが、その実態は信濃木曽家の経営を掌握していると言っても過言ではない。当主 木曽 義昌殿の存在は、半ば傀儡化されていた。


 なるほど。こうした事情だから、今回の戦で信濃木曽家の動きが鈍かった訳だ。また、今回の戦の報酬に苗木なえぎ城が欲しいと言い出さなかったのも、監査役にあれこれ言われたくなかったからであろう。


 こうした事情を知ると話が見えてくる。要は甲斐武田家の監査役にとって、木曽 義昌殿の弟である上松 義豊あげまつ よしとよ殿は政敵という訳だ。上松 義豊殿が信濃木曽家の経営に参画すれば、自分達の思い通りの予算が組めなくなる。


 ただ、当の上松 義豊殿は自身の行動で信濃木曽家を潰したくないらしく、一族として強権を振るう事無く、上松家に養子入りして領地で大人しくしているという。そうした配慮をしていても、甲斐武田家の監査役は上松 義豊殿を信用しておらず、時折動向を伺いに来るのだとか。


「確かにそんな生活が続いていれば、気が滅入るのは当然かと。分かりました。監査役も東濃まではやって来ないでしょう。上松 義豊殿は当家で迎え入れましょう」


「四郎殿、感謝致す」


「それはそれとして、監査役の行き過ぎた行動は問題ですね。木曽谷の木材が重要だと認識されているのは分かりますし、防衛拠点としても重要なのは分かります。ですが隣接していた美濃遠山家は、事実上滅亡しました。残った明智遠山家も、先に当家に降伏しましたからね。そうなると現在の木曽谷の役割は、飛騨国への備えのみです。防衛拠点としての重要度は低下していると言って良いでしょう」


「確かに四郎殿の言う通りですな」


「分かりました。私が武田 晴信様に嘆願してみます。人質の返還は難しいでしょうが、せめて監査役の人数を減らしてもらえるようにと」


「四郎殿、誠ですか」


「可能なら、監査役は全員を甲斐に帰したい所です。ですが、人数が減るだけでも効果はあると考えます。後、こういうのはどうでしょうか? 当家から財務に強い人物を派遣するというものです。とは言え、派遣するのは臨済宗の僧ですがね」


「それにどういう意味があるのでしょうか?」


「本来の監査ですね。予算の妥当性を検証させます。これで甲斐武田家からの監査役は、好き勝手できなくなると思いますよ」


「監査には監査で対抗という訳ですな。是非そのご厚意に甘えさせて頂きます」


 こういうのを飴と鞭と言うのだろう。真理が嫁いだ家だから、俺は信濃木曽家は優遇されているものだと勝手に考えていた。しかしながら実態はその逆。武田 晴信様は信濃木曽家をかなり警戒していたと今日初めて知る。


 警戒の理由に美濃遠山家があったのは分かる。ここと信濃木曽家が手を組んで謀反を起こすのを恐れていたのだろう。美濃遠山家が信用ならない勢力だというのは、俺も既に経験済みである。


 だがそうした事情があったにしろ、今のやり方が度を超えているのは間違いない。この状況が続けば甲斐武田家から心は離れ、有事の際には離反されてしまう。予算は掛かるが信濃木曽家への対応は、軍勢の駐留で事足りる。それができなくとも、当家は既に木曽谷から近い苗木なえぎ城を手中に収めているのだ。ここに軍勢を置けば、信濃木曽家への牽制の役割は果たせるというもの。


 この路線で父上には嘆願をしておくとしよう。


 とは言え、信濃木曽家への過剰な仕置きが、当家との距離を近づけたのもまた事実。いやこれまでは、美濃遠山家が物理的にも心理的にも両家の邪魔をしていたとする方が正しいかもしれない。


 何にせよ今後を考えると、信濃木曽家を当家の味方に付けるかどうかで美濃国侵攻の難度は大きく変わる。


 そうなれば、真理がちょくちょく遊びに来るのは歓迎すべきだ。秋には是非、柿プリンを食べに来てもらおう。


 胃袋を掴む。古来より使い古された手ではあるが、それだけに有効なのは間違いない。



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補足

 

真竜院 ─ 武田 信玄の三女で木曽 義昌の正室。真理姫と呼ばれていた。1550年生まれ。1555年に信濃木曽家は甲斐武田家に降伏。木曽の地を重く見た武田 信玄は、真理姫を木曽 義昌の正室とし、親族衆に加えた。

1582年、木曽 義昌が織田家に寝返ると離別して三男と共に木曽山中に隠れ住んだと言われている。1647年に98歳で死去。武田 信玄の子供の中では最長命であった。


木曽 義昌 ─ 武田視点で見ると甲州征伐の切っ掛けを作った裏切り者の印象が強い人物。ただ、この時は既に高天神城の戦いで敗北していたため、甲斐武田家の巻き返しは難しかったと思われる。

正室の武田 信玄の三女 真理姫とは一〇歳の年齢が離れた年の差婚。

甲斐武田家を裏切り、本能寺の変後の信濃国の混乱も乗り切ったが、徳川 家康の関東移封の影響で木曽谷から去る結末となる。木曽谷はこの当時、戦略物資とも言える木材の宝庫。木曽の地は現代目線で見てはいけない土地である。

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