異名と自称

 美濃遠山みのとおやま領の併呑は、高遠諏訪家にとって大きな転機になったと言って良い。


 まず第一に、背後を警戒する必要がなくなった。東濃に面倒な味方はもういない。それにより、今後は美濃斎藤みのさいとう家、もしくは織田弾正忠おだだんじょうのじょう家との抗争に集中できる。ようやく当家の足場が定まった。


 それだけではない。副次的な効果となるが、当家の注目度が増した。そう思えるのは、仕官希望者がついに現れたからである。まだぽつぽつとは言え、数ある勢力の中から高遠諏訪家を選んでくれる。何ともありがたい限りだ。


 信濃しなの伊那いな郡の松尾まつお小笠原おがさわら家が、嫡男の小笠原 信嶺おがさわら のぶみね殿を是非家臣として召し抱えて欲しいと送り込んできたのも、その延長線であろう。本来なら甲斐武田家へ人質に送られる筈だったのを、急遽取り止めたという話だ。


 信濃国出身の者達は甲斐武田家内では扱いが良くない。ならばと成長著しい当家で出世の道を探る。高遠諏訪家の勢力圏がここまで大きくなってしまえば、当主の出自など最早関係無いと言いたげだ。求めるのは実利のみ。そう考えるとしっくりくる。


 更には甲斐武田かいたけだ家にも良い顔をするため、次男を人質として送るのも忘れない。何とも強かな話である。


 また、保科 正直ほしな まさなおの父親 保科 正俊ほしな まさとしが一家総出で東濃へ移住してきたのも、当家が大きくなった影響であろう。以前の城一つだった頃と違い、人が増えてきた。それも新参の者達が。当家第一の家臣を自負する保科 正直は、この変化に危機感を覚えたのではなかろうか。


 保科の名を家中で空気にさせない。存在感を増す。そう考えたかどうかまでは分からないが、信濃国の領地を返上させてまで一家全員を呼び寄せるのは並大抵の覚悟ではない。最悪の場合は戦による討ち死にで、お家断絶もあり得る危険な賭けだ。よくぞ決断してくれたと感謝する。


 だからこそ、俺はその意気に応えたい。魚心あれば水心。しかも保科 正俊が「槍弾正」の異名を持つ強者なら尚更だ。慣れない東濃で不便な生活を送る事がないようにと俸禄は十分に出す。こうした配慮が武家の当主の役割と言えるだろう。


 なお、保科 正俊の暇乞いがすんなり受け入れられたのは、新たな仕官先が当家だからであった。越後長尾家のような敵対勢力へ鞍替えするなら認められなかっただろう。こういう時、父 武田 晴信様は子煩悩だと感じる。


 さて置き、こうした有名人の加入によって、反応する者がいる所が世の中の面白い所だ。しかもそれは信濃国ではなく、東濃で起こる。意外な結果である。


 一体何が起きたか? 具体的には可児郡かにぐん久々利くくり城主の久々利 頼興くくり よりおき殿が、当家の傘下に入りたいと打診してきた。


 久々利の地は交通の要衝である。東濃に於いては兼山かねやま湊を抱える鳥峰とりみね城と並ぶ重要拠点と言って良い。そんな重要拠点なら、通常は風見鶏のようにコロコロと所属勢力を変えるような節操の無い者には任せられない。ならば久々利 頼興殿の決断の背景には、新生美濃斎藤家の内部事情が大きく関わっていると予想される。


 その辺が知りたくて、久々利 頼興殿には高山城まで来てもらった。


「意外だなあ。郡上ぐじょうを支配下に置いたりと順調そうに見えていたのに、裏ではこうなっていたのか」


 久々利 頼興殿により語られた新生美濃斎藤の内情。簡単に言えば、側近六人による専横となる。それに留まらず、この側近六人の中には、当主交代劇の最大の協力者 長井 道利ながい みちとし殿の名が無い。これだけでも、新政権が如何に歪であるかが分かるというもの。


 この人事の意味は分かる。要は長井 道利殿を新政権の幹部に据えれば、功績を鼻にかけてやりたい放題する可能性を考慮した結果だ。但しこれには続きがある。それは側近六人が新生美濃斎藤の実権を得るために。つまりは派閥争いの成れの果ての人事である。政権交代時には良くある話だ。


 これが新生美濃斎藤家の実態ならば、政権基盤の定まっていない斎藤 高政さいとう たかまさ殿では家臣の統制は取れていないと見た方が良い。結果として動員可能な兵力は多くないと予想される。


 せめてもの幸いは、内乱にまで至っていない点であろうか。織田弾正忠おだだんじょうのじょう家という明確な外敵がいるからこそ、内輪揉めをせずに崩壊一歩手前で留まっている。


 とは言えこれが、久々利 頼興殿の一番の不満な点だとか。


 六人衆達は兵も銭も出さない。口だけは出す。織田弾正忠家との小競り合いには、六人衆を除いた家臣が軍事負担をしているという話だ。当然ながら斎藤 高政殿からの慰労金は出ない。 


 お陰で現在の美濃国は、一部を除き斎藤 道三さいとう どうざん殿が当主の時代よりも疲弊しているのだとか。新政権が復興を謳っていても、六人衆との繋がりがある大店の御用商人数名が取引と利益を独占する。中小の商家は商売あがったり。市中には銭が回らない。トリクルダウンは起きない。これでは全てが絵に描いた餅であろう。


「失敗をする軍事政権の典型だな」


 結局の所、美濃斎藤家の当主交代劇は、前当主 斎藤 道三殿を嫌って起こしたものだった。それに尽きる。もっと言えば斎藤 高政殿への忠義は無い。単なる神輿だったという訳だ。これでは新当主の元に家臣達が一致団結をする。そんな未来が訪れる筈はない。


 だからと言って自身に近しい者だけを重用すれば、もっと事態が悪くなるのが分からないのだろうか? 必要なのは馴れ合いではない。まだ当家のように家臣達に生活の保障をしていれば違った形になったろうに。


 しかしながら、これは当家にとっては願ったり叶ったりの展開ではある。


 そしてようやく分かった。最近東濃に一向門徒を中心とした移住者が増えていた理由が。これまでは単純に空誓くうせい効果と東濃の好景気によるものだと考えていたが、それだけではなかったとなる。むしろ今回判明した事実の方が深刻であろう。当家で保護しているほり殿一行は美濃斎藤領からの移住者だけに、この辺りの事情にも詳しいかもしれない。今度聞いてみるつもりだ。


「ですので、このままでは我等は暮らしができなくなります。そうなる前に諏訪様の庇護を受けようと決断をしました」


「事情は理解した。ただ当家の傘下に入れば、今度は元主家の美濃斎藤家と争う形となるぞ。それでも良いのか? あっ、勿論、しっかりと働ければ報酬は出す」


「お任せくだされ。この悪五郎、その名に恥じぬ活躍を披露致しましょうぞ」


「そう、その悪五郎の名に俺は興味があってな。どのくらい強いんだ? 実力を見たい」


 久々利 頼興。通称 「悪五郎」。この時代の悪は邪悪の悪ではない。強いという意味で使われる場合が多い。


 それだけにとても気になる。何故自称なのかと。保科 正俊の「槍弾正」ように異名として「悪五郎」と呼ばれているならまだ分かる。そうした異名ではなく、自分から強いと名乗る。誰もが悪五郎を異名と認識しない。なら、本当の実力はどうなのかと。


 これが久々利 頼興殿に高山城まで来てもらったもう一つの理由でもあった。


宗貞むねさだ、準備をしろ!」


「はっ、相手にとって不足無し。全力で参りまする」


 木刀を引っさげ、当家一の武芸者 安倍 宗貞あべ むねさだが立ち上がる。久々利 頼興殿がどこまで食い下がるかとても楽しみだ。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「またこれかよ。期待外れも良い所だな」


 やはり自称は自称でしかなかった。久々利 頼興殿はあっさりと安倍 宗貞に一本取られる。まるで歯が立たなかった。


「力が入り過ぎですな」


「正俊もそう思うか。俺も同じ考えだ。結果、動きにキレがなくなり、動き自体が遅くなる」


「さすがは四郎様。良く見ている」


「ただ、俺が分かるのは体の使い方までだがな。得物の扱いはさっぱり分からん」


 久々利 頼興殿は体も大きく筋肉質な体格をしている。鍛えている分、力はあるのだろう。しかしながら、力があるのとそれをどう使うかはまた別の話だ。力に振り回されているようでは、名のある将には勝てない。敵に打ち勝つには、持っている力を正しく使う必要がある。力任せに得物を振り回して勝てるのは、雑兵位のものだ。


 その後、念のため保科 正直や服部 正成はっとり まさなりにも相手をさせるが、久々利 頼興殿はどちらにも惨敗。良い所無しで立ち合いを終える。


「久々利殿、そんな体たらくでは悪五郎の名が泣くぞ」


「わ、儂を笑いものにするつもりで今日ここへ呼んだのか!」


「最初に言ったろう。『実力が見たい』と。ただ、この程度でへそを曲げているようでは、大した実力じゃないな。当家には必要無い。城に戻って戦準備を始めてくれ」


「よう言うた! ならばいつでも久々利の地に攻めて来られよ! 矢の雨を馳走してくれるわ!」


「それは良いが勝てるのか? 今日のこのザマで。こちらはそれが分かった上で一騎打ちを提案するからな。受ければ良い所も無しに負け。断ればお笑い悪五郎として兵達に大合唱させる。これでまともな戦になると思うなよ」


「くっ……何と卑劣な」


「確か悪五郎の名は、先祖代々受け継いできたんだよな。なら、当代でそれを終わらせるのは御先祖様に申し訳が立たないんじゃないか?」


「何が言いたい」


「いや何、精進次第だが当家の家臣になれば、真の悪五郎にしてやろうと思ってな。但し領地は没収。俸禄での雇われとなってもらう」


「代々受け継いだ城や領地を手放せと言うのか!」


「だからお笑い悪五郎なんだよ。片手間で強くなれると思うな。全てを捨てて一からやり直す覚悟が無ければ、今の悪五郎は張子の虎だ。城や領地は、強さを手に入れてから持てば良いだけだ。真の悪五郎になりたくはないのか」


「……なりたい。儂は真の悪五郎になりたい。誰もが憧れる強さを手に入れたい!」


「そのためには全てを捨てられるか?」


「儂は良いが、家族や一族・郎党はどうなるのだ? 皆が路頭に迷わぬよう面倒は見てくれるのか?」


「勿論だ。家族も含め久々利党全員の面倒は当家で見る……と言うより、久々利党全員で悪五郎になれ。そうすれば悪五郎の名は、世に轟く」


「その言葉に嘘は無いな。なら、やってやる。儂を名ばかりの悪五郎と蔑んだ奴等を見返してやる!!」


 歴史と伝統。それを守るのはとても大事ではあるが、時として担う者には重しとなる場合もある。きっと初代悪五郎は、物凄く強かったのだろう。だが時を経て次の代、また次の代へと名が受け継がれると形骸化し、誰もが悪五郎と認めなくなった。当代の悪五郎はその事実にずっと悩まされ続けていたのだと思われる。


 もし久々利 頼興が自身の強さに自信を持っていたなら、寄らば大樹の陰とばかりに当家を頼ろうとはしなかった筈。きっと新生美濃斎藤家のやり方に一人でも抗議をし、気骨を見せていた。それすらできずに自己保身に邁進する。それが最善だと自分に言い聞かせながら。


 ただそれでも、心の何処かには強さへの憧れが残っていた。売り言葉に買い言葉のような喧嘩腰の説得ではあったものの、それが思った以上に大きかったのが今回の決め手になったと言える。


 うん、こういう馬鹿は大好きだ。願わくば、この思いをずっと忘れないでいてもらいたい。


「鍛錬は厳しいが、絶対に投げ出すなよ。強くなれ。期待している。……という訳で、久々利党は昌輝まさてるが鍛えてやってくれ。それと今日からは平井ひらいの家を継いで平井 昌輝ひらい まさてると名乗るように」


「その話は断ろう。俺は管矢くだやと須嵐虞流でもっと武芸を極めたい」


「却下だ却下。昌輝には一武芸者として終わって欲しくない。将として、兵を率いる立場になって欲しい。兄上や弟を超えたいんだろ? だから平井 昌輝になれ。いずれは万の兵を率いる大将になってもらうぞ」


「……随分と大きく出たな。だが、悪くない。分かった。その申し出を受けよう。悪五郎の名だけではなく、俺の名もここ東濃から轟かせてみせる」


「期待しているぞ」


 こうして俺はびた一文も使わず、舌先三寸のみで東濃の重要拠点と家臣を手に入れる。とは言え、騙したつもりはない。久々利 頼興が強くなった暁には存分に活躍してもらうつもりだ。


 素材は良い。後はどう味付けするか。平井 昌輝の元で久々利党を精鋭の弓部隊にするのも捨てがたいが、悪太郎を恐怖の名とする切り込み隊とするのも面白そうである。


 五年後がとても楽しみだ。



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補足

 

久々利 頼興 ─ 土岐氏の庶流。元々は斎藤 道三の猶子 斎藤 正義の家臣。だが騙し討ちによって斎藤 正義を殺害。それだけではなく烏峰城をも落城させた。しかしながら、その後に何の罰も受けなかった所を見ると、この暗殺は斎藤 道三からの依頼の可能性が考えられる。

また、1565年に織田家が東濃に進出してくると、周囲の国人衆達と共に織田家に従属。更に1582年に本能寺の変が起こると周囲の国人衆達と共に織田家から離脱する。その後、暗殺より逃げ延びた森 長可に暗殺され生涯を閉じる。久々利 頼興を暗殺した人物は自身が暗殺した斎藤 正義の孫と言われている。

悪五郎を通称としているが、実際は長い物に巻かれる性格。

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