試練の時

「ですので四郎殿には養子を取ってもらい隠居。東濃で余生を送ってもらうのが最も望ましいと思われます。当然ながら不当に奪った領地は返還させるのが筋ですな」


「何を言うか。事の発端は岩村遠山いわむらとおやま家の暴走ぞ。互いがやり過ぎたのだから、元の状態に戻し、両家を和睦させるのが何よりであろう。東濃事情も知らぬのに必要以上に介入しようとするな!」


「えっと……その……」


 弘治こうじ三年 (一五五七年) 五月、俺は甲斐国府中に久々の里帰りをしていた。ただ里帰りとは言っても、父上や兄上達に元気な姿を見せるようなそんなほのぼのとしたものではない。当然ながら、俺の東濃での活躍を褒め称えるものでもない。むしろ俺の活躍を暴走と切って捨て、詰問するべく呼び出されたものだ。裁判に出廷するような感覚であろう。


 しかもそれを越後長尾えちごながお家との前哨戦が始まっている最中に行うのだから驚きである。まだ本格的な両軍の激突にはなっていないため甲斐に戻る時間があるのは分かるが、どうしてここまで俺の行動が注目されているのかが分からない。


 東濃は甲斐武田家の防衛線から外に外れた地域だ。優先順位は低い筈。それなら目の前の脅威、つまりは第三次 川中島の戦いを終わらせてからでも俺を呼び出した方が良かったのではないかというのが正直な所である。


 そんな良く分からない状況の中、里帰りという名の軍法会議に出た俺であるが、のっけから当事者である俺を差し置いて重臣代表の 飯富 兵部おぶ ひょうぶと御一門衆筆頭の武田 信繁たけだ のぶしげ様が激しくぶつかり合う始末。俺は完全に蚊帳の外に置かれてしまった。


 俺がここにいる意味はあるのだろうか。


 改めておさらいをしておこう。今回の議題は甲斐武田家傘下にある美濃遠山みのとおやま家から、鶴ヶ城と明知あけち城を不当に奪った俺をどうするかというものだ。岩村遠山家は高遠諏訪家との直接対決をせず、甲斐武田かいたけだ家に処罰して欲しいと陳情する形で反撃をしてきた。こうも早く事態の収拾に動いたのは、相当な額の賄賂がばら撒かれたからだと想像される。


 目的を領地の返還とするなら、兵を揃えて力で取り戻すよりも、賄賂を贈って甲斐武田家を動かす方が遥かにお得だと言いたげだ。


 その目論見は恐らく成功している。飯富 兵部と武田 信繁様の両者はどちらも領地の返還を主張していた。違うのは俺を隠居させるか高遠諏訪家と岩村遠山家を和睦させるかという諸条件のみ。これを機に俺を失脚させようとしているか、何も無かった事にしようとするかの違いとも言える。


 それにしても飯富 兵部が俺に隠居を突き付けてくるとはな。このままでは高遠諏訪家が大きな力を持つ。それを未然に防ぎ尚且つ後顧の憂いを断つ。自らの保身のために、当主の息子さえも排除しようする姿勢は恐れ入るばかりである。


 とは言え、俺はどちらの意見にも従うつもりは無い。


「止めよ二人共! その辺にしておけ。まずは当事者の四郎の話を聞く方が先決であろう。岩村遠山家からは自分達には非が無いにも関わらず、二つの城を攻め落とされて領地を奪われたと訴えが来ておるが相違無いか?」


 単なる言い争いが続く不毛な状況に業を煮やしたのか、ここで甲斐武田家当主である父 武田 晴信たけだ はるのぶ様からの待ったが掛かる。その甲斐あってかようやく二人は沈黙。ついに俺の出番が回ってきた。


 さあ、ここからが正念場だ。


「ん? 気のせいか」 


 口を開く前に今一度辺りを見渡すと、右の御一門衆、左の重臣達が俺に対して厳しい眼を向けているのとは違い、ただ一人中央に座る父 武田 晴信様だけはそれを感じさせなかった。表情自体は厳しい。だが俺を問い詰めるというよりは試しているとでも言った方が良いのか。まるで俺がどんな回答をするのか見定めようとしているかのように見えてしまった。


 もしかしたら父上は、俺に何かを期待しているのだろうか?


 いや、考えても仕方がない。もう既に劇は開幕したのだ。ならば主役である俺は観客を楽しませる。それに徹するしかない。


「その前に御屋形様には聞いて頂きたい話があります。この度の東濃での一件は、甲斐武田家の同盟国である駿河今川するがいまがわ家と密接に関わっているという点です」


「何を世迷言を! 駿河今川家は関係無いであろう!! 今は岩村遠山家の話だ!」


「それではこれを」


 飯富 兵部が話に割って入ってくるが、それを無視して懐から一通の書状を取り出し、武田 晴信様の近習に手渡す。


美濃みの国の南に位置する三河みかわ国では、今内乱が起きているのは御存じでしょうか? その内乱の切っ掛けに、岩村遠山家は深く関わっておりました。内乱自体は鎮圧に向かっているという話ですが、岩村遠山家は甲斐武田家傘下の勢力のため、駿河今川家は必要以上に手出しできません。私の今回の行動は、駿河今川家への支援の一環であった。その証拠がお渡しした書状となります」


 三河忩劇そうげきという大規模な内乱がある。発端は天文二四年 (一五五五年)の九月に三河すずき家が岩村遠山家や明知あけち遠山家等と共に、三河国を統治する駿河今川家に対して挙兵したものであった。それ自体は駿河今川家に撃退されたのだが、実は遠山の連中は誰一人として戦後の責任を果たしていない。


 ──何故ならこの時既に、美濃遠山家は甲斐武田家の傘下であったからだ。


 駿河今川家は同盟国である甲斐武田家に遠慮して、内乱に加担した責任を追及できなかった。


 この事実から分かる通り、美濃遠山家は駿河今川家と敵対している。しかも甲斐武田家傘下に入っている今でもその方針は何ら変わっていない。


 越後長尾家との血で血を洗う抗争が続いている甲斐武田家で、このような同盟国との関係を悪化させる勢力を野放しにして良いだろうか。いや無い。


「ほぉ。今川殿からの感状と来たか。つまり此度の四郎の行動は私利私欲ではないと」


「二年前の敗戦に懲りて岩村遠山家が大人しくなってくれていたなら、私は何もしなかったでしょう。ですがそうはなりませんでした。しかも昨年、甲斐武田家の力によって惣領の座を維持できたにも関わらずです。今後駿河今川家に迷惑を掛けないためにも、ひいては甲斐武田家が駿河今川家との良好な関係を維持するためにも、美濃遠山家の力を削ぐのは当然の行動です」


「という事は明知城の攻略は?」


「はい。ご推察の通り、三河国への道を塞ぐためのものです。これで岩村遠山家は、二度と三河に兵を出せなくなりました。明智遠山家は当家に降ったため、もう二度と駿河今川家とは事を構えられません」


「詭弁だ!! 一体幾ら銭を積んだ!」


「兵部、うるさいぞ! 今儂は四郎と話をしておるのだ。口を閉じろ」


 そう、飯富 兵部の言う通り、俺の言い分は詭弁である。三河忩劇を利用して、自らの行動を正当化したに過ぎない。


 だが感状は本物だ。明知城を落とした後、俺は急いで駿河武田家当主 武田 信友たけだ のぶとも殿と連絡を取り、今川 義元いまがわ よしもと様に感状を発行してもらうよう依頼した。賄賂を添えて。


 笑ったのは、俺の依頼を今川 義元様が快く了承してくれた点であろう。どうやら今川 義元様も、美濃遠山家に対して何らかの処罰を望んていたようだ。そのため感状には俺の行動を褒め称えるだけではなく、接収した領地を高遠諏訪家の物にして良いとまで書く大盤振る舞いの内容となる。


 いや、自らが領地を与える訳ではないため、何も考えずに書いたと理解する方が正しいだろう。


「もうこれでお分かりかと思われますが、全ての責は岩村遠山家にあります。ですので、私には何の非もありません。駿河今川家との良好な同盟関係を維持するためにも、今回接収した領地は高遠諏訪家が管理するのが最も望ましいと思われます」


 しかも甲斐武田家は現在、越後長尾家との争いの最中である。先の川中島の戦いでは、駿河今川家の仲介によって和睦が成立したのは記憶に新しい。この前例を考えれば、今ここで機嫌を取っておいて損はあるまい。


「なかなか言いおる」


「それだけではありません。接収した領地を高遠諏訪家の物とすれば、今後は甲斐武田家に大きな利があります」


「続けよ」


「ではこれを」


 そう言って懐からもう一つの書状を取り出し、今一度近習に渡す。


「四郎よ。これは?」


「はっ。高遠諏訪家が甲斐武田家から購入する産物の目録です。甲斐武田家は民よりこれ等の産物を買い取り、利益を乗せて高遠諏訪家に販売する。これにより甲斐武田家は税以外の収入が確保できます」


 渡したのは目録だ。大豆や梅、石灰といった穀物を除いた様々な欲しい物を記載してある。当然ながら量も含めて。


 甲斐武田家に期待をするのは問屋の役割となる。本来であれば当家が生産者から直接買い付けるのが望ましい。だがそれでは、多くの時間や手間が必要なるため現実的ではない。


 だからこその物資の集積と窓口の一本化。これにより当家は必要な物を気軽に手に入れられる形となる。


「提案はとても魅力的ではあるが、そう簡単にこの量は揃えられないぞ。穀物が入っていないとは言え、無理にでも掻き集めれば今度は民が飢えよう。それはどうするのだ?」


「ご安心ください。目録に記載した量は、将来のものです。いずれはこの量を欲しいという意味での。御屋形様にはこの量を目処として民に生産を奨励するなり、採掘を行って頂ければ大丈夫です。要するにこの量までは、全量当家で買い取るという意図となります」


「そういう意味か。あい分かった」 


 甲斐武田家中で俺に無条件で味方してくれる人物はほぼいない。父である武田 晴信様や叔父の武田 信繁様ですら、重臣達の顔色を窺わなければならない状況なのだ。そのため今回のような詰問の場では、正攻法は絶対に通らないと覚悟していた。


 ならどうすれば良いか?


 それがこの答えである。足りない権威は外から借りる。数字を示して大まかな利益を予想させる。例え後付けの屁理屈であったとしても、ここまで辻褄が合えば破綻している箇所は簡単には見つけられない。結果、ぐうの音も出ない重臣達は更に俺をきつく睨みつけるしかできなくなった。


 叔父の武田 信繁様は呆れ果てた表情をしているが、今は無視しておく。後日釈明の書状を送るつもりだ。


「では、今回の東濃での一件はお咎め無し。領地も高遠諏訪家が領有する。これで宜しいですね」


 静まり返った評定の間に、トドメの一言が響き渡る。最早誰も反論しようとはしない。それをすれば駿河今川家を蔑ろにし、甲斐武田家を蔑ろにするからだ。これで俺の勝利は間違いない。そう感じた瞬間、父 武田 晴信様の口角が少し上がり、感情を押し殺した声で俺に待ったを掛けた。


「いや、これではまだ足りぬな」


「えっ……」


 その後は俺の反応を見て急に笑顔になる。


 続いて出た言葉は、


「考えてもみよ。四郎は儂の子なのだぞ。だというのに東濃に行ったきり、これまで一度も甲斐に戻って来ようともしない。久々の再会がこのような場では侘しかろうて」


「えっ……」


「それに儂はまだ四郎の嫁の顔も見ていない」


「それはつまり」


「皆まで言わすな。時には儂に元気な顔を見せろ。それと浅葱殿も甲斐に連れてくるのだ。これができないのであれば、高遠諏訪家の領地は没収しなければならぬな」


 およそこの詰問の場にはそぐわない父としてのものであった。予想外の展開に俺は狼狽え、悪戯が成功したとばかり父はにニヤリとする。つまり俺はよくぞこの試練を乗り越えたと父から合格をもらったという訳だ。本当、心臓に悪い。


 だが、こういうのは嫌いではない。


「御屋形様、横暴ですよ。ですが分かりました。ちょくちょくは無理ですが、最低でも正月には甲斐に戻ります」


「うむ。それで良い。後、土産は忘れるなよ」


「はっ、ははっ……」


 これまでは陰から守られるだけの存在であったが今は違う。今日俺は、初めて父から認められたような気がした。

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