君の結晶

サバの塩焼き

第1話

部屋の中は凍てついたように静かだ。薄暗い照明の中で、時計の針が時を刻む音だけが聞こえる。ソファの上には、みなみが最後に使ったブランケットが無造作に置かれている。冷たい空気が肌を刺すような気がして、渉は肩をすくめた。


テーブルの上には、二人で一緒に選んだ雑誌が開かれたままだ。君が気に入っていたページには、小さな付箋が貼られている。インテリア特集の中で、君が「これ、いいね」と笑った声が耳に残っている。


渉はため息をつきながら、壁際に立つ棚に目をやる。そこには二人で選んだ小物たちが並んでいた。小さなサボテンの鉢、淡い色合いのフォトフレーム、そして一緒に撮った写真。写真の中の二人は幸せそうに微笑んでいる。


その視線の先に、ポーチが見えた。君がいつも使っていた化粧道具が入っている。無意識のうちに手を伸ばし、ポーチの中を覗く。すると、目に飛び込んできたのは赤い口紅だった。


君が初めてつけて見せてくれた時のことを思い出す。

「どう? 似合うかな?」

少し恥ずかしそうに微笑む君の顔が、鮮明に蘇る。


渉は口紅を手に取り、じっと見つめた。捨てるべきか、それとも残しておくべきか。手の中で重く感じるその小さな物体が、まるで君そのもののように思えた。


彼女との記憶が次々と蘇る。最後に玄関先で交わした言い争い。感情が高ぶってお互いにぶつけ合った言葉の数々。その直後、泣きながら飛び出していった君の背中が、今も目に焼き付いている。


「あの時、言いすぎたな……」

渉は胸の内でつぶやいた。


でも、今さら何を思っても、君はもういない。この部屋には、君の残したものだけが静かに存在している。


再びテーブルの上に視線を戻すと、リモコンが目に入る。ふと、二人で見ていたドラマの最終回が放送されていることを思い出した。君はどこかで今も見ているのだろうか。渉は意を決してテレビをつけ、その最終回を再生する。画面の中の主人公が、君の姿と重なって見えた。


「やっぱり、似ているよな……」

画面の向こうに君を見出しながら、渉はかすかに微笑んだ。しかし、笑顔はすぐに消えた。


記憶はまるで呪いのように、渉の心を縛りつけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君の結晶 サバの塩焼き @sabanoshioyaki3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る