2-4 竜公主

 春香さんと出会って私の知らない武陽の街を沢山一緒に巡り、そうして家につくや否や眠りこけてしまった。一夜明けるともう春香さんの姿は無かった。代わりに随分とお酒を召した様子の清春様の姿があって、私が起き出す少し前に家を後にされた事を伝えてくれた。

 清春様がいらっしゃることにも驚きがあるのだけれども、先日の桜の怪異から賜ったお酒の他に、清春様の秘蔵のお酒やお台所の料理酒まで空けてしまわれた様子で、徹夜でこれだけの量のお酒を嗜まれるなんてあの細い体の何処に仕舞われたのだろうと不思議で仕方がなかった。


 それからの2,3日。清春様がお屋敷に滞在されることになり、初めての共同生活となった。今までずっと1人で留守を預かっていただけだから、とても緊張があったのだけれど。清春様は深酔いがまだ残っている様子でずっと具合が悪くいらした。

 言い訳のように。


「義姉さんめ……」


 と虚ろに呟かれていて。春香さんの蟒蛇っぷりが際立つのだった。

 

 清春様のそんな様子に、あまり煩くしても迷惑と思っていたけれど結局じっと待っている事が出来なくて。濃いお味噌汁だとかお漬物だとかお粥だとか、酔い冷ましに良いものを作って枕元に運ぶと、こちらが恐縮するくらいにお礼を言われてしまった。

 初めてお役に立てた。そんな嬉しさが込み上げてくる。

 そんな恩にあぐらをかきたい訳ではないのだけれど、ここに居てもいいと許されたような気がするのだった。


 そうして清春様の体調が万全に戻られると。私達は春香さんから任された仕事に取り掛かることになった。

 仕事の内容はとある地域の、その土地を代表するような大きな河川の上流にあるお社にお参りを行う、というもの。

 そんなことでいいのかと拍子抜けする私をよそに、清春様は鴉宮からの仕事は実はそんな仕事ばかりなのだと苦笑を浮かべられる。先日の季節外れの桜が、あまりにも異例なことだったとも、付け加えられて。


 

 目的の土地までは、何日もかかる旅程だった。

 初日こそは馬車に乗せていただいたものの、道が狭く険しくなった翌日からは籠に代わり、そうして最終日には徒歩で山登りをすることになった。高尾の山くらいしか山登りの経験が無い私は、少し進む度に息を切らしてしまい座り込んでしまう始末で。そんな私に清春様は「大丈夫ですよ」とか「もう少しですよ」とかお言葉をくれるのだけれど。内心、足手まといだな、と思っているに違いなくて。それでも、差し出してくれる手とか、岩肌を登るときには体に手を添えてくださったりとか、休む度に水筒を差し出してくれるのだとか。そういう心遣いにいちいち感心をした。

 旅の荷物の他に社に供える貢物を一人で担いで、私の荷物のほとんどを担がせてしまって。大変なはずなのに、顔にも態度にも出さない。

 先日の怪異事件の時に、細やかな気遣いをくれたのも単に清春様が素敵な方なのだということを、改めて思い知るのだった。

 

 高い山の中腹から広がる景色に心を奪われたり、春になったとはいえまだ冷たい山の空気に少し寒気を覚えたりしながら、私達は目的地である、川のずっと上流にへとたどり着いていた。

 上流とだけ聞いていたけれど。実際は滝だった。見上げるほどの高さから、轟音を立てながら雪解け水がなだれ込む。滝壺の傍に鳥居があって、鳥居を潜った先に、年季の入ったしめ縄が飾られた大きな磐座が祀られていた。

 

 滝から零れ落ちて霧雨の様になった水を浴び、滝壺に叩きつけられるけたたましい音と白波が轟く中、磐座へと向かう。

 清春様は必要な事以外口を開かれない寡黙な方だけれども、それでも私が退屈しないようだったり、要所要所では説明や解説がてら口を開いて下さるのだけれども。この滝壺に近づくにつれ口数は減り、今は小さな声すらあげようとなさらない。

 まるで厳かな神事に望まれるみたいに、鳥居の奥の、磐座の隣の小さな祠にお参りをなさっている。


 こういう場所、自然の草花が豊かな場所に来ると、私の眼は妖や妖精といった類のものをよく写す。

 実際山に入った時から、たびたび人ならざるものの気配を感じていたのだけれど。清春様の傍にいると不思議と妖の方から離れていくようで、この滝に近づいてからはまったくそういう類の気配はなかった。

 あの季節外れの桜の怪異だけが例外で、霊刀を佩く清春様の傍なら安全と春香さんが太鼓判を押してくれたの本当の様で。

 なんて清しい場所だろうと油断もあったのもいけなかった。

 

 しめ縄がされた磐座の上に一人の女性が佇んでいた。こちらを、ぱちくりと眼を見開いた様子で見つめている。とっさの事で視えていないフリも出来ず、完全に眼と眼が合ってしまっていた。


 

 彼女は美しいヒトだった。

 黒髪に、透き通るような白い肌に、平安の頃の十二単よりも古い時代の衣裳を身に纏っている。その衣裳がどうにもほとんど素肌をさらしているようなあられもない姿なのに、本人は何も恥じらう様子はなく、それどころか神聖な雰囲気すら漂っている。

 どこか大陸の雰囲気を思わせる薄く透明な羽衣が彼女の傍で風にそよいでいる。

 まるで絵物語に見る天女の様。

 思わずそこに本当に人が居るのではと思う確かな存在感がありながら、神々しい、そんな清らかな在り方が人ではないことを如実に顕している。何よりその額から珊瑚の様な艷やかな角が伸びていて、彼女が異形の存在であることを教えてくれた。

 そうして、ただただ見惚れている私に、くすりと彼女が笑ってみせた。

 人差し指を唇の前に立て、いたずらっ娘の様に目を細めながら。


 水面に何かが強く叩きつけられる音が響いた。思わず身を竦めるような轟音に清春様が驚いた様子でいる。轟音は高く水を舞い上がらせて、小さな祠に身を屈めてお参りしていた清春様を思いっきりに水で濡らした。

 とっさに後ずさった私は難を逃れたけれど。清春様は水を被ったまま無言でいらっしゃる。

 そんな様子をけらけらと、妖の女性がお腹を抱えて笑っている。


「……舞香さん」

「は、はい」

「そこに、ナニカいますか?」

「えぇ、あぁ、はい。まぁ一応……」


 声音に怒気はなく、けれどもその静謐な様に確かに怒りが感じられて。無言のままに、刀の柄に手をかけられた。


「清春様。流石にそれは……」

「そうよそうよ。仕舞いなさいよ」


 磐座の上にいた筈の女性が、いつの間にか私の背中に隠れるように清春様を覗き込んでいる。びくりと私が驚いてしまって、私の向けた視線の向きに、清春様が刀に手をかけたまま視線だけを向ける。


「あら、貴女。私が視えるだけじゃなくて言葉も理解るのね。あの子に剣を抜くのを止めるように言って。物騒なのは嫌いなの」


 鈴を振るような澄んだ声。先日桜の怪異に怖い目に遭ったばかりというのに、いつまでも聞いていたいような涼やかな声。おまけに白檀にほんの少し白桃の香りを加えたような、甘くて穏やかな香りも漂っている。

 ふと気を抜けば意識が揺らいでしまいそうになるのを、頭を振って払う。


「……私達に危害を加えるつもりはありませんね?」

「ちょっとした悪戯じゃない。ここに人の子が来るなんて滅多にないことだから、ちょっとはしゃいでしまっただけよ」

「…………」


 その言葉に全て頷いてしまってもいいものかと思うけれど。私を盾にするのは、清春様の刀に警戒心を抱いているからなのは本当のようで、もし何か危害を加えるのであればとっくにやっているだろうし、春香さんが先の桜の怪異のようなことにはならない、とはっきり仰っていたのも思い出す。

 肩を持つ、訳ではないのだけれど。

 目を鋭くしていつでも刀を抜ける体勢でいる清春様に言葉をかける。


「危害を加える気は無いそうです。刀から手を離して欲しいと言っています」


 私の言葉に、渋々といった様子で清春様が従って下さる。清春様の右手が柄から離れると、ふーっと彼女が息を吐く。


「なかなか上手く躾けているのね」

「清春様はそういうんじゃありません」


 思わずそんな言葉を返している。姿も言葉も聞こえない清春様は少し不思議がられた後、妖に言ったのだと理解してくれた。彼女は私の叱責に動じることもなく、楽しげに笑い顔を浮かべている。

 妖に対して、どうしてかそんな態度を取っている。

 外見と雰囲気だけならずっと年上の女性の様に見えるのに。何だか年下の少女と相対しているような、童女に振り回されているような感覚がある。


「それで此処に何の用かしら。そいつをけしかけるというのなら、ただじゃ済まないけど」


 彼女は随分と清春様を警戒している様子だった。初対面時に悪戯をしかけ今も笑顔を浮かべているけれど、目の奥は笑っていない。

 踏み入れてはいけない、そんな危ない気配がうっすらと漂う。


「鴉宮からの使いです。今日はこの地の主に供物をお持ちしたのですが」

「何よ貢物の使者じゃない。そういうのは早く言いなさいよ」


 清春様に代わり、彼女に告げると、警戒は解かれ、本当に嬉々とした様子になる。心なしか香しい香りが強くなったようにも思える。清春様に目配せをすると、彼はこの道中大切に担いできた、お酒や果物といった品を広げた。


「まぁ!」


 彼女の感嘆の声。真っ先にお酒に飛びつくあたり、異界の存在というのは本当にお酒好きばかりだ。

 今回春香さんから請け負ったお仕事というのが、ある川の上流にあるお社にお参りすること。春香さんは暗にぼかしただけだったけれど、異形のものを視る私をこの地に遣わしたのは、この川の主との接触を試みたのだと思う。

 信じがたいことだけれど、彼女こそがこの川の主、或いはその化身であるらしかった。


「何ぼおっとしているの! 早速酒席を設けるんだから貴女も座りなさいよ」


 何やら既視感のようなものを覚えながら、促されるままに彼女の隣に座り込むのだった。

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