2-7 竜公主

 山を降りて、春香さんが予約をしてくれていたという旅館に立ち寄って、しばらくの間この土地に逗留することになった。

 旅の疲れを癒やすために温泉に入ったり、旅装束を補修したり。清春様は鴉宮宛てに報告書を作成していたりもした。そのようにして時間を過ごすのだけれど、それでも折角だから辺りを観光しようということになって。

 私達は、近くで行われるお祭りに伺うことになった。


 維新が起きる十数年前。日ノ本では沢山の地震があった。この土地でも大きな地震があったと案内の方が説明する。

 地震だけではそれほどの被害が無かったのだそうだけれど。川津波がどうしようもなく酷かったそうで、川沿いの集落や田畑は全部だめになってしまったと続けられる。

 綺麗に整備された通りを一歩でもはみ出すと、確かに津波の被害がまだ遺っている。

 手つかずのままの田畑、木が生い茂り始めて原野に還ろうとしつつある土地達。小高い丘から見下ろす平野には川が幾重にも枝分かれして海へと注いでいて。何より、人の丈よりも大きな巨石がごろごろと転がっていて。

 維新が成って、新しい時代がやって来たというのに。人が住む場所を少し離れると、まだこのような傷跡が遺る土地が広がっている。


 それでも、この土地に住む人々の顔は明るかった。

 今宵がお祭りだということもあって、川沿いの神社の山道にはぼんぼりが吊るされて、皆が明るい顔で、でも少しだけ憂いの表情を浮かべて川緑を歩いている。


 今日は旧暦の3月3日。桃の節供のこの日には、かつて我が家でも雛人形を飾ってひなあられや桜餅を食した。今年は家が無くなってしまったな、なんて思いながら皆に倣って通りを進む。

 最近は新暦の3月3日に雛祭りを行うのが、早速の流行りのようで。武陽ではすっかりお祭りが終わってしまっていた。けれどすぐに風習を変えることも出来ないから、あえて旧暦のこの時期に行うという風潮も地方では残っていると聞いていて。

 てっきり今宵もそんなお祭りなのかと思ったのだけれど、どうやら違ったようだった。


 丸いぼんぼりに連れられて川上へと向かう人々は、その手に灯籠を模した四角いぼんぼりを手にしている。四角い木組みに薄い紙を貼った灯籠の中に、小さな蝋燭を納めて火を灯している。

 穏やかで静かな暗い川面にはその灯籠の灯りが淡く滲むように映り込んでいて、夜行の列が川上から川下までずっと続いている。

 そして河原に降りた人から順に、灯籠を川に流し込んでいく。

 一斉に紙の灯籠が水面に浮かび、小さな灯りが揺らぎながら川を下っていく姿は壮観な眺めだった。


 ただその光景に葬列を幻視してしまうのは、それはきっと、これが鎮魂の祀りだから。


 先の大震災の折に、河川の氾濫に、濁流に飲み込まれていった人々を悼む、鎮魂の葬列。

 祀り方が変わってしまった、と小さく嘆いた彼女の言葉が蘇る。


 かつて紙に無病息災を願いながら厄を移して川に沈めた流し雛のおまつりが、小さな灯籠の火を死者の御霊に見立てて鎮める、弔いのまつりに姿を変えている。

 今日という日も桃の節供に行われる儀式の日ではなく、震災が起きた悼む日に変わっている。


 時代の移り変わりに、色んなものが変わって、変えられていく。

 でもただ悲嘆に暮れるのではなくて。年を重ねた人たちは、神妙な面持ちでこの光景を眺めているけれど。若い人や幼い子どもたちには笑顔があって、灯火が緩やかに川を下っていく光景に見惚れている。

 これからを生きる人達には、このお祭りが季節の風物詩。この幻想的な光景こそが、次の世代に紡いでいく大切な地域の風習。

 少しずつ、時代の移ろいに併せ姿を変えながらも、営みは紡がれ続いていく。


 そうして私達も、頂いた灯籠を水面に浮かべた。

 この美しい光景に、この地で亡くなってしまった人の御霊の鎮魂と、彼女への敬意と、清春様に出逢えた事に感謝を籠めながら。

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