鴉の運命の花嫁は、溺愛される

夕立悠理

第1話 

私が、それに気づいたのは5歳の頃だった。


「お母様、私の指に、なにかついてる」


右手の小指に真っ黒い糸のようなものが巻き付いている。引っ張ってみても取れる気配はなく、それどころか、糸はどこまでも、伸びている。その先が見えない。


 赤い糸なら、幼い私でも聞いたことがある。運命の人同士で結ばれる赤い絆。だったら、この黒い糸は――?


 疑問に思いながらお母様に尋ねると、お母様は微笑んでいた顔をさっと青く染めた。


「美冬、ああ、ああ、なんということでしょう!」


そして必死に私の小指から糸を引き離そうとしたけれど。お母様では、その糸に触ることすらままならなかった。


「美冬、美冬」


お母様が私を抱きしめる。


「おかあ、さま?」


 「ごめんなさい、ごめんなさい――。お前に全てを押し付けてしまって。お前を不幸にしたかったわけじゃないのに、」


お母様。何を謝ることがあるの? 私はいま、こんなにも幸せなのに。


「お前はね――、妖の花嫁に選ばれてしまったのよ」


◇◇◇

今日、私は16歳を迎えた。


 「美冬……」


お母様が、泣きそうな顔で私の唇にそっと紅をひいてくれた。白無垢を着て、化粧を施された鏡に映る自分は、それなりには綺麗に見えると思う。


「大丈夫ですよ、お母様」


私は、意図して明るい声を出した。




「もしかしたら、食べられないかもしれませんし」




妖。人ならざる者。今日私は、会ったことも無い人外の旦那様の元へ嫁ぐ。この世界で呼ばれる妖という存在は、異能と呼ばれる力を持っている。妖閻の界という現実世界と隣接した世界に住んでいて、一度は現実世界の人間たちを滅ぼしかけた。妖は、人を喰らうとその力を増すらしく、力の強いものが妖閻の界の王になれるからだ。




 現在は、人と妖は共存――というよりも互いに不干渉の契約を結んでいる。




 『花嫁』という例外を除いて。




 妖は『花嫁』に黒い糸を結びつける。花嫁が選ばれた人間の家には、富と名声を妖は与えた。そしてその代わり、約束の刻、――花嫁が16を迎えると、その花嫁を妖閻の界へと連れ去るのだ。その後の花嫁がどうなったかは、誰も知らない。妖閻の界と現実世界を自由に行き来できるのは、妖だけ。花嫁を連れ去った後の妖は、二度と現実世界には訪れない。




 筝蔵家の次女として、私は今までたくさんの幸せを享受してきた。




 なんでも、私は、花嫁の中でも『運命の花嫁』という特別な花嫁らしかった。私が生まれるずっと前から、筝蔵から花嫁が選ばれることは決まっていたらしい。箏蔵は莫大な富と、名誉を与えられた。




 名家として、筝蔵が名を保ってこられたのは、妖との盟約があるから。




「美冬!」


名前を呼ばれて振り返る。


「春美お姉様……、それに亮平さんまで」


お姉様が泣きそうな顔をして、立っていた。その横にはお姉様の許嫁であり、私の初恋の人である、亮平さんまでいる。お姉様が、私に駆け寄り抱きしめる。


「美冬、行かないで。私を一人にしないで。妖になんて嫁がないでよ」


何の冗談だろう。いずれ箏蔵の当主になるお姉様の周りには、たくさんの人がいる。私一人欠けたところで、何の問題もないはずだ。……と、思うのは、流石にひねくれ過ぎているわね。




「春美お姉様には、亮平さんがいらっしゃるでしょう」


こんなときまでひねくれている、と思うけれど。許して欲しい。本音を言うなら、私だって、妖に嫁ぎたくない。お姉様の横で心配そうにお姉様を見つめている亮平さんに嫁げたら、どれだけいいだろうと夢想したことだって何度もある。




「亮平は、美冬じゃないもの……! 私は、美冬には美冬として一緒にいてほしいの」


なんて強欲な人だ、と思う。でも、私は、そんなお姉様のことが嫌いじゃなかった。




「相変わらず、春美お姉様は妹離れができていませんね」


そういって笑って、お姉様の頬を撫でる。


「大好きな、お姉様。妹の最後の頼みを聞いてはくれませんか。――どうか、笑って、送り出して欲しいのです」


「……わかったわ」


お姉様は私から距離をとると、一度唇をかみしめ、それから満面の笑みを浮かべた。




「いってらっしゃい、美冬!」


ただいま、ということはもう二度とないけれど。


「いってまいります」


私も、自分にできる最高の笑みを浮かべた。










 さて。夕日が、部屋に差し込んでいる。お母様たちは、もう私の自室を去った。逢魔が時まで、もう少し。瞼を閉じる。




 この16年間様々なことがあった。間違いないのは、ただ一つ。私は箏蔵に生まれて幸せだったということ。




 思い出に浸りながら、瞼をゆっくりと開ける。そのとき、一陣の風が吹いた。背後に何かの気配を感じる。


「花嫁、あなたを迎えに来た」


私は、微笑んで振り返る。




 私が嫁ぐ旦那様は、顔の上半分にお面をつけており、顔が見えない。けれど、お面から覗く黒い瞳をとても、綺麗だと思った。




 こんなに瞳が綺麗な旦那様になら、食べられても悔いはないかもしれない。




 そんなことを考えながら、差し出された手をとった。


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