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『今日はこの後バイト?』
「うん、夕方から」
『そう、頑張ってね』
「ありがと」
バイト先で制服に着替えながら、そんなやりとりを思い出す。推しに応援してもらえるなんて、僕は世界で一番幸せなオタクだ。よし、とニヤけた顔を引き締めて僕はホールに出た。
夫婦で営んでいるこじんまりとしたお店は裏路地に面していて、少し分かりにくい。だから昔からの常連さんや仕事終わりの疲れきったサラリーマンが主な客層で、学生をはじめとする若い人は滅多に来ない。
今日は週の真ん中、水曜日。
あまり忙しくはならなさそう。まぁ、てんやわんやするほど忙しくなったことなんて、片手で足りるほどの回数しかないんだけど。
開店と同時にやってくるいつもの常連さんを見送って、テーブルに紙ナプキンを補充しながらキッチンにいる店長と話していると、入口から控えめなベルの音が聞こえてきた。
時計の針は、気がつけば二十二時を少し過ぎている。
いつもの常連さんかな。そんなことを考えながら、入口に向かう。
「いらっ、」
そこに佇む背の高い見覚えのある男を確認して、理解が追いつかずに固まってしまった。
帽子を被ってマスクをしていたって、そのオーラは隠しきれていない。周りにキラキラとしたエフェクトが見える。
「お、」
「お?」
「お引き取りください」
「ふは」
僕の反応を愉快そうに目を細めて観察している彼は、そんな失礼な対応をしたにも関わらず、堪えきれずに噴き出した。
悪戯に目を煌めかせる彼――東雲律はサプライズがお好きなようで。僕はいつも彼に驚かされてばかりだ。
「ほら、早く案内してよ」
「……一名様ですか」
「はい」
「なんで……」
堂々と答える姿に思わず言葉が漏れた。こんなところまで来るなら、楠木さんを連れてきてくれ。僕だけじゃ制御できない。
ただ、こうして入口に突っ立っていると、他のお客さんが来た時がまずい。渋々奥の席に案内すると、帽子もマスクも取ってしまった律が素顔を露わにする。
見慣れた景色に見慣れない芸術品。今流行りの異世界にでも迷い込んだかのような気持ちになる。嗚呼、頭が痛い。
メニューを差し出せば、律は上機嫌で見上げてくる。
「紡のこと、口説きに来ちゃった」
「……っ」
お茶目にウインクしてみせる律は、慌てふためく僕とは対照的に今まで見たことがないぐらい楽しそう。
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