9
撮影が再開する。
ただベッドに寝転がっているだけなのに、カメラに向けられた色っぽい表情にそわそわしてしまう。相手はいないのにベッドシーンを覗き見ているような気分だ。
思わずため息が漏れるほど、綺麗。
シャッターが切られる度、周りのスタッフさんからも感嘆の声が上がっている。
一旦チェックをするため、律は真剣な眼差しでモニターを確認しながらカメラマンと話し合っていた。
そんな姿もかっこよくて、好きという気持ちが増していく。ずっとずっと追いかけてきたひとに間違いはなかった。
ぽうっと見つめていると、部屋の中に犬の鳴き声が響いた。その声にハッとなって周りを見渡せば、スタッフさんに抱え上げられたチワワが僕に向かって吠えている。
「えぇ……」
怒っているのかな。あんまり動物に嫌われることはないんだけど。僕の何かが気に入らなかったのだろうか。
あまりにも吠えられるものだから、困惑してしまう。眉を下げたスタッフさんに「すみません」と謝られた。
「どうしたんだろう、普段は大人しいんですけど……」
「離れておいた方がいいですかね?」
「すみません、撮影の時に言うことを聞かなかったらお願いするかもしれないです……」
そんな会話をしている間も、耳をぴんと立てたチワワはずっと僕を見ていた。もぞもぞと動いて下に降りたそう。
「撮影再開しまーす! レオくん、出番です、お願いします!」
今度は庭で撮影をするらしい。
レオと呼ばれたチワワが降ろされると、「待て」の指示も聞かずに一目散にこちらに駆けてきた。
大人たちが必死に手を伸ばして捕まえようとするも、すばしっこくてなかなか捕まえられない。
僕の元までたどり着くと足元をうろちょろと動き回り、ブンブンしっぽを振ってアピールする。
どうやら嫌われていたわけではなかったらしい。そのことにホッとしてしゃがみこめば、膝に前足をついたレオに思いっきり顔中を舐められた。
いやむしろ気に入られすぎではっていうぐらい激しいアピールにたじたじになる。
「うぅ……ストップ、ストップ!」
そう声をかけても、興奮した様子のレオは止まらない。
「あははっ、紡めっちゃ好かれてるじゃん」
困っていれば、様子を見に来た律が破顔する。滅多に見ない大爆笑。プロのカメラマンはそれを見逃さず、シャッターを切る。
律が笑ってくれるなら、まぁいっか。
そんな気持ちになってしまうけれど、この子は何とかして撮影に参加させないと。
「ねぇ、紡のことは後で編集で消すからさ、こっちおいで」
「でも……」
「すみません、そうしていただけると助かります」
「…………はい」
律からの提案に加えて、スタッフさんからも頭を下げられてしまえば拒否することはできない。
重たい足取りで庭に向かえば、ぴょんぴょんと跳ねるようにレオが後をついてくる。
「ふふ、そっくりだなぁ」
にこにこと笑う律はかわいいけれど、その笑顔の理由が理由なだけに素直に受け止められない。
律の投げたボールには見向きもしないから、代わりに僕の投げたボールで遊ぶことになった。その様子を眺めている律は、フラれたっていうのにどこか楽しそうだ。
どうしてこんなことに……。ウッドデッキに腰掛けて、律の隣で無心になってボールを投げていれば、律が周りに聞こえないような小声で囁いた。
「レオがオスなのは気に食わないな」
「何言ってるんですか……」
「あんなにベタベタされてたら、たとえ動物相手でも嫉妬するよ」
「…………」
「俺だってキスしたい」
まっすぐに見つめられて、手を握られる。
撮影中だっていうのに、甘ったるい言葉を吐く律に溶かされてしまいそう。
今この瞬間もシャッターの音が鳴り響いている。その手を振り払って、撮影に集中するように言うべきなのに。僕はこの瞳に弱い。
僕の顔は写っていない。けれど僕と手を繋いだ律の横顔が彼の写真集に載ってしまうなんて、この時の僕は知りもしなかった。
「早く俺のこと好きになってよ」
「…………」
「紡に俺の全部をあげるから」
真剣な瞳は、嘘をついていない。
それが分かるからこそ、簡単には言えない。八年前からずっと好きだなんて、言えるわけがない。
律は向こう側のひと。
たとえ好きな人の望みでも、ううん、好きだからこそこれだけは譲れない。
多くの人に夢を与える律に手を伸ばすことは許されないのだから。
胸の奥がきゅっとなって、苦しい。
何も言えなくなった僕を見た律は、儚く笑った。
「俺はいつまでも待つよ」
「…………」
「紡が好きだから」
ごめんなさいと言おうとしたのに声が出なかった。言ってしまえば、余計に傷つけてしまう。ただの偽善に過ぎないけれど、これ以上律を悲しませたくはない。
たとえ律を苦しめていたとしても、僕は自分の出した答えが正しいと思っていた。穢れた過去を持つ僕なんかが「東雲律」というブランドに傷をつけることはできない。
叶わない恋をしている。
律も、僕も。
苦しくてたまらないのに、好きでいることをやめた方が辛い。それが分かっているから、僕らはきっとこの恋を捨てられない。
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