第2話


「まったく、やんちゃにも程度というものがあるのよ」


 平静を装いすっくと立ち上がる。あくまでも澄ましたお姉さん風に余裕を持った雰囲気で。しかし、内心は正反対に、鮮やかギラギラ桃色模様。顔がニヤけるまであと一歩、がけっぷち寸前でどうにか踏みとどまっている。

 だって、しょうがないじゃない。この子、とっても可愛いんだもの。胸がむずむずしちゃうのだって自然な反応。悪戯されたのにむしろ嬉しいし、お返しもしたくなっちゃうんだから。

 少女は背丈からして小学三、いや四年生くらいだろうか。

 風に揺れる髪はブラウンカラーのツインテール、頭頂部には大きなリボンがちょこんと乗っかっている。口元から覗かせる八重歯やえばは青々とした幼さを醸し出す。その一方で、まとう衣服はカットアウェイショルダーにホットパンツと、露出度合が際どい味わい。肌の生傷と絆創膏ばんそうこうからは年相応な一面も垣間かいま見え、大人に憧れて背伸びする健気さがいじらしい。

 下校途中なのだろうか。このまま自宅に連れ帰りたくなる。テイクアウトだ。ひょいと持ち上げお姫様抱っこでレッツゴー。おうちでまったりぐふふふふ……――って、それはいけない。紛うことなき犯罪だ。善良つ規範となる大人として、ほとばしる欲望の濁流だくりゅうをぐいぐい奥へと抑え込む。


「あれあれぇ。おねーさんってば、蹴られたのにどーしてニヤニヤしてるのぉ?」


 しまった、表情に出てしまったようだ。

 これでは女児に興奮する不審者と思われかねない。いや、事実ではあるけども。正体を知られては色々とまずい。


「あ、分かったぁ。痛いことされるのが大好きな、マゾっていう変態さんなんだ。うわぁ、キモーい」


 しかし、時既に遅し。

 彼女にはお見通しらしく、ケラケラと小馬鹿にあざけってくる。

 どうやら変態オーラがだだ漏れだったようだ。ショックでがっくり項垂うなだれてしまう。別にマゾではないけれど。

 そもそもの話、見ず知らずの子どもに蹴り飛ばされる状況自体が奇異きいだろう。〈ワンダスト〉ならまだしも、市街地の子どもとの接点は皆無だ。なのに悪戯されたとなるとあり得る理由はただ一つ。私のがバレており、それ故に先制攻撃を受けたと捉えるのが自明の理。後ろ指さされるような女と烙印らくいんを押されてしまったのだ。

 そうか、ならば仕方ない。

 背水の陣、絶対的ピンチをチャンスに変えてみせよう。すなわち欲望の解放だ。淑女としての我慢はもうおしまい。ここからは気兼ねなくいかせてもらおう。自宅に連れ込みイチャイチャ、きゃっきゃうふふのパラダイスだ……――って、だからそれは駄目なんだって。妄想だけに留めておかないと。それに、あくまでもまだ推測の段階だ。私の趣味が露見した可能性は微量程度。ここは冷静沈着に、彼女が何故私を攻撃したのか聞き出してみよう。


「あら、どこにいったのかしら」


 しかし、顔を上げると少女の姿はどこにもなく。乗客のいないブランコだけがキイキイ虚しく揺れている。

 どうやら逃げてしまったらしい。

 一撃離脱ヒットアンドアウェイ。反撃される前に撤退とは中々どうしてさとい子だ。悪戯をする蛮勇ばんゆうさに反して危機意識はそれなりにあるらしい。じゃあ最初からやるなって話だけど。

 もしまた彼女に会えるのなら、年上としてしっかりしかってあげないと。それが大人としての義務だろう。すなわち、教育と称して不道徳インモラルな調教プレイへの移行だ。というのは半分冗談だけど。人様に迷惑をかけ続ければ、いずれ〈ワンダスト〉送りにされてしまう。たとえ小学生、まだ幼く善悪の判断が未発達だとしても、例外として扱われないだろう。壁の向こう側にだって子どもはいるのだ。街の総意が今更躊躇ちゅうちょするとは思えない。





 そう、流刑地るけいちまがいの場所にだって子ども達は暮らしている。

 休日。

 世間が家族旅行だの恋人とのデートだのと色めき立つ中。私は〈数得市かぞえし〉と〈ワンダスト〉の境にそびえる壁、そこを穿うがつ門を潜り抜ける。目的地は向こう側にて運営される保育園だ。といっても、フェンス越しにちびっ子を観察、だなんて怪しさ満点な行為のために行く訳じゃない。そんな回りくどいことをしなくたってんだから。


「わー、キャロンおねーちゃんだー」

「今日も一緒にかけっこしようよ」

「ううん、今日はおままごとするんだよね」


 門を越えたすぐ先。保育園の敷地に踏み入れた途端、幼児の群れがわっと雪崩なだれ込んできた。四肢に絡みついてあっちへこっちへ引っ張りだこ。弾ける若さの渦中へと飲み込まれてしまう。

 ここにいる全員が〈ワンダスト〉で生活している子ども達だ。

 毎週末に訪問し続けてきたおかげでもう顔馴染なじみ。好感度も最高値を突き抜け無限大インフィニティ。“みんな大好きキャロンお姉さん”としてしたわれている。〈数得市〉では絶対に味わえない幸福だ。あちらの息苦しい環境では、幼児に近づいただけで一発アウトの即刻退場。存在自体が許されないだろう。胸の内にくすぶる欲求はここでしか満たされない。


 好き好んで〈ワンダスト〉に関わるなんて変わり者だ。と、白い目で見られるかもしれない。大半の〈数得市〉民がさげすみ嫌う土地なのだから当たり前だろう。しかし、私にとってはむしろ真逆、心をうるおすオアシスなのだ。正しさを押し付けられるばかりの市街地の方がむしろ劣悪極まる環境。本来の自分でいられるこちらの方がよほど健康的。それに何より、気兼ねなく子ども達と触れ合えるのだ。どちらが大切かなんて言うまでもない。

 追いかけっこで捕まえてほっぺをすりすり。瑞々みずみずしくもちもちな素肌が元気をくれる。乾いた心がじんわりと、子どもパワーで満たされていく。ああ、もっとでたい愛でたい抱きしめたい。自然と笑みが漏れて染み出し、えへへへへのぐへへへへ。おっといけない、よだれが垂れちゃう。もっとも既に、子ども達の汗やら何やらでべとべとなんだけど。

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