あの子と私の境界線≪ワンダスト≫~CARON in UNDERGROUND~

黒糖はるる

第一章:邂逅-Destiny-

第1話


 空に下りる藍色あいいろのブラインドカーテン。

 吹きすさぶのは突き刺さんばかりの寒風。暖かさの残滓ざんしすら遥か彼方へと拭い去っていく。

 季節はとうの昔に春を迎えたのに夜の冷え込みは依然として厳しい。猛烈な寒暖差に身も心もささくれ立つ。隙間風が胸の内に入り込む。僅かなぬくもりさえも奪われていく。


「はぁ。疲れたなぁ、もう」


 公園のブランコにどっかり腰を下ろし、空隙くうげきを埋めるように独りごちる。

 アルバイト終わりの帰り道。毎度愚痴ぐちを呟いているが、今日に限っては冗談抜きの疲労困憊ひろうこんぱいだ。営業スマイルの維持で表情筋が馬鹿になってしまった。しかし、更に深刻なのは肉体よりも精神面だ。心がしおれてしんなりぐったり青菜に塩。栄養が足らずに枯れる花の如き心境にある。

 その原因は他でもない、勤務中の一悶着だ。


「まさか、事件に巻き込まれるなんてね」


 アルバイト先のコンビニにて警察沙汰ざただ。と言っても、強盗が乱入したとか立てこもりがあったとかじゃない。万引きがあっただけだ。それでも、この街にとって大事件なのだが。

 普段通りの業務中。レジ打ちや品出しなどに精を出していた時のこと。

 学校帰りだろう高校生達が菓子パンを数点盗もうとした。集団で来店して、店側の視線をい潜り、素早い手つきでかばんに押し込む。初犯ではない。既に複数回被害が出ており、店側も犯人に目星をつけていたところだ。そうとはつゆ知らず、高校生達はのこのこやってきて現行犯。全員有無を言わさず事務所行き。通報を受けた警察はすぐさま駆けつけ、哀れ学生達は連行されていった。パトカーに詰め込まれる間際、彼らは「出来心だった」とか「度胸試しのつもりで」とか、無意味な言い訳を絶叫していた。それで済むほどこの街は甘くないというのに。


 若気の至りで許される道理はなく、彼らは十中八九〈ワンダスト〉送りにされるだろう。弁解の余地なしだ。二度とこちらの街に戻ることはない。

 仕方のない措置だ。

 無情で厳格な処罰は、無辜むこの民が安寧あんねい享受きょうじゅするために必要不可欠。どんな小さな悪事も見逃さず、悪と断じて全ては壁の向こうの〈ワンダスト〉へ。

 理屈は分かる。

 事実、結果も出している。

 だけどやっぱり、どこか息苦しくて生きづらい。

 よどみ一つない清流を求めた結果、生存に適さぬ環境になってしまった。そんな気がしてならない。

 私――有栖川ありすがわキャロンは、そんな街の住人として甘んじている。


「あぁ、嫌な場面見ちゃったな」


 これはしばらく引きずりそうだ。

 後先考えない万引き犯達とはいえ、強制連行からの追放という光景は精神衛生上よろしくない。その後の事情聴取も相まり気分最悪だ。

 この街はくそを取り繕い無理に着飾っているに過ぎない。見てくれは清廉潔白せいれんけっぱくだ。しかしその実態は、反吐へどが出るような汚泥おでいの詰め合わせ。身勝手な者達が支配しているのだから、それも当然の結果だろう。嫌になる。


「って、駄目だめ駄目。マイナス思考に陥っているじゃない」


 暗澹あんたんたる気分を追い払うように、ぶんぶん頭を横に振る。

 それもこれも、体内の子ども成分が足りなくなったせいだ。栄養失調で心の健康が脅かされている。早急に摂取しないといけない。

 とはいえ、この街でそれをすれば生活に支障が出る。最悪の場合、万引き学生達と同じ末路を辿る羽目になるだろう。我慢するほかない。

 幸いにも明日は休日だ。一晩待てば子ども達との触れ合いタイムに突入。遮る物は何もなく、誰も私を止められない。ほとばしる生命力を全身で受け止められるのだ。

 ならむしろ、焦らしプレイの一環として楽しむのもありではないか。幼い子ども達に「大人なら我慢できるよね?」と煽られたり、「明日の朝まで頑張ってね」と応援されたり。相反する指示を前に身も心もとろけちゃう。そんな妄想に浸っていれば半日程度耐えられるはずだ。間違いない。そして、禁欲解放のあかつきには、全神経を触れ合いタイムに注ぎ込むのだ。それこそが正しい淑女の在り方に違いない。異論を唱える者がいたら助走をつけて殴り倒す。私は本気だ。右ストレートで張り倒す。

 よし。湧き上がる希望のおかげで腐った心も完全復活だ。明日に向けてさっさと帰ってぐっすり眠ろう。と、ブランコから飛び立とうとした、丁度ちょうどその時だった。

 

 私の右耳元に、甘く生温かい息が吹きかけられた。


「あひゃらばあっ!?」


 背筋を駆け上がってくるゾクゾクとした快感……――じゃなくて、むずがゆさに体が軽く痙攣けいれんする。まるで釣られたばかりの魚みたいにビクンビクン。ついでとばかりに頓狂とんきょうな叫びまで上げてしまう。

 思考停止。

 何が起こったのか。理解する暇すらなく、私は背中からの衝撃で宙を舞う。前方に軽く一回転。どうにか受け身を取って即座に体制を立て直す。振り返ってみれば、先程まで座っていたブランコの後ろに人影一つ。見知らぬ少女がランドセルを背負って立っていた。

 まさか、この私が背後を取られるとは。

 一拍置いて背中がじんじんと痛み始める。どうやら息を吹きかけられた直後、意識の合間を突いてドロップキックを放ったらしい。見事なお点前てまえに私の全細胞が感服。女児の靴底で足蹴あしげにされるのも悪くない。新しい扉が開きそうだ。でも、一旦閉めておこう。そっちの道はまだ早い。

 それよりも、まずは眼前の少女をどうするかが喫緊の問題だ。


「きゃはっ。おねーさんってば、思いっきり吹っ飛んじゃってぉ!」


 実行犯は両手をぱちぱち大喜びだ。

 一般人からすれば憎たらしさ満開の笑顔だろう。面識のない相手に過激極まる悪戯いたずらなんて。全力で蹴り飛ばしたのだ。叱責しっせきは当然、場合によっては鉄拳制裁もあり得る。

 だけど、私の意識は全く別の方へと向いていた。

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あの子と私の境界線≪ワンダスト≫~CARON in UNDERGROUND~ 黒糖はるる @5910haruru

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