義父

旗尾 鉄

第1話

 新卒で入社して以来、七年間勤めた不動産会社が、とつぜん倒産した。


 俺たち従業員には何の説明もなく、いきなりだ。

 業績悪化を粉飾決算でごまかしながら、綱渡りで延命していたらしい。おまけに、社長が会社の金を着服していた疑惑が浮上し、警察が捜査に乗り出している。そんなことすら、ニュースで初めて知らされた。

 退職金の名目で十万円が口座に振り込まれ、それっきり。俺たちはとうぜんいかり、従業員一同で弁護士を立てて会社側と交渉したのだが、無い袖は振れぬの言葉どおりで、どうすることもできなかった。


 怒りは収まらなかったが、いつまでも見込みのない争いを続ける暇もなかった。その一か月前に、妻、由利ゆりの妊娠が判明したばかりだったのだ。

 俺も父親になるんだな、よし、がんばろう。そう思っていた矢先の倒産、最悪のタイミングだ。もちろん、倒産するのに良いタイミングなんてあるはずもないのだが。

 とにかく再就職先を早く決めて、生活を安定させなければならない。


 だが就活を始めたものの、まったく上手くいかなかった。

 まだ三十歳前だし、なんとかなる。そんな見通しが甘かったのだ。

 言い訳するとすれば、倒産した会社のイメージが、世間では俺の予想以上に悪かった。前職の話になると、採用担当の態度が明らかに変化する。会話がとどこおり、なんとなくしらけた雰囲気が漂い、さっさと面接を切り上げたい思いがにじみ出してくるのだ。そうやって面接と不採用を何度か繰り返した。


 妻のお腹の膨らみが目立つようになり、失業手当が切れるころ、俺はついに自分のふがいなさを認める決心をした。


「あのさ、お義父さんのとこ、まだ求人やってるかな?」


 妻の父親、つまり俺にとっての義父にあたる人は、電気部品の町工場を経営している。俺が就活を始めてしばらくしたころに、求人募集の貼り紙を出したと妻から聞いていた。ただ俺としては、妻の実家に泣きついたと思われるのが嫌で、いままでスルーしていたのである。


「先週行ったときはまだ出てたから、やってると思う。でも、いいの? お父さんと同じ職場はやりにくいって言ってたでしょ」

「そうだけど、そんなこと言ってられないかなって。プライドとか捨てようと思ったんだ」

「そう。あたしから電話しとこうか?」

「いや、いい。自分で行って、頭下げてくる」


 妻はそれ以上何も言わなかったけど、ほっとしているのと、少し嬉しそうなのが、なんとなく伝わってきた。






 妻の実家は、俺たちの暮らすマンションから電車で四十分ほどのところにある。義父の経営する吉倉よしくら製作所は、実家から徒歩十分の距離だ。

 このあたりはいわゆる下町というやつで、木造住宅や小規模のアパート、昔ながらの商店、そして町工場などが、肩寄せ合うように立ち並んでいる地区だった。

 良くも悪くも、時代の流れから取り残されて、昭和のまま時が止まったような印象を受ける。駅から工場までの間に一棟だけ、小洒落た外観の新しげな中層マンションが建っていたけれど、周囲の風景に全くなじめていないそのマンションのほうが、浮いた存在になってしまっていた。


 目的地の吉倉よしくら製作所は、しっかりと町に溶けこんでいた。

 昭和の生き残り、といった風情ふぜいの、古びた町工場である。敷地内には、工場と事務所の二棟が建っていた。コンクリート塀はところどころ黒ずんでひびが入り、工場のトタン部分は数か所、茶色く錆びついている。

 妻の言ったとおり、正門の脇の塀には『従業員募集』と大きな字でマジック書きされた紙が、ビニールをかぶせて貼ってあった。


 約束の五分ほど前に到着した俺を、妻のお母さん、浩江ひろえさんがが出迎えてくれ、事務所の応接スペースで待つ。すぐに、外のほうから野太い声が聞こえてきた。義父の声だ。


「おう、涼士りょうじ、よく来たな。母さん、俺にもコーヒーくれ」


 義父、吉倉よしくら克信かつのぶは、いきなり俺を下の名前で呼ぶと、どかっと俺の向かい側のソファに座った。黒いビニールソファがへこむ。

 がっしりした体格で、頭はツルツルに禿げあがっている。浅黒く日焼けした四角い顔にぎょろりとした目は、かなりのコワモテだ。来年は還暦かんれきだそうだが、多少若く見える。


「おまえんとこの社長、ひどいなあ。俺だって、あそこまでデタラメはやらんぞ?」


 俺が挨拶すらしないうちに、義父はド真ん中の直球を全力で投げ込んできた。


 どうも、この義父が苦手だった。

 嫌な人ではないのだが、距離感がうまくつかめない。今のように、いきなり懐に飛び込んでくる感じは、俺の同年代の友人や知り合いにはいないタイプだ。

 俺は子供の頃に父親を亡くしているから、父親という存在との接し方に慣れていないせいかもしれない。


 とにもかくにも、俺は就活が上手くいかなかったことも含めてこれまでのいきさつを話し、雇ってもらえないでしょうかと頭を下げた。

 言いにくいことは、むしろ早めに言ったほうがいい。後回しにすると、あとでいろいろ揉めることが多い。わずか七年ではあるが、俺がサラリーマン生活で覚えた経験則だ。


 義父はふんふんとコーヒーをすすりながら聞いていたが、やがて俺の話が終わると、おもむろに言った。


「話はわかった。あのな涼士、俺は身内だからって特別扱いするのは嫌いなんだよ。縁故採用っつうのはさ。他の従業員に失礼だろ。そう思うだろ、宮下みやした


 いきなり話を振られたのは、応接スペースの近くの机でパソコンに向かっていた初老の男性社員だった。よくあることなのか、さらっとこともなげに答える。


「いいんじゃないですか。涼士さん、真面目そうだし」


 だが、義父は続けた。


「そうはいかんだろ。というわけで採用面接するから、履歴書、書いてこいや」

「今日、持ってきました」

「お、書いてきたのか。やる気はあるようだな」


 昨夜書いた履歴書を手渡す。

 お父さんの話は急展開するから、用意してったほうがいいよ。そんな妻のアドバイスに、心の中で感謝する。


「前は、倒産した不動産会社だよな」

「はい。ファミリーマンションの販売などが中心でした」

「んー、そういうのはウチは関係ねえな。経験なし、と。免許は?」

「普通です」

「普通ってなんだよ?」

「? 普通車です」

「あー、車の免許か。じゃなくて、電気関係の免許、なにか持ってるか?」

「あ、いえ、ないです。宅建なら持っています」

「それも関係ねえな。資格なし。ないないづくしだな」


 履歴書を読めばわかることを、わざわざ声に出して言われた。小馬鹿にされているようで気分が悪いが、我慢する。


「異業種からの転職なら、それが普通じゃないですかねえ。知ったかぶりするより、正直でいいじゃないですか」


 宮下さんが、やんわりとフォローを入れてくれる。


「そうか。じゃあ採用するかな。来週月曜日から来てくれ。あ、ちょっと待て」


 義父は事務所の奥へ引っ込むと、クリーニング店のビニール袋を持ってきて俺に手渡した。中身は、ライトブルーのジャンパー型の制服だった。義父も宮下さんも、同じものを着ている。


「とりあえず、それ使え。ネーム入りのは、注文しとくから」


 言われてもう一度見ると、左胸にオレンジ色で刺繍されたネームは俺の苗字である『野川』ではなく、『吉倉』となっていた。義父、いや社長の予備なのだろう。

 これからは、職場でスーツを着ることもないんだな。そう思うと、なんとなく切ない。


 こうして茶番劇のような面接は終わり、俺は吉倉製作所で働くことになった。

 義父は、口ではコネ採用はしないと言いつつ、最初から俺を助けてくれるつもりだったのだろう。従業員の手前、面接試験の形を作ったのだ。宮下さんはそれを察して、話を合わせてくれたに違いない。


 ありがたくはあるが、モヤモヤした気持ちを抱えて帰宅した。

 妻に報告して面接の話をすると、お父さんらしいわと、けらけら笑った。


「お父さんね、機嫌がいいと口が悪くなるのよ。涼士が頼ってきて、喜んでたんじゃないかな」


 そうなのだろうか。なんとも、わかりにくい人だ。

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