妄執のLストリーマー ≪迷宮と配信、ときどきアイドル≫

しがわか

第1話

 目の前には赤黒いグロテスクな壁がある。

 周囲を見渡すと、床も天井も同じ材質でできているようだ。

 粘液のようなもので覆われていて、テラテラと光ってさえいる。

 気の迷いでつい壁に触れてみると、やはりというか見た目どおりのぬめり気があった。


「まるでローションみたいだな……」

 

 口に出すと、生物的な生暖かさが気持ち良くなってしまって。

 ついつい撫で続けていると、壁が突然ビクンと脈動をする。


「な、なんだ……まさか、生きてるのか?」


 いや、ここは間違いなく〝迷宮〟の中……のはず。

 そんなことは分かっちゃいるが、臓腑のような壁を見ていると自分が巨大生物の体内に飲み込まれたような気がしてくるってもんだ。

 ただ身を震わせているばかりでは埒があかない。俺はとりあえず先へ進んでみることにした。

 

 足元はぐにゃぐにゃとしている上に、ヌルヌルなので歩きにくくて仕方がない。

 しかしそれでもどうにか前へ進まなければ、と力強く足を踏み出す。


「うおっ!?」

 

 地面についた足が、ずぶりと沈み込むような感覚があった。

 飲み込まれたという方が近いかもしれない。

 

「ぐぬぬ……。や、やべぇ!」


 床はあっという間に俺の足を脛まで飲み込んでいく。

 どうにか引き抜こうと踏ん張ってはみるも、ぬめりが邪魔をして上手く力が入らない。

 暴れているうちに、今度は逆の足までもが地面へ飲み込まれはじめた。


「あ、これ無理だわ」


 必死に足掻いてはみたが両足を使えなくてはどうにもならず、やがて胸まで飲み込まれてしまう。

 ラノベじゃこういう時に秘められたチカラが開放して——そんなことを考えた瞬間、俺の体は完全に迷宮のへ飲み込まれた。


 

「死んだかと思ったぜ……」


 全身を飲み込まれた時は諦めかけたが、迷宮の胎内はキツい穴のようになっていたらしい。そのナカで、俺はどうにか生きていた。

 やたらと滑る粘液が全身にまとわりつくせいで、俺の体はにゅるにゅると穴の奥へ飲み込まれていく。

 しばらく抗ってはみたが、上へ登るのはまず無理だと分かった。

 

「仕方ない……なるようになるか」


 そう考えると、突っ張り棒のように伸ばしていた手足の力を抜いた。

 途端に俺の体はまるで滑るように穴の奥へと飲み込まれていく。

 どこまで続くんだ、と叫びたくなるくらい滑り落ちた頃になってようやく出口に辿り着いたらしい。

 じゅぽんという湿った音を出しながら、俺の体はキツい穴から飛び出した。

 まるで産道を通って、この世に産まれた落ちたような感覚だ。

 なんにせよ、広い空間に出れたようなので周囲を確認しようと顔を上げた。


「……ん?」

 

 俺は思わず漫画のように目を擦ってしまった。

 目の前にこのグロテスクな空間にはあまりにも場違いな子がいたからだ。

 しかし、擦っても擦っても消えることはなかった。

 つまりは俺の尽きない妄想が作り出した幻ではないらしい。


「まったくどうなってんだ……」

 

 ついソレに視線を釘付けにしたまま、そう呟いてしまったのは仕方がないだろう。

 だって巨乳がいたんだから。

 彼女はフリフリでカラフルな、まるでステージ用の衣装をまとって、アイドルスマイルを輝かせながら手を振っていた。


 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 

「はい、これで探索者ダイバーの登録が完了しました! これから頑張って下さいね」


 探索者適正検査という長い検査をパスした俺は、ついに念願だった探索者の登録を終えた。

 喜びに打ち震えている俺を、対応してくれた女の子が笑顔で見つめてくれている。

 もしかしたら、この娘は俺に気があるのかもしれないな。

 ええっと、山下……桃花さんか。覚えておくとしよう。

 デートでもどう?なんて心の中で呟きながら、会釈をするとその場を離れる。

 

「そうだ、河合さん! 十五分後の初心者講習を忘れないで下さいね」

「……分かりました」


 河合かわいさんなんて他人行儀だな。たすくと呼んでくれてもいいのに。

 もしくは俺の周りの奴らみたいに『ジョー』と呼んでくれても良い。

 みんなが丞をジョーと読むから定着しちゃったあだ名だけど、割と気に入ってはいるんだ。

 あと、俺は『かあい』であって『かわい』ではないんだよな……まあ桃花さんは可愛いから許すけど。

 

 それにしても、わざわざ呼び止めてくれるなんて、やっぱり俺に気があるに違いない。

 もちろん、本人にそんなことは言えないし、言わないけど。

 妄想するくらいが丁度いいんだ。脳内でなら好きに蹂躙してやれるしな。

 

 そういえば初心者講習とやらはどこでやるのかを聞き忘れた。

 桃花さんに聞いておこうと振り返るも、彼女は既に別の雄の相手をしているようだ。

 会話の口実を見つけたと思ったんだがな……。

 なんだかNTR寝とられた気分で肩を落としつつ周囲を見回すと、やけに目立つ張り紙が目に入る。

 

 《 初心者講習は二階の第三講習室へ! 》

 

「……あっそ」

 

 あんなデカデカと書かれているのに聞くのもおかしな話だ。

 桃花さんとまた話がしたかったが、今度にするとしよう。

 俺は張り紙に従い、講習が行われるらしい二階へと向かった。


 

 第三講習室は、大学の講義室のような作りになっていた。

 部屋の前方へ向かって長いテーブルが列を作っている。

 百人くらいは座れるであろう室内には、ぽつんぽつんと何人かの参加者が座っていた。

 つまりこいつらは、みんな俺と同じ初心者組ということか。

 舐められないようにしないと。そう思った俺は、最前列ド真ん中の席に腰を下ろした。

 

 しばらくすると、時間になったのか男が部屋へ入ってきた。

 男はがっしりとした駆体に不釣り合いな小さなリモコンをいじると、室内の照明が消える。

 ややあって、前方の壁にプロジェクターから映像が映し出された。

 

『数年前、世界同時多発的に迷宮が現れた。

 それは目に見えるものではなく、であった。

 心を迷宮に囚われた者は精神を蝕まれ、それと同時に常軌を逸した症状が現れる。

 政府はこの現象を迷宮症候群と名付けることにした』


 そんな基本的なことからやるのか……ちょっと退屈だな。

 俺は思わず出かかった欠伸を噛み殺した。

 

『日に日に増えていく迷宮症候群の発症者への対応に追われた政府は、ついに対策機関を置くことに決めた。それがここ、迷宮管理協会……通称LaMAラーマである』


 〝Labyrinth Management Asociation〟でラーマか。ご大層な名前だ。

 そもそもこの協会の成り立ちには正直あまり興味がない。

 だって、俺は知っているんだからな。

 その後は理念やら、活動方針やらの案内が続いていく。

 このまま聞いてたら夢の世界に旅立ってしまいそうだぜ。


『……以上がLaMAの案内となります』


 そのアナウンスをもって映像が終わったらしく、プロジェクターの光が消えた。

 室内の明かりがつくと、前に立っている男が口を開く。


「分かるぞ……この協会案内は最高に眠りを誘うよな。だからといって一番前の席で堂々と寝る奴がいるか!」


 え、そんなやつがいるのか……やる気がないなら出ていって欲しいくらいだ。


「何をキョロキョロしてるんだ。お前だぞ!」

「ええっ、俺?」


 いきなり指をさされた驚きで声が裏返ってしまった。

 確かに夢の世界に旅立ちそうではあったがなんとか我慢したはず……。

 

「いやいや寝てないですって。集中するために目を閉じて聞いてただけなんで」

「じゃあLaMAの現代表の名前は?」


 おいおい、いきなりクイズが始まったぞ。

 正解できなきゃ資格を剥奪されたりして。せっかく念願の探索者になったってのにそれは困る。

 ええっと、現代表といえばあの人だ。たしか名前は——。


「観音寺……虎壱だ」

「くっ、正解だ」


 おっさんは悔しがりながら「紛らわしい真似をするな!」と怒っている。

 まぁ映像を見ていなかったのは事実だが、昔あの人に会ったことがあるから間違いようがない。

 あの人には恩もあるし……それに讐もある。

 俺は思わず拳を固く握りしめた。


「それじゃ次は皆お待ちかね、実技の講習だ。全員十分後に隣の訓練室へ来るように」


 お、実技の講習もあるのか。

 まさか眠たい映像見せられて終わりなのかと不安だったぞ。

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