第4話 SNS時代の「正義」と道徳の混同
「それは正義だと思ってやったことです」
SNSで発信された意見や行動が、たった一晩で大勢の賛同を集める時代です。インターネット上では、誰もが自由に声を上げ、社会の不正や問題を指摘することができます。しかし、その「正義」の行動が本当に道徳的であるかどうかを考える余地はあるでしょうか?
SNS時代の「正義」はしばしば強烈で、瞬時に拡散されます。たとえば、不適切な発言や行動をした人物が非難され、ネット上で炎上するケース。多くの人が正義感に駆られて批判の声を上げますが、それが次第に一方的な攻撃や個人情報の暴露といった形をとることがあります。このような行為は、果たして道徳的と言えるのでしょうか?
この現象には、「道徳的優越感」という心理が関係していると言われています。人は誰かを非難することで、自分がより道徳的であると感じたいという欲求を満たすことがあります。SNSの「いいね」や「シェア」はその欲求をさらに強化し、正義感が過剰になる結果を生むのです。
一方で、SNSは「声なき声」を拾い上げる重要な役割も果たしています。これまで不正や差別に苦しんでいた人々が、SNSを通じてその実態を公にし、社会的な変化を促した事例も数多くあります。しかし、その正義感が暴走すると、個人を追い詰める暴力的な結果に繋がることも忘れてはなりません。
重要なのは、SNSでの「正義」と「道徳」を混同しないことです。本当の道徳的行動とは、ただ誰かを非難することではなく、問題を冷静に分析し、建設的な解決策を見つける努力をすることです。さらに、自分の発言や行動が他者にどのような影響を与えるのかを考える慎重さが求められます。
SNS時代の道徳には、匿名性や即時性が大きく影響しています。これらの特性が、正義感を拡大し、時には歪める原因になっています。正義を主張すること自体は悪いことではありませんが、それが自己満足や感情的な暴走に繋がらないようにするためには、ひと呼吸置いて「自分の行動は本当に道徳的か?」と問い直すことが必要です。
次回は「法と道徳は違うのか?」をテーマに、ルールを守ることと道徳的であることの違いについて考えます。法律に従えばそれで十分なのでしょうか?それとも、そこに見えない課題が隠されているのでしょうか?
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