3 スライム
竜平のかわいさに気をとられた一花は、一瞬対応が遅れた。するとその隙に、背後からヌトッとしたものが押し寄せてきた。感触としてはベタベタした巨大水枕。スライムの大群である。
スライムはぺたぺた一花の身体を包んでいく。ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺたぺたぺた。ひとつひとつは一花の手のひらに収まるくらいの大きさだが、集まったときのどうしようもなさがすごい。一花はもがいてみるが、ゼリー状のスライムに包まれて文字通り手も足も出ない。やっぱりスライムに腕っ節は効かないのである。
しかしどうしたものか、最初に口、次に鼻を塞がれた一花は、もう窒息までのカウントダウンを待つのみである。剥がそうにも全身を包まれたら身動きがとれない。一花はだんだんブラックアウトしていく意識の中で、スライムを序盤の雑魚キャラにした有名ゲーム会社のセンスを疑った。
しかし、なぜだか急に息ができるようになった。思わず咳き込む。目を開ける。透明なスライムを透かして見えたのは、竜平だった。必死になって銀色の小さな何かを振り回している。クッキーの型抜きである。
スライムに腕っ節は通用しなかったが、型抜きは通用したようだ。竜平が一花の口元部分のスライムを花形に抜いてくれたらしい。竜平は一花に向かって何か叫んでいる。でも、口以外の部分を包まれたままの一花には何も聞こえなかった。
竜平は必死にスライムを型抜きしていた。スライムにぽこぽこと花形の穴が空く。抜かれた方のスライムもまた、意思を持ってぴたん、ぴたんと動き始めるが、竜平は口に張り付かれる前に木べらで叩き落としていた。右手に型抜き、左手に木べら。失礼した。小さなスライムには腕っ節も効果的である。
どんどん型が抜かれていくにつれて、竜平の声が聞こえるようになった。「がんばれ」「もうちょっと」「生きて」竜平は必死になって型抜きを続けている。型を抜きすぎたのか、スライムの抵抗にあったのか、竜平の指先が切れて血が流れているのを見て、一花の中で何かが切れた。
一花は、もう一度スライムの中で力いっぱいもがいた。竜平のおかげで所々薄くなっていたのか、左手がずるりとスライムを突き破って外に出た。それを見た竜平は、集まってくるスライムを木べらではたき落としながら、一花の手を握って力一杯引っ張った。それはもうめちゃくちゃに、いろんな方向に引っ張った。その甲斐あってか、一花はスライムの中からずるりと生還した。鬼の形相で。
『・・・・・・おい』
一花は、地の底を這うような声で、呟いた。
それは小さな声だったが、スライムの動きがピタリと停止した。
『悪気がなかったとは言わせねぇぞ』
一花はゆっくりと立ち上がる。巨大なスライムはびくっ、と震えて、小さなスライム達が慌てて大きなスライムにくっつきに行った。
『私の大事な、大事な先輩に血を流させたんだ。ただで済むと思うなよ』
全部が合体したスライムは、びよーんと伸びて、威嚇のようなポーズをとった。
一花はスライムを睨みつける。そして、怒りが飽和した声で言った。
『お前らなぁ・・・・・・。レモン汁✖スライムで一枚描いてやろうか?』
三秒ほど間が空いた。緊迫した空気の中での三秒は長い。スライムは訳が分からない、といったように首をひねった、ように見える動きをした。
『スライムにレモン汁垂らしたらなぁ・・・・・・。溶けるんだよ。知らねぇの? 化学反応を起こして、跡形もないくらいどろっどろに。さぞ映えるだろうなぁ?』
あくどい顔で、値踏みするようにスライムをねめつける一花。そう、彼女は腐女子であった。友達に誘われてからハマり、一から十まで鑑賞・妄想・出力を経た腐女子だったのだ。
『塩でもいいな。塩を入れたらな、水分が塩に奪われて硬くなるんだよ。どちらにしろお前らのスライムとしての矜持はボロボロだろうなぁ?』
スライムがぶるぶる震え出す。死に近い怪異は、生きる力に弱い。生命力と言い換えてもいい。そして、R18的なことは、「生命力」のカテゴリには一応入るのである。
それに加えて、大体の怪異はそういうことに精通していないが、自分が屈辱的な扱いを受けていることくらいは怪異だって雰囲気で分かるのである。
『酢酸もいいな。レモン汁・塩・酢酸✖スライムで描くか。さぁぞ滑稽だろうなぁ?』
人間で言うところの塩酸・王水・大量のヒルと人間がエッチなことをする、である。御免被りたい。
と、竜平が一花に駆け寄って、レモン果汁の入った瓶を渡した。実は竜平は一花を引っ張り出した後、放心状態で座り込んでいた。しかし、スライムに語りかけながら目配せする一花に気づいて、瓶を喫茶店のキッチンから持ってきたのだ。
一花はゆっくり、非常にゆっくり瓶の蓋を開けた。そして、にっっっこりと笑った。
『さあ、取材の時間だ』
スライムは逃げていった。秒で。怪異といえども、よく分からないものは怖いのである。特に今回のような生まれて間もない怪異には、経験値がない分脅しが良く効くのだと、一花は経験から知っていた。
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