私と女性とモモイロハート

takemot

第1話

 ある日の学校終わり。私、たちばな春野はるのは、大勢の乗客たちに押されるようにして電車を降りた。何のキーホルダーも付いていない無個性な学生カバンを肩にかけ直し、急ぎ足で目的の場所へ。足を前に踏み出すたび、二つに結んだ髪がかすかに揺れる。


「ふう。意外と遠かった。このゲームセンターだよね」


 自動ドアの向こうに見える光の点滅。並ぶ数々の機械。ここからは聞こえないが、建物の中にはきっといろんな音があふれているのだろう。


 はやる気持ちを抑えながら辺りを見回す。大丈夫。隣町だし、同じ高校の誰かと鉢合わせることはないはず。本当は一旦家に帰って制服を着替えてから来た方がよかったのかもだけど。


 黒縁眼鏡のブリッジを中指で軽く上げ、足を一歩踏み出す。開く自動ドア。全身を包み込むワチャワチャとした機械音。思わず体が後ろにのけぞる。


「でさー」


「まじか。めっちゃすごいじゃん。あ、この後カラオケでよかったよな?」


「おお。早く行こうぜ」


 学生服姿の男子生徒二人が、笑いながら私の横を通過していく。背格好からするに中学生だろうか。高校生である私と接点があるはずもないのに、条件反射的に顔を彼らからそらしてしまう。


 彼らの声が自動ドアの向こうに消えたのを確かめ、私はクレーンゲームコーナーへ。


 あれはどこかな? 取りやすかったらいいんだけど。そもそも私、クレーンゲームなんて久しぶりすぎるし。


 カップラーメン。癒し系のぬいぐるみ。積み上げられたお菓子の山。機械の中に入っている景品をくまなくチェック。そうして店の奥の方まで来た時。


「あああ! 私のモモイロハートちゃんがああああ!」


 とんでもない叫び声が聞こえた。


 え? モモイロハート?


 それは、私の大好きなアニメの主人公。世界を悪から守るドジでおっちょこちょいな魔法少女。アニメ自体は少々古いが、今でも特定の層に根強い人気がある。そもそも今日私がここへ来たのは、モモイロハートのレアフィギュアがあるという話を風の噂で聞いたからだ。


 声のした方へ足を進める。クレーンゲームコーナーの最奥。そこにいたのは一人の女性。


 綺麗な茶髪に整った顔立ち。スレンダーな体つきだが、出るところはちゃんと出ている。その身にまとうのは紺色のビジネススーツ。


 彼女を形容するならまさに美人OL。たぶん、多くの男性が思わず見とれてしまうほどの。


 まあ、筐体に両手をついて悔しがっていなければの話だが。


「ううう。ごめんね、モモイロハートちゃん。私、もうお金なくて。そこから出してあげられないの」


 ガラス越しに話しかけてる……。


 美人OL? いや違う。変な人以外の何者でもない。


 まさか目的の物が目の前にあってこんな足止めをくらうなんて。どうしよう。とりあえず、あの人がいなくなるまで別のところで……。いや、お金が無くなったって言ってるし、もう私があの台使っていいのかな?


 つくづく判断の遅い私。それが裏目に出た。気づいた時、彼女の目はまっすぐこちらへ向けられていたのだ。


「あのー。そこの眼鏡かけた学生ちゃん、ちょっといいかな?」


 話しかけられた!?


「な、何でしょう?」


「ちょーっとお姉さんにお金貸してくれない? 後でちゃんとお礼するからさ」


 両手をこすり合わせながらぎこちない笑みを浮かべるその姿は、恐怖を感じるには十分すぎるほどの威力を持っていた。


 か、カツアゲ!? え? 私に?


 震える体。乾く唇。背中をつたう冷や汗。本能が逃げろと叫んで知る。けれどできなかった。私の足は、恐怖で棒のようになっていたから。


「お願い! 百円だけでいいから!」


「え、えっと」


 だ、だだ誰か助けてー!


 女性から顔をそらす私。視線の先には、モモイロハートのフィギュアが入った箱。パッケージに描かれた彼女は満面の笑みを浮かべている。こんな時でも彼女を可愛いと思ってしまうのは、私の頭が現実逃避を求めているからなのだろうか。


「あれ? もしかして君、あのクレーンゲームやろうとしてたの?」


 私の視線に気がついたのか、女性がそう尋ねてきた。


「あ。は、はい」


「うそ!? もしかして同志!? 君、モモイロハートちゃん好きなの!?」


 目を大きく見開く女性。キラキラと輝く星が見える。彼女の圧に押され、私は後ずさりながら小さく頷いた。


「うわー。まさかこんな所で同志と会えるなんて。感謝感激だよ」


 女性はこちらとの距離を一気に詰め、何の断りもなく私の両手を握る。きめの細かい肌。花のようないい香り。そして、モモイロハートに負けないくらいの満面の笑み。恐怖と、恐怖以外の何かが混じった心臓の高鳴りが私を襲う。


「あ。ゲーム、交代しないとだね。頑張って。モモイロハートちゃんが君を待ってるよ」


 先ほど私にお金をたかったのが嘘だったかのように、女性はクレーンゲームの筐体を指差した。

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