誰も君には優しくしないけど、君は世界を救ってね。
園業公起
第1話 ファーストキスはミネラルウォーターで洗い流せ
ソファー席に座り、お医者の先生と向かい合う。
「薬は効いているようだね。顔色はこの間よりはいいようだ」
「ええ。日中の思考は悪くないですよ。でも出来れば安定剤ください」
「それはなんでだい?ぼーっとしちゃうよ」
「昼ぼーっとしてる方がいいんですよ。夜寝ると怖い夢ばかり見ます」
「そうか。まだ克服はできてないんだね」
「簡単には言わないで欲しいな」
「むしろこの間の一件で君のトラウマは回復すると思っていたんだよ。なにせ異次元からの侵略者から世界を唯一救うことが出唯一勇者になったのだからね。その栄光に比べれば君の過去なんて」
「理屈の上でならわかってますよ。でも駄目だよ。駄目なんだよ。ちらつくんだよ。恐怖と屈辱が。夜になると僕の枕元にやってくるんだ。そして言うんだ。お前は大した存在じゃないんだって」
「だが君は偉業を達成した。全人類を守ってみせた」
「守った人の中に僕を傷つけた人がいるじゃないか。ああ。なんで世界なんて守ってしまったんだろう。僕はなんであんなことをしてしまったんだ」
僕は遺憾ながらも自分を傷つけ壊した人々がいる世界を守ってしまった。だから永遠に救われない道を歩むことしかできなくなったんだ。
その日の僕は保健室でぼーっとしていた。安定剤を飲んで眠気に身を任せるこの時間だけが僕の人生で穏やかな瞬間だった。
「元気なら教室に来なさいよ」
幼馴染の百合葉がそう言った。僕を見てどうして元気だなんて言えるのだろう。元気じゃないからこうして横になっているのに。
「寝てるだけでしょ」
この子は何もわかっていない。僕の頭はいつでもしゃっきりと働いてくれるわけじゃない。夜は悪夢に魘されて疲れる。元気な時に寝ていないと辛い。
「そんな薬ばかり飲んでるからじゃないの。体動かしたりみんなと仲良くしたりしたらきっと治るよ」
「やめろよ」
彼女は僕から薬を奪おうとした。だから僕は彼女の手を払った。
「なんにもわかんないくせに僕から薬を奪うな。メンヘラなめんじゃねぇよ。好きでやってるわけじゃねえんだからな」
抗うつ剤に非定型抗精神病薬、安定剤、眠剤。これらがなきゃいつ死んでもおかしくないのだ。彼女にはそれがわからない。心の病を根性の世界で捉える旧世代の中世人なのだ。僕みたいに脳の病気ととらえることが出来る近代人とは違う生き物なのだ。
「頼むから消えて。鬱陶しい」
そういうと彼女は哀しそうな顔で去っていった。わからずやは目の前からいなくなった。僕はゆったりとまどろみに沈む。だがそれを邪魔するものがいた。サイレンが大きな音でなり始めたのだ。
『全員避難シェルターへ!急いでください!』
そういう放送が流れて生徒たちが慌てて地下へと向かうエレベーターへと殺到する。
「うそだろ?!ついに本土まで?!」「い、いやだ!死にたくない!」「誰か助けてぇ!」
エレベーターの前は阿鼻叫喚。うるさくてかなわない。そこへ混ざっていく元気は僕にはなかった。
「そう言えば今日も死にたかったな」
だから僕はこのまま校舎に残ることにした。そして校庭の方に出てベンチに横たわって飛び交うミサイルや戦闘機の光をぼーっと見ていた。
「ねぇ。あなた。死ぬのが怖くないの?」
いつの間にか近くにピンク色の髪の毛の美しい少女が立っていた。
「うるさいな。君もあれか希死念慮に文句を言うたちか。放っておいてくれ」
「ねぇ。普通は私みたいな美少女に話しかけられたら、反応するものじゃないの」
それは脳がまともに働く人間の思考法であって僕には関係ない。性欲なんて感じない。何があっても心は鈍感なままだ。
「ねぇ。このまま、世界がどうなってもいいの?」
「それを決めるのは僕じゃない」
どうでもいい。世界が自分の力じゃどうにもならないことくらい昔から知っている。今更異次元から侵略者が来ようが知ったことじゃない。
「ねぇ。じゃあ。あなたに決めさせてあげましょうか?」
僕はピンクの髪の女の子を無視する。こいつもきっと僕とご同類か、気合の入った中二病の類なのだろう。
「うん。そうしましょう。あなたに世界を救わせてあげるね」
そう言うとピンクの髪の女の子は僕の唇にキスしてきた。気持ち悪い。僕は自動販売機の缶ジュースさえ飲めないくらいの潔癖症だ。コンビニのホットフードコーナーも嫌いだし、肉まんも大嫌いだ。牛丼屋もラーメン屋もハンバーガーやも全部綺麗だと思えないくらいなのだ。だから他人の唇なんて触れるのも悍ましい。僕は女の子の肩を押して体を離す。そしてすぐに唇をぬぐって、唾を何度も吐いて少しでも彼女の唾液を体から取り除きたかった。
「気持ち悪いんだよ!何すんだ!」
「せっかくのわたしの初めてのキスなのにそんなにするのね…」
「うるさい!もういい!消えろ!」
僕はその場から立ち上がり、近くの自販機に向かう。ペットボトル入りのミネラルウォーターを買って蓋を開けて、その水で唇を拭いて、唇をゆすぐ。やっと気持ち悪い心臓の高鳴りが収まってきた。
「そんなことしてる場合じゃないよ」
「煩いって言ってるんだよぉ!」
「ほら。すぐ近くに…」
少女が空を指さす。そこには巨大なエイのような怪獣が飛んでいた。ミサイルやレールガン、ビームやレーザー様々な攻撃にさらされているのに一向に傷つく気配がない。怪獣は悠々と空を泳いでいた。それを僕は美しいと思った。
「綺麗だけどあれが世界を滅ぼすの。でもね。今あなたに世界を守り救う力を与えたわ」
僕はそれをシカトする。そんなことよりも彼女が僕の口の中に入れてきた舌の生ぬるい気持ち悪い感触が今も残って辛かった。そうだ。汚い。汚いのだ。目の前の女の子は汚い。綺麗にしなきゃ。僕の視界が黒く染まっていく。同時に手に重たい何かを感じた。
「使い方はわかるよね?外しちゃだめだよ」
少女の後ろにエイが泳いでいた。僕は彼女を消し去るために右手を振るった。その黒い光は彼女を飲み込みそのまま空を走っていき空飛ぶエイを捕らえて真っ二つにしてしまった。
「…あれ?」
そしてエイは虹色の光を放って爆発して何の痕跡も残さずに消えさった。世界は怪獣に滅ぼされることなく救われてしまった。僕が救った。救ってしまった。
その後僕は政府に拘束された。その間はずっと薬も飲ませてくれなかった。世界は真っ暗にしか見えなくなったのだった。
誰も君には優しくしないけど、君は世界を救ってね。 園業公起 @muteki_succubus
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