1-6 エーテル

 距離を置いていた母親―――ロゼとの関係は思っていたよりもずっと良好だった。

 あの日、緊張の面持ちで母の部屋へと赴いた僕を出迎えたのは慈愛に満ちた彼女の笑顔だった。

 その時の会話は数年ぶりとは思えないほど他愛なく。

 穏やかな時間の中、母と子のなんてことのないやりとりが交わされた。


 そんなやりとりから時間は経ち。

 ギルバートとなってから三日が過ぎようとしていた。

 この三日間、僕が何をしていたかと言うと。

 

「おい、聞こえているのはわかってるんだ。さっさと出て来い」


 屋敷の最上階よりも更に上。

 誰もいない屋根の上で一人、虚空に声をかけ続けていた。

 最初、これを屋敷の庭で始めようとして寸でのところで取りやめたのは英断だったと言える。

 そうでなければ今頃、レイザス家の人間たちから気が触れたと思われていたことだろう。


「どうせ暇なんだろう?なら少しくらい手を貸してくれたってかまわないんじゃないか?」


 実はレイザス家の一部の人間から急に屋上で誰かに向かって話し始めたことで頭のほうを心配されていたのだが、僕は終生そのことには気付かないのであった。


 ―――何故、こんなことを?という疑問が浮かんでいるだろうが別に僕は遊んでいるわけでも、諦めているわけでもない。

 ただ、原作知識に乗っ取ってすべきことをしているだけなのだ。

 この何の意味もないかのような行為こそがエーテル病に対して僕が取れる最善の手段であることが直にわかるだろう。


「なぁ、いい加減―――


『あー!もう!うるさーい!』


 ほらきた。


『毎日毎日飽きもせず!頭がおかしいんじゃないか!?』


 少女とも少年ともとれる声の主が苛立ちを隠しもせずに僕に罵声を浴びせる。

 姿は見えない。

 すぐそばで声がするのに僕の瞳に映るのは青い空だけだ。

 あぁ、いい天気だなぁ。


「やっと釣れた」


『何が釣れただ!ボクが無視してるってわからないかな?』


 こいつ。やっぱり無視してやがった。

 原作通りいい性格してやがる。


「お前、やっぱり聞こえてるんじゃないか」


『あたりまえじゃないか。ボクはどこにだっているんだ。はぁ―――そんなことより!最初は頭のおかしなヤツとしか思っていなかったけど―――キミ、ボクがわかってるよね?そうでないと、ここまで鬱陶しくボクに声は届かないし』


 姿の見えない声の主、コイツの正体はだ。

 この世界にありふれるエーテル。

 あれは単なるエネルギーじゃない、そこには明確な意思が存在する。

 エーテルに確信をもって話しかけること。

 それが、原作でコイツとコンタクトをとる条件なわけだが―――長すぎる。

 主人公はたった一言でよかったっていうのに。

 原作でギルバートが数日かけていたことを前もって知らなければ流石に心が折れていただろう。


『この時代、ボクに最初に話しかけるのはキミじゃない筈なんだけどなぁ』


「予定通りだとしてもすぐには応じないだろお前」


 そう、コイツは人によって態度が違いすぎるのだ。

 原作では主人公との対話にフォーカスを当てられていたため比較的イイヤツに見えるが、僕含めた攻略対象達はかなり雑な扱いを受けていたと記憶している。


『よくわかってるじゃないか。よいしょ』


 軽い掛け声と主に白銀の髪の子供が突然目の前に現れた。

 金剛ダイヤモンド色の瞳を持ち、少女とも少年ともとれる見た目。

 腰まで伸びる髪の長さから性別に当てはめようとしたところで思考をやめる。

 エーテルに性別はない。

 そういう次元の存在ではないのだ。

 この姿もきっと僕にしか見えていないのだろうから。


『キミにとっての神というイメージを出力してみたんだけど、なるほどそういう趣味か』


 ―――違うわい。

 直近であった神様的な人がそういう見た目だったんだよ。


「自分で神を模するなんて随分だな」


『ボクはその神の眷属みたいなものだからね。この世界をこの世界たらしめるために必要不可欠な存在。それがボクなんだよ』


 重力なんてないかのように、自由自在に宙をクルクルと舞うエーテルは得意げに僕に笑みを向ける。

 まぁ、そう言っても差し支えない力がコイツにはある以上、疑う必要もない。

 僕自身もその力をアテにしているわけなのだから。


「なるほどなぁ。じゃあ、そんな神の眷属であるエーテル様にお願いがあるんだけど」


『む、引っかかる言い方だけど。いいよ。聞くだけ聞いてあげる』


「母上のエーテル病を治してくれ」


『無理だね』


 まぁ、そう言うだろうな。

 主人公に対してもそこの線引きだけはしっかりしていた。

 望むものだけを得られる都合の良い話はどこにもない。

 エーテルは決して人間の味方というわけではないのだ。


「何でだ?お前なら簡単に治せるはずだろう」


『キミたち人間は自ら望んでなったんじゃないか。許容量を越えたエーテル吸収が躰に悪影響を与えるなんて馬鹿でもわかるだろうに、魔法なんていう分不相応なモノのために運用するからこうなるのさ。キミたちはエーテル―――ボクを争いの道具にした、その代償だよ』


「すべてがじゃないだろ」


『一緒だよ。空飛ぶ魔法も火を起こす魔法も、そのすべては争いへと繋がっている。貴族のキミなら腐るほど見てきたんじゃないかい?戦争のための魔法、武器、兵士。この国の生きるのに精いっぱいの連中を。今じゃこんなものが世界中にありふれている』


「耳が痛いね」


『望んで破滅するやつらなんてボクに見放されても仕方ないだろう?』


 だから、エーテル病に対して何もしないってわけだ。 

 まぁ、そのことを咎めても仕方がない。

 コイツの感性は人間とはかけ離れているのだから。


「―――対価」


『うん?』


「対価を払う」


『へぇ、面白いね。ボクに対して怒ったりしないんだ』


 僕の反応が予想と反していたためか、

 エーテルは少しばかり驚いた表情を浮かべた。

 確かに、母親を見殺しにされようとしていることへの憤りはある。だが、


「だって、仕方ないだろ?」


『うん、そうだね。仕方ない、仕方ないんだ。なるほど、いいね。どういうわけかキミはボクへの理解が随分と深いようだ。面白いね―――そんなキミがボクに何を対価に差し出すつもりなのか、少し興味がわいたよ』


 原作で主人公が差し出したものは僕が持ちえないモノ。

 なら、僕はそれ以外のもので釣り合うものを提示する必要があるわけだが。

 コイツが首を縦に振らざるを得ないモノを僕は持っている。


「僕が差し出せるもの。それは―――知識だ」


『知識だって?確かに僕は常に知識を求めている。でもね、悪いけどそれは対価にならないよ。なにせ、ボクはこの世界のすべてを知っているんだ。何を差し出すかと思えばくだらない。少しは期待していたんだけどね』


 キミにはがっかりだよ、とエーテルはため息をつく。

 まるで壊れた玩具に興味を失ったかのように。


「まぁ、話は最後まで聞けよ。お前が知っているのはのすべてだろ?」


『だからそう言ったじゃないか。分かりきったことを質問するのは愚者のすることだよ?』


「―――なら、それ以外はどうなんだ?」


『何が言いたいのかな?それ以外って―――まさか!』


 対価とするものが何か気付いたエーテルは目の色を変える。

 そして、気付いただろう。

 僕がこの世界の人間ではないということに。

 看破されるのは織り込み済み。

 ギルバートになった時からわかっていた。

 僕がどれだけ事実を秘匿したとして。

 エーテル相手にだけは隠し通し事はできない、と。


『まさかそんな、いやでも―――そうか、だからキミは』


「どうする?これは僕からしか得られないモノだぞ、まぁ口外厳禁だがな」


『―――ふふ、いいよ。乗ってあげるよ。キミと契約しようじゃないか』


 これが、僕とエーテルの出会い。

 これから幾度となく力を借りたり役に立たなかったりする相棒との契約の始まりだった。






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