第2話 車窓を見つめる諦観

 電車を止めたことに関しては、「各駅停車と間違えた」と駅の人に謝って許してもらえた。

 もしかしたら警察なんかも来て大騒動になるかもしれないと覚悟したのだが、厳重注意で済んだのは不幸中の幸い。

 遅延もそれほどなく電車の運転は再開され、現在俺は白崎とともに学校へ向かうガランドウの電車のなか。

 まるで、何事もなかったかのように――。


「それで、あなたは私をどうしたいの」


 ……そうは問屋が卸さないよな。まぁ、こちらも卸すつもりはなかったから好都合ではある。

 白崎明は綺麗な顎の輪郭を上げたまま、流れ行く車窓を眺めながら呟いた。その声は平坦で、捉えようによっては諦観のようにも思える。

「どうしたいってのは、どういうことだ」

「自殺を止めて駅の人には嘘をいて、電車に乗ってどこにいくの?」

「どこって……学校だろ」


 その答えに、ようやく白崎明は覗き込むように俺のほうを見た。


「学校? どこかに遊びに行くんじゃないの? やくあるじゃん。そういうの」

「……ああ、生きる喜びを教える的なやつか? 悪いが俺には無理だ。生きることに喜びを見いだしてもないしな」


 白崎明が言ってることはわからなくもない。昔からそういうのはロマンでもあるのだから。学校を抜け出して遊びに行く、仕事を放りだして旅行に行く……形は様々だが、目の前にあることを一旦放って新しい冒険に出かけるのは生きる目的を見つけるのに有効な手段なのかもしれない。

 だが、俺にはそんなのできやしない。


「生きることに喜びを見いだしてないのなら、なんで生きてるの?」


 見つめてくる丸い瞳は瞬き一つしなかった。


「そりゃあ、死にたくないし死ねないから生きてるんだろ」

「あまり良い答えじゃないんだね」


 その視線が興味なさげにフッと途絶えた。はぁ、これだから自殺少女ってやつは。

 それに俺はやれやれと首を振るう。


「わかってないな? 死にたくないし死ねないってのは俺たちが産まれた瞬間から持ってる結論なんだぜ? それ以外に強い理由なんてあるのかよ」

「その結論が『死にたくなった』に変わったら終わりじゃない。その理由はもろ刃の剣でしょ」

「前提として、死にたい奴なんていないと思うがな。もし仮に死にたくなったのだとしても、その理由に勝る生きたい理由を簡単に見つけられるとは思えない。俺が言ったのはわば重量の話だ。生きたいと思うよりも、死にたくないと思うほうが何倍も重いし楽だろ」

「じゃあ、あなたは死にたくないと思いながら死んだように生きてもいいってことね」

「それの何が悪い? そんなのは俺だけじゃなく、だいたいがそうだろ。みんなわりと絶望しながら毎日を生きてる。大事なのは、自分だけが不幸なんだと思い込まないことだ。みんな不幸なんだと考えれば自分の不幸なんて耐えられるし、下を見ればもっと悲惨な人生を送ってるやつもいる」

「あー……あなたって上を見るんじゃなく、下を見るタイプなのね」

「下を見るのは前に進むためだろ。上ばっか見てる奴らはだいたい足元すくわれて終わる」

「なにそれ、全然うまくないけど」


 トンチを利かせた渾身の返しはバッサリと切り捨てられてしまった。


「……ともかく、俺はお前をどこかに連れ出して生きる喜びを教えようなんてことはしない」

「じゃあ、このまま学校に行ってハイ終わり? そんなことしか出来ないのなら――」

「止めなきゃよかったのに、ってか?」


 いだ返しに白崎明は何も答えなかったが、その沈黙こそが答えなんだろう。

 だが、死のうとしている奴を目の前にして、みすみす何もしないなんて無理な話だ。そんな先の事を見据えて行動を選択できるほど俺は冷静でもなければ冷徹にもなりきれはしない。

 それでも、言いたいことがわからないわけではなかった。


 だから、俺はこういう時に備えてある決め事・・・・・をしている。


「一週間だ」

「……一週間?」

「ああ、まずは一週間全力でお前と関わる。それで死にたくない本来の思考にお前を戻す」

「できなかったら?」

「できなかったら、土下座してもう一週間伸ばしてやる」

「なにそれ……土下座なのになんで上から目線なの」


 白崎明は呆れたように息を吐いた。


「いいよ。どうせあなたが止めなきゃこの時間すらなかったんだし。最初から何でも従うつもりだった」

「何でも従うって、いやに投げやりだな」

「だってそうでしょ? 「ヤらせろ」って言われてもそうするつもりだった」


 その言葉にギョッとして白崎明を見たが、彼女は平然と車窓の向こうを眺めたまま。その顎下から伸びる首もとから胸にかけての女性らしいラインを思わず目で追ってしまい、無理やり視線をもとに戻すと咳払い。いかんいかん。


「ちなみに聞いておくが、お前がやろうとしていたことは復讐とかじゃなかったか?」

「……復讐って?」

「あるだろ。死ぬことで完成する復讐ってやつが。人ひとりの命を奪ったことに対する責任を特定の誰かに誘導させるやり方が」


 白崎明はしばらく疑問符を浮かべていたようだったが、やがて「あぁ」と小さく声を漏らした。


「それって、例えば私が遺書とかSNSに「〇〇さんにレイプされました」とか残すみたいなこと?」

「エグい例えするなよ……だがまぁ、そういうことだ」

「違うわ。死のうとしたのはそんなことのためじゃない。それに私は処女だし」

「……へぇ、そうか……それならまぁ良かった」

「なんか鼻の下伸びてない?」

「伸びたんじゃなくお前がわざと伸ばしてんだろ……やめろよなそういう事言うの。反応しづらいだろ」

「他に聞いておきたいことは?」

「まぁ、ないな」


 そう返すと、白崎明はジッと俺を見てきた。


「なんだよ……」

「いや、別に。あと私から一つ聞いてもいい?」

「なんだ」

「あなたの名前は?」


 その質問で、俺は自己紹介をしていなかったことに気づいた。


「二年の深井沢ふかいざわ隼人はやとだ」

「二年の白崎明よ」


 そんなとき、ちょうど電車は学校の最寄り駅に到着。俺が座椅子から立ち上がると、次いで白崎も立ち上がる。

 時刻は9時半を過ぎていた。

 学校に着く頃には一限目が終わっているだろう。

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