優しいクリスマスライブ
マイペース七瀬
第1話
2024年12月20日。
東京・品川。
今日は、会社のクリスマス会だった。
40代後半になっている会社員のワタルは、最近、交際をしている30代の女性社員のミキと喧嘩になった。
この間、横浜出身のワタルは、大阪出身のミキに
「オレ、ミュージシャンになりたかった」と言ったら
「そんなのなれないじゃん」と素っ気なく言われた。
ワタルは、ミキより一回り以上年上だが、ミキは、昔の90年代の音楽事情なんて知らなかった。
そして、ミキは、こんな弱腰のワタルが、人前で歌うことなんてできないと決めつけていた。
いや、軽い冗談のつもりだったのだが、最近では、ミキとワタルは、挨拶すらしていない。
会社のクリスマス会が、始まった。
ワタルは、実は、「僕は、いきものがかり『スピリッツ』を、6分歌います。踊りながら歌います」
と言った。
みんなは、そんなにかくし芸ができるわけではなかった。
いや、手品をしている人がいたが、この年齢になって、ワタルが、いきものがかり『スピリッツ』を歌うなんて、思っていなかった。
ーはい、それでは、次は、宮坂ワタルさんが、いきものがかり『スピリッツ』を歌います
と司会の人が言った。
その瞬間、いつも、大人しそうなワタルが
「イエーイ」
と言って
ーclap your hands!
ーOK?
なんて掛け声を、ワタルは、かけた。
ー遠く遠く輝ける星になれ!思い焦がれ戦ってきた栄光よ今ここにあれ
と急に渋い声で歌った。
それだけではなく、ワタルは、踊っていた。
読売巨人軍のチアガールが、いきものがかり『スピリッツ』の曲が流れている時、踊っているような、踊りを、ワタルはしてみせた。
何とそれを、6分歌っていた。
勿論、ミキは、ずっと、いきものがかり『スピリッツ』を歌っているワタルを、ずっと、凝視していた。
そして、声を失っていた。
オーディエンスは、みんな、拍手をしていた。
ミキだって、この動画を実は知っていた。
歌い終わった後、ワタルは、みんなから「すごいなぁ」と言われていた。
しかし、面白くはなかった。それは、ミキが、面白くなかった。思わず、自分が、悔しかったのだから。
実は、ワタルは、学生時代、軽音楽をしていたが、ミキにその事実を言っていなかった。
そして、ひと段落がしたとき、ミキは、少し、複雑な顔をして、ワタルのところへ行った。
「今日、いきものがかり『スピリッツ』を歌っていたよね、凄いじゃん」
「あ、ああ、ありがとう」
「だけどさ、まだ、私、怒っているよ」
困った。ワタルは、思った。
「今度さ、24日、仕事が、終わったら、一緒に行ってほしいところがあるんだ」
「どこ?」
「京急の堀之内」
「どうして、そんなところ?」
と言った。
2024年12月24日。
ワタルは、一緒に、品川駅から、京急電車で、堀之内駅まで行った。
勿論、ミキも一緒だった。
♭ハーバーライトが朝日に変わる その時 一羽のかもめがとんだ
と堀之内駅のメロディーが、流れた。
ワタルは、ミキと堀之内駅の改札を出た。
「こんなところまで来て、何がしたいの?」
と少し、じれったくワタルは、問いかけた。
しかし、ワタルも、何故か、ミキを手放したくない気持ちもあった。
「ここで、渡辺真知子『かもめが翔んだ日』を歌って」
「ええ」
「歌ったら、仲直りしてプレゼントするから」
とミキは、言った。
堀之内駅から、少し離れた公園だった。
夜だから、人気はない。
♭ハーバーライトが朝日に変わる
その時一羽のかもめがとんだ
港の坂道駆け上がるとき
と歌った。
3分ちょっとだった。
渡辺真知子『かもめが翔んだ日』を歌い終えた。
「渡辺真知子『かもめが翔んだ日』を歌ったぜ」
「少し、歌詞を間違えたけど、上手いじゃない」
「まあ」
その時だった。
ミキは、素早く、ワタルの頬っぺたにキスをした。
それは、ワタルのミキへの2024年12月24日の優しいクリスマスライブだった。二人は、その後、仲直りをしたらしい。(完)
優しいクリスマスライブ マイペース七瀬 @simichi0505
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