祈雨

千賀まさきち

1話:雨氷《あまごおり》の国

《キウ》と呼ばれる宝玉がありました。

それは不思議な力を持っていて、雨を呼ぶことができるのです。

それは一つの国に、それぞれ一つ。

千年に一度、代替わりすると言われています。





「リル。おいで」


 ある日のこと、リルはお父さんに呼ばれました。


「なに? 父さん」


 リルはズゥと遊ぶ手を止めて、首をかしげました。ズゥというのは、リルと一緒に育った鳥のことです。大きな翼と鋭いくちばし、とがった爪を持っています。鳥といってもズゥはリルの一番の友だちで、相棒でした。


「いいから。ついて来なさい」


 お父さんはくるりと背を向けて、足早に遠ざかっていきます。そして吸い込まれるように、薄暗い森へと入ってしまいました。

 リルは驚きました。なにしろその森は、大人たちから「絶対に入ってはいけない」と、厳しく言われていた場所だったのです。森の奥には深い谷があって危ないからだとも、化物が出るからだとも言われていました。そうでなくとも森は昼でも薄暗く、不気味な感じだったので、近くの子どもは近寄りません。「そんな場所になぜ……」とリルは不思議に思いましたが、お父さんがついてこいと言うのです。リルはあわててズゥを肩に乗せると、その背中を追いかけました。


 走っていると、口から白い息があがります。

 リルの暮らす《雨氷あまごおりの国》は、とても寒い土地でした。そろそろリンゴの実も膨らみ出したというのに、朝晩には霜が降りるほどです。リルはかじかむ指先を袖の中へひっこめると、自分の左肩に向かって話しかけました。


「ううぅ。寒いね。ズゥ」


 ズゥは自前の羽毛があるので、それほど寒くないのでしょう。クルル、と不思議そうに鳴いています。リルがズゥに話しかけていると、「独りでしゃべっているように見えるから止めなさい」と、お母さんは眉をひそめます。確かにズゥは、人の言葉を話すことはできません。しかし、じつは人の言葉を理解しているのではないか? と感じることも多かったのです。いつのまにかリルは、ズゥに話しかけるのがクセになっていました。



「リル。こっちだ」


 どれほど進んだでしょうか。お父さんが立ち止まり、手招きしています。そこは崖の淵でした。リルはおそるおそる駆け寄ると、お父さんが指差すほうを見つめました。

 目の前には大きな、言葉では言い表せないほど大きな、氷の塊がありました。リルの瞳も、大きく大きく見開かれます。


「お父さん。これって……」

「ああ。これが、この国の《キウ》だ」


 雨氷の国のキウは、大きな氷の塊です。この氷が溶けだして、雨を呼ぶといいます。


「表に出ている部分は、リルも見たことがあるだろうが……」


 お父さんの言葉に、リルは目を輝かせました。

 リルが暮らしている街の中心には、《キウの祠》があります。キウを祀り、雨を願うのです。祠には、見上げるような氷の塊が安置してありました。皆は、これこそが《雨氷の国のキウ》だと思っています。しかし祠にある氷の塊はほんの一部分。じつは地面の下に深く深く続いていて、キウ本体とつながっているのだ。そうお父さんから教わったことを思い出したのです。

 お父さんが「これが《キウ》だ」と言うのです。ということは、この巨大な氷の塊こそが、《キウ本体》ということなのでしょう。


 リルは巨大な氷の塊を眺め、ため息をつきました。青白く、ぼんやりと光り、ところどころでキラキラとした輝きを見せています。祠にある氷の塊も美しいですが、スケールが違います。キウを間近で見ることができるなんて、リルは思ってもみませんでした。


 キウはこの国の皆のものですが、誰でも勝手ができるものではありません。ただ、リルのお父さんは別でした。リルのお父さんは、雨氷の国の《キウ守の役》なのです。

《キウ守の役》というのは、《キウ》を管理し、護り、使役する役目を担う人のことです。リルは、お父さんがそんな大切な役目をしていることを誇らしく思っていましたし、いずれは自分も《キウ守の役》になりたいと考えていました。


 今は何か手伝いをしているわけではありません。しかしよくよく思い返してみると、ことあるごとにお父さんは《キウ》のことを教えてくれていたのです。

 祠の氷の塊はキウ本体でないこと。本体とは地面の下でつながっていること。氷の塊が溶け出して雲ができ、それが雨を降らせること。雨を降らせても氷が無くならないのは、ふたたび凍って成長するからだということ。

 本来、《キウ守の役》しか知らないようなことまで、お父さんはリルに教えてくれていたのです。リルは、なんだか嬉しくなりました。しかしキウを見つめるお父さんは、うかない顔をしています。


「お父さん?」


 不安げなリルの頭に手を乗せて、お父さんはちょっとだけ乱暴にかき回しました。そしてリルに聞きました。


「リル。近ごろ流行っている、キウについての話を耳にしたか?」

「キウの話?」


 リルは首をかしげました。キウのことなら、普段から何かと話にあがります。なにしろそれは、天気の話をするようなものです。お父さんは、ふむ、と聞き方を変えました。


「つまり、キウのよくないうわさ話だ。聞いたことはあるか?」

「よくない話? キウの?」

 あっけにとられ、リルは口をあんぐりと開けました。キウのことを悪く言うなど、考えられません。しかしふと、引っかかったことがありました。


「そういえば、キウが小さくなっているって……」


 それは先日、街の祠で耳にした話でした。祠で氷の塊を拝んでいた人たちが、キウが縮んでいるのではないか、そのせいで雨があまり降らないのではないか、と囁きあっていたのです。

 そう言うと、お父さんは渋い顔をしました。


「リル。お前はまだ子どもだから、直接キウに触れさせるわけにはいかなかった。だが俺は、お前に《キウ守の役》を継いで欲しいと思っている。キウについての様々を教えてきたつもりだ。そのつもりで、心して聞きなさい」


 リルは神妙にうなずきました。


「噂のとおり、キウは小さくなっている。雨を降らせた後、うまく氷が育たないんだ」


 お父さんはそう言って、目の前の崖を指しました。谷底へと続く穴は大きく深く、ぽっかりと口をあけています。ズゥのような翼でも無ければ、渡るのは難しいでしょう。


「以前、ここは崖ではなかったんだよ。ここまでキウの氷が埋まっていて、歩いて向こう岸に行くこともできた」


 お父さんはため息をついて、肩を落としました。どことなく、寂しそうです。


「色々と調べてみたのだが、どうも本当に、雨を降らせる力が弱まっているらしい。俺は、《キウ》の寿命が近いのではないかと、思っているんだ」


 驚きました。だとしたら一大事です。この国に、雨が降らなくなってしまうかもしれないのです。リルは息をのみ、「信じられない」とばかりに聞きました。


「キウの寿命がくるの? 本当に?」

「それは分からない。キウは千年に一度生まれ変わると言われているが、千年も生きる人間はいないからなぁ」


 お父さんは、困った顔で首を横に振りました。しかし、とお父さんは言葉を続けます。


「それでもこの国のキウが、小さくなってきているのは本当のことだ。だからリル。お前に頼みがあるんだよ」


 リルは首をかしげました。いくばくかの知識はあっても、リルは《キウ守の役》ではありません。そんな自分に、いったい何ができるというのでしょう。


「リル。次代の《キウ守の役》として、《新しいキウ》を探してきて欲しいんだ」


 その言葉の重たさにリルの喉が、ひゅっ、と音をたてました。


「キウは一つの国に一つ。他の国のキウについて知れば、その寿命や代替わりについて、何か分かるはずだ。他の国のキウを、わけてもらうこともできるかもしれない」


 お父さんは、リルの両肩を掴みました。ズゥが慌ただしく羽ばたいて、腕のほうへと移動します。お父さんの手が震えているのは、寒さのせいだけではないのでしょう。


 怖い。リルは思いました。

 他の国へ行ったことなどありません。それどころかリルが独りで行ったことがあるのは、せいぜい二つか三つ先の街まででした。そんな近くの街ですら、じつはとても心細かったのです。独りで他の国まで旅をするなどとんでもないと、リルは頭をゆらゆらと揺らしました。

 しかし同時に、お父さんの力になりたいとも思いました。キウの寿命は国の一大事で、お父さんは《キウ守の役》です。もしかすると、責任を問われるかもしれません。


 リルは、勇気を出してうなずきました。それにお父さんが言うのです。他の国へ行き、その国のキウを知れば、きっと雨氷の国の新しいキウも見つかるでしょう。


「そうか。行ってくれるか」


 お父さんは、表情を崩しました。それは嬉しいような、悲しいような、喜ばしいような、誇らしいような、寂しいような、そんな笑顔でした。

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