フォージ・フロント:ファースト・ショー

@mekurino

フォージ・フロント:ファースト・ショー(上)

 高級感漂うロビーには、穏やかなジャズが流れていた。時計が午後6時を指し、ホテル「ルミナス・コート」のフロントには、各国から訪れた客が次々とチェックインしていく。リッチな観光客、ビジネスマン、そして時折現れる謎めいた人物たち。それはどこにでもある一流ホテルの風景のように見えた。


ウェイターがグラスを手に静かに歩き、コンシェルジュが笑顔で丁寧に案内する一方、フロントの奥にあるエレベーターは特別なアクセスコードなしでは動かない。それを使う者たちは、観光客ではない。彼らの目的は、ラグジュアリーな宿泊でも商談でもなかった。


エレベーターは静かに地下三階へと降りていく。その扉が開くと、そこはまるで別の世界だった。コンクリートの壁に埋め込まれた大型スクリーンには、国連や各国政府から極秘指定された任務が次々と表示されている。その隣には最新鋭の武器庫があり、ライフルからドローン、さらには実験的なプロトタイプ武器まで整然と並んでいた。ここは、ホテルではなく、世界中の闇の仕事を引き受ける傭兵集団「フォージ」の司令部だった。




 作戦会議室に足を踏み入れたのは、ホテルの支配人にして「フォージ」のリーダー、レイモンド・“レイ”・カーターだった。彼は完璧にプレスされたスーツを着こなし、手にはタブレット端末を持っていた。その冷徹な瞳は、常に全体の状況を見据えている。


「新しい依頼が来た」

レイが短く告げると、室内にいたメンバーたちの動きが止まり、全員が彼の周りに集まった。


会議室の中央に設置された大型スクリーンが明るくなり、地図が表示される。赤く点滅するのはモンテネグロ。次に現れたのは、一人の男性の顔写真だった。その冷たい目と厳格な表情は、全てを支配する権力者そのものを体現している。


「名前はニコラ・ドラゴビッチ。モンテネグロの独裁者だ」

レイの声は低く、静かだが威圧感があった。


「彼は国民を弾圧し、国家を自分の金庫代わりにしている。だが、最近反政府勢力が力をつけてきた。彼らは我々に協力を求めている。要するに、ドラゴビッチの政権を崩壊させろということだ」


「ずいぶん大きな依頼ね」

ソフィア・モレッティが腕を組み、画面を見つめながら軽く口を開いた。彼女の声には、皮肉交じりの余裕があった。


「問題は彼の資金源だ」

レイは画面を操作し、次に映し出されたのは豪華なカジノの写真だった。

「ポドゴリツァにあるカジノ『ルクス・ノクス』。彼の金はここで洗浄され、海外の口座に送られる。これを断たなければ、政権崩壊は不可能だ」






 「作戦は二段階だ」

レイが指を滑らせ、詳細な作戦計画をスクリーンに表示した。

「第一段階は情報収集。ソフィア、お前の役目だ。カジノに潜入し、ドラゴビッチの資金ルートを洗い出せ。ターゲットは、彼の右腕で資金管理を担当しているボリス・ラドヴィッチ」


ソフィアは肩をすくめ、微笑を浮かべる。

「簡単そうね。ただギャンブルを楽しめばいいのかしら?」


「それだけじゃない」

レイは彼女の軽口を無視しながら続けた。

「ラドヴィッチが持っている情報をデバイスに確保しろ。ドラゴビッチの秘密口座に関する情報が入っているはずだ。成功すれば、ハサンがそのデータを使って資金を凍結できる」


部屋の隅で聞いていたハサン・アル・ファリードが短く笑った。

「まるでゲームのようだな。だが、僕にそのデバイスを渡せば、彼の全財産を跡形もなく消せる」


「第二段階は直接攻撃だ」

レイが鋭い視線を全員に向ける。

「だが、それはソフィア次第だ。データが手に入らなければ、この作戦は進まない」


ソフィアは立ち上がり、画面に映るカジノをじっと見つめた。彼女は自信に満ちた表情で軽く息をつく。

「ドラゴビッチの金庫を空っぽにする準備はできてるわ」


レイは彼女を見つめ、静かに頷いた。

「行動は慎重に。そして速やかに。失敗は許されない」


その言葉に応じるように、部屋全体が動き始めた。各メンバーがそれぞれの準備に取り掛かり、冷酷で正確な動きが繰り広げられる。これは、彼らにとってただの日常だった。




 ポドゴリツァの夜は、きらびやかな光と人々の喧騒で満ちていた。中心地にそびえるカジノ「ルクス・ノクス」は、その名の通り“夜の光”を象徴するように輝き、街の上空からでも一目でわかるほど派手な装飾を施されていた。


ソフィア・モレッティはタクシーの後部座席で静かにカジノを見上げた。ドライバーが気さくに話しかけてくるが、彼女は適当な相槌を打つだけで、考えを巡らせていた。


「着きましたよ、マダム」

ドライバーが言うと、ソフィアは柔らかな笑顔を浮かべ、チップを渡した。

「ありがとう」


車を降りた瞬間、冷たい夜風が彼女の髪を揺らした。真紅のドレスが歩くたびに艶やかに揺れ、周囲の視線を集める。目的は目立つことではないが、目立たないわけにもいかない。彼女はカジノの正面玄関に向かいながら、内心で準備を整えていた。


カジノの扉が開くと、煌びやかなシャンデリアと、耳に響くチップの音が迎えた。ブラックジャック、ルーレット、スロットマシンが並び、豪奢なスーツやドレスを身にまとった客たちが、金の匂いを漂わせながら笑い声を上げている。


ソフィアは受付で完璧なフランス語を使い、VIPルームへのアクセスを求めた。彼女はすでに偽造した名刺と背景情報を手に入れており、受付係がそれを疑う理由はなかった。


「モレッティ様、ようこそお越しくださいました。VIPルームは二階でございます」

受付係が笑顔で案内を始めると、ソフィアは礼儀正しく頷いた。


彼女は階段を上がりながら、カジノ全体を一瞥する。ラドヴィッチの姿を確認するのが最初の任務だ。二階に上がった瞬間、彼女の視線はターゲットを捉えた。


ラドヴィッチは一際派手なスーツに身を包み、彼のテーブルには数万ユーロ相当のチップが積まれていた。太った体型と下品な笑い声が、彼の権力と金への執着を物語っている。彼の周囲には護衛とおぼしき男たちが控えているが、彼らはラドヴィッチにとって装飾品のようなものだった。


ソフィアは自然な動作でシャンパンを手に取り、ラドヴィッチのテーブルに近づいた。


「随分と運が良さそうね」

彼女の言葉に、ラドヴィッチは顔を上げた。初めは警戒心が見えたが、彼女の美貌を一瞥すると、すぐに興味を示した。

「まあな。運を引き寄せる秘訣があるのさ」

「興味深いわ。私もその秘訣を教わりたいところね」


ラドヴィッチは笑いながら隣の椅子を指差した。

「ここに座ってみないか?俺の運を少し分けてやるよ」


ソフィアは微笑みを浮かべ、軽やかにその場に腰を下ろした。その瞬間、彼女は素早く周囲の様子を観察し、護衛の配置やカメラの位置を頭に叩き込んだ。


ブラックジャックが始まる。ソフィアは、わざと負けたり小さく勝ったりを繰り返しながら、自然な会話でラドヴィッチから情報を引き出そうとした。


「あなたのような方がこの場所にいる理由が気になるわ」

ソフィアが軽い調子で尋ねると、ラドヴィッチは満足げに笑いながら答えた。

「たまには気晴らしも必要だからな。俺はあくまで影の存在でありたいんだ」

「影で動く男…それはとても魅力的ね」

彼女の挑発的な言葉に、ラドヴィッチは気を良くしてさらに話を続けた。


「だが、この場所はただの遊び場じゃない。大事なビジネスもあるんだよ」

「例えば?」

「それはまた次の機会だ」


ラドヴィッチはニヤリと笑い、彼のポケットからスマートフォンを取り出し、何かを確認する。その動作を見逃すことなく、ソフィアは小型のハッキングデバイスを手元で操作した。周囲にはわからないように、短距離でスマートフォンの情報を吸い取る仕組みだ。


「次は大きく賭ける番ね」

ソフィアはシャンパンを一口飲み、勝負の準備を整えながら、すでに目標を達成したことを確信していた。


ゲームが終わり、ソフィアは上品な笑みを浮かべて席を立った。ラドヴィッチは彼女の後ろ姿に目を奪われていたが、彼女が何かを仕掛けたことには気づいていない。


「またお会いしましょう」

ソフィアは軽く手を振り、カジノの出口に向かった。その足取りは優雅でありながら、速やかだった。彼女はホテルに戻る途中、無線でレイに報告する。


「データは手に入れた。次はハサンの出番よ」

「了解だ。無事に戻れ」

レイの声が静かに響いた。





 ポドゴリツァの中心部からわずか数キロ離れた静かな住宅街に、一見平凡な家が佇んでいた。周囲に目立つ特徴はなく、隣家と同じような造りの二階建て。その地下には、最新鋭のセーフハウスが隠されていた。


ドアを開けたソフィアが、手にしたクラッチバッグをテーブルの上に置くと、そこに待っていたチーム全員が振り返った。


「データは?」

レイモンド・カーターが短く問いかける。彼の目は鋭く、その声は緊張感を含んでいた。


ソフィアは微笑みを浮かべながらバッグから小型デバイスを取り出し、ハサンに手渡した。

「ほら、あなたの得意技の時間よ」


「お楽しみの時間だな」

ハサン・アル・ファリードは手早くデバイスをラップトップに接続し、スクリーンに映し出されたデータを解析し始めた。指がキーボードを走るたびに、スクリーン上の情報が次々と展開される。


「どうやら、ラドヴィッチは自分の仕事を全て記録しているようだ。これは…ドラゴビッチの秘密口座だな」

ハサンが画面を指差すと、レイは眉をひそめた。


「口座だけじゃない」

ハサンの声が低くなった。彼が画面を操作すると、さらにいくつかの文書が浮かび上がる。それは政権の賄賂や暗殺計画に関する機密資料だった。


「これだけあれば、彼の権力基盤を崩壊させるのも時間の問題だ」

レイは画面を凝視しながら頷いた。

「次のステップに移る準備をしろ」


一方で、セーフハウス内の他のメンバーもそれぞれの任務を遂行していた。アキラ・タカシマは地下のトレーニングルームで体を動かしており、軽快なフットワークを見せながらサンドバッグに正確な打撃を叩き込んでいる。彼はしばらくトレーニングを続けた後、階段を上がり、リビングルームに向かった。


そこで彼を待っていたのは、カウンターに腰掛けたエヴァン・デラルヴァだった。彼はグラスにウイスキーを注ぎながら、いつもの冷静な表情でアキラを見上げた。


「気が立っているようだな。少し落ち着け」

エヴァンはグラスを差し出したが、アキラは首を振った。

「俺は素面でいたい。次の動きが不安定になるのは嫌だからな」


「それもいいだろう」

エヴァンは短く答えると、自分のウイスキーを一口飲んだ。


夜が深まる中、全員がセーフハウスの作戦室に集まった。中央のホワイトボードには、ハサンがデータから引き出した情報がまとめられている。


「次の標的はドラゴビッチが秘密裏に設置している中央金庫だ」

レイが言葉を切りながら、ボードを指差した。

「金庫はポドゴリツァの旧市街にある政府の地下施設に保管されている。通常はアクセスできないが、ラドヴィッチのデータによれば、明日の夜にそこへ大量の現金が移動される予定だ」


「つまり、そのタイミングで侵入すればいいのね」

ソフィアが片眉を上げながら確認した。


「そうだ」

レイが頷いた。

「だが問題は、その金庫の警備だ。ドラゴビッチの精鋭部隊が常に配置されている。正面突破は不可能だ」


アキラが手を挙げて発言する。

「ならば別のルートを探すしかない。地下道や隠し通路があるかもしれない」


「その通りだ」

ハサンが再びキーボードを叩き、地下施設の古い設計図をスクリーンに表示させる。

「ここだ。排水路を通じて内部に侵入できる可能性がある。ただし、そこにもセンサーが仕掛けられているだろうな」


エヴァンが静かに言葉を挟む。

「その警備を突破するのは俺に任せろ。遠距離からセンサーを無効化する」


レイは全員を見渡し、最終的な計画をまとめた。

「全員、準備にかかれ。明日の夜、我々はドラゴビッチ政権の最も重要な資金源を叩き潰す」


その夜、セーフハウスは一時の静寂に包まれた。だが、そこにいる誰もが明日の作戦の成功を信じながらも、緊張を抱えていた。


ソフィアは自室で鏡に映る自分の顔を見つめながら、小さく息をついた。

「ドラゴビッチ、あなたの時代は終わりよ」





 ポドゴリツァの地下金庫が爆破されてから数日後、ドラゴビッチ政権は表向き崩壊したように見えた。しかし、その背後で彼の忠実な配下たちは反撃を計画していた。秘密裏に組織された特殊部隊が、反政府勢力の重要人物であるイリーナ・ボグダノヴィッチを捕らえ、アドリア海沿岸にあるドラゴビッチの要塞に連行したのだ。


レイモンド・カーターは、イリーナを救出し、彼女の指導のもと反政府運動を再び活性化させるべく、要塞への襲撃を決断する。


アドリア海に面したその要塞は、断崖絶壁の上に建てられた重厚な石造りの建物で、海と陸の両方を見下ろす戦略的な要所に位置している。四方は高い壁と監視塔に囲まれ、最新鋭の防衛システムが張り巡らされている。


要塞の中心には地下牢があり、そこにイリーナが拘束されているとの情報があった。しかし、ドラゴビッチ自身はこの場所にはおらず、配下たちに守らせていた。





 セーフハウスでの作戦会議室。レイが要塞の衛星画像をスクリーンに映し出し、チームに説明を始める。


「目標は単純だ。イリーナを救出し、ドラゴビッチの反撃の象徴を断つことだ」

彼の声は冷静だったが、周囲には緊張が漂っていた。


「要塞の構造は単純だが、問題は守備の厚さだ」

ハサンが補足する。

「赤外線センサー、監視カメラ、そして重火器を装備した兵士が多数いる。強引に突入すれば、こちらが先に消耗する」


ソフィアが肩をすくめながら言う。

「つまり、まず静かに忍び込むってわけね。でも、どうせ最後は派手にやることになる」


レイが頷いた。

「その通りだ。静かに始めて、必要なら全力で暴れる。準備しろ」





 深夜、アドリア海沿岸の波音が静かに響く中、チームは小型ボートで要塞の裏手に接近した。高波に隠れながら、断崖に設置された古い排水口を目指す。


「ハサン、排水口を開けろ」

レイが短く指示を出すと、ハサンが工具を取り出し、錆びた鉄格子を外した。


「通れるぞ」

その声を合図に、全員が慎重に排水口を抜け、要塞の内部へと忍び込んだ。






 要塞の中に足を踏み入れた瞬間、敵の哨戒兵が現れた。彼らは音もなく近づいたが、ソフィアが暗視ゴーグルでその姿を察知した。


「三人、左の廊下」

彼女が囁くと同時に、アキラが壁際に素早く移動し、音もなく敵兵の背後に回り込んだ。一人目の首を絞め、二人目にナイフを突き刺す。三人目が異変に気付いた瞬間、エヴァンの銃声が廊下を切り裂いた。


「これでクリアだ」

エヴァンが冷静に呟く。


しかし、その銃声は他の兵士たちを呼び寄せてしまった。廊下の奥から駆け寄る敵兵たちが銃を構え、一斉に射撃を開始した。


「隠れろ!」

レイが叫び、全員が遮蔽物の裏に身を隠す。弾丸が石壁を削り取る中、エヴァンが正確な射撃で次々と敵兵を撃ち抜いていく。


「ハサン、爆薬を用意しろ!」

レイが指示を飛ばすと、ハサンが廊下の中ほどに小型爆薬を投げ込む。爆発音が響き、廊下全体が煙に包まれる。


「今だ、突っ込め!」

レイが突撃を命じ、アキラが先陣を切る。煙の中を抜け、敵兵を次々と打ち倒していく。拳とナイフが閃き、狭い廊下は瞬く間に血の海と化した。






 廊下を抜けた先にある階段を降りると、地下牢が現れた。そこには重装備の兵士たちが待ち構えていた。


「迎撃部隊だ」

レイが短く言うと、アキラがナイフを構えた。


「俺が行く」

アキラが突進し、敵の注意を引く間に、エヴァンとソフィアが両サイドから射撃を開始する。重装備の敵兵は強力だったが、彼らの攻撃はレイの的確な指示によって効率的に無力化された。


「入口を制圧した!」

アキラが叫び、ハサンが急いで牢の扉を破壊するための装置を設置する。


数秒後、爆発音とともに扉が吹き飛んだ。


「イリーナ!」

ソフィアが牢の中へ飛び込み、拘束されたイリーナを見つける。彼女は衰弱していたが、意識ははっきりしていた。


「助けに来たわよ」

ソフィアが微笑み、拘束を解いた。






 イリーナを救出したチームが要塞を離れようとする中、ドラゴビッチの配下が最後の追撃を仕掛けてきた。


「奴らは諦めない!」

エヴァンが銃撃戦の中で叫ぶ。


ハサンが再び爆薬を使い、追撃部隊を足止めする。その間に、全員が断崖に設置されたロープを使って海へと降りた。


「ボートに急げ!」

レイが指示を出し、全員が波間を切り裂いて進む。


最後にボートに乗り込んだ瞬間、要塞の上から敵がロケットランチャーを発射した。だが、ハサンが用意していた炸裂弾が迎撃し、爆発の炎が夜空を照らした。



セーフハウスに戻ったイリーナは、助けてくれたチームに感謝の意を述べながらも言葉を切り出した。

「ドラゴビッチは、まだ生きている。そして、次の攻撃を準備しているわ」


レイは無言でウイスキーを飲み干し、短く答えた。

「次は奴自身を狙う番だ」


夜は深まり、さらなる戦いが待ち受けていた。


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