第26話 もう負けない


「まさか勝っちゃうとはねぇ」


 見上げるのは夕に焼けた空。

 既に夜へと差し掛かり、辺りは少しずつ暗くなる。

 身体はもうバキバキで動かすのすら億劫だ。

 地面で突っ伏すそんな僕の元に、聞き慣れた、呆れた声音がかけられた。


一番目ウーヌスさん」


 一番目ウーヌスの再生は既に終わり、僕がわたした布を巻いて服の代わりにしていた。

 彼女はニヤニヤといやらしく笑っていう。


「あら、野生味ワイルドは捨てちゃったのかしらぁ?」


「言わないでください……」


 彼女が言っているのは狼化した時の口調の変化だろう。

 今思い返せば恥ずかしい限りである。


「へぇ、記憶があるタイプ……ということは二重人格ではなく、人格改変といった感じかしらねぇ」


「ぼんやり、とですけどね。いやはや……あんまり掘り起こさないでくれると」


一番目ウーヌスの姉さん! ってまた呼んでも良いのよぉ?」


「や、やめてくださいって!」


 もうネタを見つけたとばかりに擦られる。一番目ウーヌスさんは歳下を虐めるのが好きなようだ。

 いや、僕を、かもしれない。


「まぁでも」


 なんて悪ふざけをしていると唐突に一番目ウーヌスさんは真面目な顔になった。


「とりあえずはありがとうね」


「え? それは……」


 意図がわからず問い掛ける。

 一番目ウーヌスの言葉は優しいものだが、どこか儚げにも見えた。

 彼女は徐に手のひらを僕の額に当てるとじんわりと暖かさと共に、淡い緑の光が溢れ出す。


「治癒魔術……?」


「本来なら、あのシスターを倒すべきは私とカリストちゃんの仕事よ。少なくともつい一週間前まで雑用をしていた貴方が責任を負うことじゃあない」


「で、でもそれは……」


 僕が勝手に言い出したことだ。

 シスターとの清算をする。過去との決別をしなくてはならない。

 そういって飛び出して、今回はたまたま勝てたというだけだ。

 次も上手くいくとは限らない。


「そ、そうです! 一番目ウーヌスさんが教えてくれた詠唱が大事とか、身体の動きとか、カリストのアドバイスがあったから勝てたというだけで、僕は本当に、偶々で」


「結果の話をしているんじゃないのよ。始まりの話、それと過程の話。終わり良ければすべて良し……そんなものは、当事者以外が勝手に抱いた感想よ。当事者は当たり前に──傷がつく」


「でも、それ、は……」


 彼女が言わんとしていること、考えることがなんとなく理解できた。

 だからこそ僕はかける言葉が見つからない。

 彼女の仕事を奪ってしまった僕が、どんな言葉をかけてもそれは慰めにはならないのではないか。

 寧ろ追い詰める助力になってしまうのではないか。

 そう思うと────そう思うとなんだか眠く……。


「あ……、れ」


 頭がボゥーっと、思考が定まらない。

 元々掠れていた視界は歪み、気づけば僕は夢の中へと落ちていた。


 —


「随分と酷使したようねぇ」


 急速的に治癒魔術を使うと体力を消耗し、極端な眠気が襲ってくる。

 それを一番目ウーヌスは抑制する力に加えて、回復速度を高める訓練の末に生きながらにゾンビのような戦法で肉弾戦を行う超戦士へと成った。

 だが彼女の今回の功績は何一つない。

 強いていうなら、シスターが生み出した屍人グールを数体倒したことだろう。


 その不甲斐なさに、一番目ウーヌスは歯噛みした。


「このままじゃあ、この後の旅で二人を守れない……」


 優しくケンの前髪を撫でた。

 狼化した銀髪は消えて、元の白髪へと戻っている。

 治癒魔術により体力を急激に消耗したケンは強制的に眠りの中へと落ちていった。

 もちろんそれは、一番目ウーヌスの策略のうち。


「女の涙は男には見せたくないものよ……」


 一番目ウーヌスの瞳から一筋の涙が頬を伝う。

 それは自身への失望か、はたまた別の何かか。


 しかし、彼女自体に落ち度はなかった。

 シスターという悪魔憑きの権能の、魔術祈祷術の無効化という異常性がカリストと一番目ウーヌスを追い詰めた一番の要因だ。

 無効化の能力を持つ者など、精々魔王か、生き残ることに特化した魔人くらいのはずだ。


 それはシスターが聖職者故に起きた事なのか、或いは悪魔憑きは皆強力になる素質がある代わりに暴走の危険性を孕んでいるのか、その部分を現在一番目ウーヌスが解明する余地はなかったが、少なくとも。

 今回力不足だったことだけは確かだった。


を……入手しないといけないわねぇ」


 そう呟いて、静かに一番目ウーヌスはその場を立つ。

 背後に気配を感じたからだった。


「邪魔をしたかね」


「いいえ。問題ありません」


 振り向けばそこにはパイドラがいた。

 その後を続くように、生存者達と負傷者を十人積みくらいにして運ぶマキラ。

 どうやら屍人グールは一掃出来たようだ。


 パイドラは難しそうな表情で一番目ウーヌスを見て、


「ふむ、あんた、力がないことに悔しさを感じているのかい?」


 そんな核心をつくような事を言った。

 一番目ウーヌスの目が鋭く細まった。


「随分と直球ですね」


「ふん。年寄りってのは遠慮をしないもんさ。そっちの方が話が早いからね。だから聞くが、心に現れるくらい悔しいと思うなら」


 一番目ウーヌスの気迫程度では揺るがないこの老婆もただ者ではない。

 ただ者ではない彼女だからこそ、誰よりも一番目ウーヌスの真なるものに気付いたのか。


「あんた、なんで閉じとる・・・・んだい?」


 その言葉に一番目ウーヌスは目を開いた。


「そこまで……分かるんですねぇ」


「魂に精通した術式、気術だから出来ることさね。ま、何か事情はあるんだろうが」


 核心をついても一番目ウーヌスは全てを語らない。

 パイドラも気術の力で客観的に見ることはできても、あくまで表面上だけだ。

 深く、中までを知ることは出来なかった。

 だから、あくまでここからは、


「時間は、あるのかい?」


 パイドラの気遣いの力だ。


 —


 パイドラと一番目ウーヌスが出会った時、カリストは、シスターにやられた場所で一人空を眺めていた。


「負けた……あのシスターに」


 ケンがシスターを倒した事で、カリストの中から呪いの苦しみは消えた。

 完全回復した一番目ウーヌスはケンより先にカリストを治療して、外面上はほぼ完治。

 中の損傷は激し過ぎて、少しずつ治して行った方が危険がないとのこと。

 なのでまだ身体を蝕む鈍痛に、カリストは仰向けで動けずにいた。


 清々しいほどに綺麗に焼ける夕方の空。

 ここからは闇が世界を包み、人々を眠りへと誘う時間がやってくる。

 自分の中から込み上げてくる感覚には抗えず、カリストは、


「く……う……っ……ぅ」


 涙を流した。

 溢れ出す。拭っても拭っても涙が止まらない。

 シスターに勝てなかった悔しさ。ケンに殺させてしまった悲しみ。自分自身への怒り。

 止まらない感情は彼女の顔をしわくちゃにして、口から言葉を吐き出させる。


「何が! 何が数字持ち……八番目オクトーだ! 何も、何にも役に立ちやしない……!」


 シスターは強かった。

 魔術と祈祷術無効化の力を考慮しなかったとしても、彼女の眷属精製能力、髪の毛を操る能力、音波による衝撃波、凄まじい腕力。

 どれをとっても今まで相手取ってきた悪魔の中でも上位に組み込む、最強の敵だったことは間違いない。

 ドゥルキュラの方が或いは強かったのだろうが、あの時のドゥルキュラは油断に油断を重ねていた。

 参考にはならない。


 それに比べるとシスターは最初から全力だった。

 殺す気の邂逅かいこう、躊躇のない攻撃はカリストを容赦なく敗北させた。


 もちろん、魔殺しの子供達ベナンダティは複数人によるチームを組み、任務にあたる。

 たった一人での悪魔討伐などこの一週間が初めてだ。

 一番目ウーヌスならまだしも、後衛で接近されたらどうしようもないカリストには荷が重すぎた。


 だからこそ憎い。

 欠点だらけの状態で、あまつさえケンのためを装って憂さ晴らしをするなど言語道断だ。

 自惚れがすぎる。

 一体いつから自分はそんなに傲慢に成ったのか。


 もしかしたら──ケンにいいとこを見せようとでも思っていたのか。


「はっ」


 そう思うと、笑えた。

 独りよがりな、自分のためだけの目的で無様に敵に負けたのだ。

 なんてダサい。

 なんて醜い。

 なんて──みっともない。


「負けない」


 負けたくない。

 だがそれは言葉にしては弱すぎる。

 だからこれは願望ではなく、宣言だ。


「二度と。負けちゃいけない」


 今後自分が、ケン達と共に生きるための宣言である。

 この世界で、無事に生きていくために、二度と負けないと、夕に焼ける空に誓う。

 拳を突き出して、天に座す神にそう誓った。


「なーにしてるんだ?」


「うわぁ!!?」


 と、決心を固めたのも束の間。

 夕に焼けた綺麗な空に突然割り込む、女性にしてはあまりに逞しすぎる面構えの女。

 マキラの顔面の迫力に思わずカリストは飛び上がった。


「ちょ、ちょっと! びっくりするじゃない!!! あんた、イカついんだから遠慮しなさい!!」


 指差して激昂するカリストにはマキラはドッと笑って、


「すまねぇが、イカついのは売りだ! これで商売してるんだから遠慮はしねぇぜ?」


「だからって怪我人の前でもやらなくていいでしょ……」


 カリストの呆れに対し、それもそうだ! とマキラは気前よく笑った。


「というか、屍人グールはもういなくなったの?」


「おう。ふとした瞬間に砂になって消えちまった」


「眷属は主人がやられると死ぬ……。やっぱりドゥルキュラの悪魔憑きになってたのね……」


 人は死後、魔力濃度の高いところに放置すると不死系アンデッドの魔物になることがある。

 もしかしたら、シスターが不死賢者リッチとなった可能性も少なからず考慮したが、やはり悪魔憑きだったようだ。

 不死賢者リッチであれば魔術で屍人グールを作り出すため、主が死んでも永久に魔物として生き続ける。


 ケンの前では確定したように言ってしまったが、実際には色んな可能性があったのだ。


「まぁとりあえず、無事でよかったわ」


「おう! こちらこそ助けてもらって感謝だ。まぁ、だからってわけじゃあねぇんだがよ」


 二人で握手を交わす。

 マキラの方がカリストより三倍近い体格をしているから、握手というよりマキラ側の手に包まれてしまっている形だ。

 ニカっと笑ったマキラはポリポリと頭を掻いて、恥ずかしそうに笑っている。

 意図がわからず、カリストが首を傾げていると。


「今から宴だ! ぜひ参加してくれ!」


 死者も出た戦闘直後の、悲壮の雰囲気からは感じられない提案がやってきた。

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