第20話 お前がしたことを、私は覚えているぞ

「ハナァ!!! ワタシのハナァっ!!!」


「いったい何の話をしてるんですかシスター! うわぁ!?」


 迫り来るは白い腕と黒い髪。

 エンドラインの街並みを破壊しながら迫る姿は、さながら勇者と怪物の対決だ。

 どちらも一度捕まれば、岩巨人ゴーレムを破壊した強力な力を持って僕を死に至らしめるだろう。


 僕は悪魔憑きの能力を存分に発揮して、街中を逃げ回っていた。


(これが悪魔憑きの力……!)


 走る先の壁を黒い髪が貫通し、牙を剥き出しにする。

 その攻撃を仰け反ることで皮一枚ギリギリでかわす。

 全身の筋肉が、骨が、細胞が、敵の攻撃を探知して自動的に避ける。

 意識外からの攻撃が迫っても、僕は直感に委ねて身体を動かす。


 最初こそ勝手に身体が動く感覚に気持ち悪さを覚えたが、生死をかけた戦いの中で違和感は消え、数十分もすれば慣れていた。


 だが──それでも。


(キツイ──)


 迫り来る猛攻はまさしく嵐だ。

 四方八方から僕を狙う黒い髪に、僕の行先目掛けて飛んでくるシスターの腕。

 どちらも一撃必殺だと思うと、運任せで動くことなどできやしない。


 一歩間違えれば、死。

 その状況で僕は、


「ぃい!? くそ!」


 まんまと罠に嵌められた。

 行手を破壊するように迫る計八つの髪の蛇。

 民家を破壊して突如現れたそれに、僕は咄嗟に反応できなかった。


 自分が能力に慣れてくる頃ならば、相手もその動きに慣れてくる・・・・・頃だとなぜ分からなかったか。


 僕は身体を仰け反るだけで避けることのできない攻撃を、初めて拳を使って応戦した。

 髪の隙間を縫うように潜り抜け、最後に使った僕の拳は、


「しまっ────」


 髪に絡め取られ無様に空中へと連れ去られる。

 腕を口に含んだ髪蛇は勢いのまま僕を宙へと放り投げ、そして。


「────────」


 回避を許さない八頭の蛇が僕目掛けて牙を走らせる。

 足場がないこの状況で、戦闘素人の僕が避けれるはずもない。

 そもそもあのシスター相手に数分持ち堪えたことが奇跡だった。


 迫り来る痛みに目を思い切り瞑って、


「……ん?」


 痛みが来ないことに違和感を覚えた。

 何なら僕の身体は地面に落ちることなく浮遊している。

 その理由は──他でもない。


「大丈夫? ケン」


 僕を救ってくれた勇者カリストによるものだった。


「カリスト!!」


 思わず叫んだ。

 宙に両足で仁王立つように、カリストは僕をお姫様抱っこしてシスターを見下す。


 このシチュエーション、男であれば逆の展開こそを夢見るものだ。

 だが絶対絶命のピンチを救ってもらったこの状況、思わず惚れてしまいそうである。

 元々、尊敬の念は持ち合わせていたが、胸がときめいて止まらない。

 これがきっと乙女心なのかもしれない。


 そんな王子様登場に高揚する僕と反し、カリストの顔からは血の気が引いていっていた。


「──なに、あれ」


 視線の先。

 地上に這いつくばるのは怨霊の化身だ。

 長い黒髪を無限に伸ばし、手足は異常に伸びて蜘蛛のよう。

 双眸が映し出す深淵は、深い闇に染まり、見るもの全てに恐怖を齎す。


 そんな獣のように四つん這いのシスターは、宙に浮かぶカリストを見据えて威嚇している。

 或いは──


「シスターワテリング、だと思う」


「そうよね……私にも分かる。でも問題はそこじゃないわ」


 カリストは怪訝にシスターを見つめる。

 かつての面影などない異形の姿。

 しかし、雑用しかしてこなかった僕に心当たりなどあるわけもなく、静かに首を振った。


「それは……ごめん僕には。会った時点で普通じゃなかった」


「そしたら、やっぱりこの事件の元凶は彼女と考えてよさそうね」


 彼女の言う事件とは、僕の知らぬところで起きた爆発のことだろう。

 今でも尚続く騒動の気配と一番目ウーヌスが来ないことから、恐らく一番目ウーヌスがあちらは受け持ってくれたのだ。


 二人に対して負担をしいているのが、悔しくて仕方なかった。


 ──僕は弱い。


 強くなりたいと願ったはずなのに。

 そのためのきっかけは手にいれたはずなのに。

 僕はまだまだ弱かった。


「ケン。貴方には大事なことだから教えておくわ。アレが、私達が一度恐れた本当の“悪魔憑き”よ」


 カリストはゆっくり僕を側の民家の屋根に下ろしてそう告げた。

 シスターが変貌した真実の心当たりが、カリストにはあったのだ。

 或いは判別する方法があるのかも知れないが。


「悪魔……憑き? アレが?」


 僕はその事実に面食らった。

 地べたに四つん這いで這いつくばるあの姿が、悪魔憑き?


 その瞬間、シスターの姿に僕の姿が重なった。

 もしかしたらなっていたかもしれない、僕の未来が。


「大丈夫、とは言わないわ。あんたも力に飲まれたならああなるかもしれないことだけは覚えておいて」


 森の中で二人が突然警戒態勢になった理由がやっとわかった。

 悪魔憑きとはきっと、基本よくないものなのだろう。

 多くの事件を引き起こし、悲しみを産んできた象徴なのだ。


 僕が不安そうな顔をしていたのだろう。

 カリストは赤子をあやすような優しい顔で僕の頭を撫でた。


「それでも私はケンに言うわ────大丈夫、と」


「え」


「あんなふうにケンをさせない。前例を知らないから、何をしたら良いのかわからないけど、魔術の知識と技術だけが私の取り柄だもの。必ず、私があんたをああにはさせないわ。分からないことだらけだから、安心はできないでしょうけど……」


「そんな……そんなことは!」


 カリストほどの魔術師がそうそういるわけない。

 彼女が分からないことならば、きっとこの世の大多数の人間はわからないはずだ。

 いつ爆発するかわからない時限爆弾だったという事実より、目の前でカリストに悲しい顔をさせることの方が──よっぽど辛い。


 そんな僕の感情をよんだのか、カリストは再び微笑むとふわりと宙に飛んでいく。


「とりあえず、今日はそこで見ていなさい。第一支部ファースト八番目オクトーのその活躍を」


 彼女の表情は自信に満ち溢れていた。

 心配をすることすら彼女に対する冒涜だ。

 僕はただ鬱屈な感情を吹き飛ばして、笑顔で頷いた。


 —


(はぁ……なんでこんなに落ち着いているんだろう)


 カリストは自分の心が恐ろしく静かなことに驚いていた。

 ケンはボロボロだった。

 傷は治っていても血の滲んだ服や汚れた肌、疲弊している心は、それを見た者の心すら痛めつける。

 特にそれが親しい者であるなら、尚更である。


(とりあえず────)


 心の中に燻った小さな炎を感じ取る。

 きっとこれは怒りだ。

 かつて、封印していた十年ためた炎。

 誰に気取られるわけでもなく、ただ一人で抱え続けた憤怒の炎。

 それが今、封印を解かれ勢いを増す。


(神に感謝を────)


 カリストは杖を構える。

 なぜか足元でウロウロ周りを見ているシスターワテリングのみっともない姿が滑稽だった。


(まさかこの手で────)


 小さく、静かに感情を乗せて詠唱する。

 本来なら、数分前の自分なら周りの影響を考えて使うことのなかった魔術を。

 紡ぐのは彼女が持つ魔術の中でも破壊力に優れた、炎魔術の中でも特異を極める才能ある者のみが使える魔術。


「引導を渡せる日が来るなんて」


 直後、雷が落ちたような爆裂音がエンドラインの村を揺らした。


 一帯を消し炭に変える強大な爆発は、その余波で周りの家も吹き飛ばしていた。

 黒い煙が立ち昇る。

 まるで黒い龍が天へと昇るように。


 炎魔術の上位魔術──爆炎魔術。

 これが使える者は炎魔術使いの僅か十パーセント未満だと言われている。


 それを起こした張本人は、上空で立ち昇る黒煙を見て、笑っていた。

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