5 結果よければ、すべてよし

 パーティー会場を出てきたグレースは、清々しい気分で庭園を歩く。


「よかったんですか? 結局、お嬢様が、さらし者になっただけじゃないですか」


 不満そうなマーキスに、グレースは微笑んだ。

 

「いい宣伝になったって、思えばいいのよ。少しでもウチの店に興味を持って、一人でもお客様になってくれたら、万々歳じゃない」


 代金が未払いの物は、そのほとんどが返却されることになっていた。それでも返品できない、インテリアや食器類については、分割で代金が支払われることになった。


「何より、絵画は戻ってくるんだもの。ゴッポもダピンチも、すぐに買い手がつくわ。今は、オーバッカのおじい様が買った時より、値段は爆上がりしてるし。大もうけよ!」

「本当の目的はそちらで、初めから慰謝料をぶんどるつもりなんて、なかったんですね?」


 グレースはそれには答えず、「それにしても」と、話を変える。

 

「あなたが、あんなにケンカっ早いなんて、今まで知らなかったわ」

「そりゃあ、うちのお嬢様が悪く言われれば、腹も立ちます」

「言っておくけど、ああ見えて、アフォードは子供の頃から護身術を習ってるから、結構、強いわよ?」

「大丈夫です。武術なら、俺も子供の頃から、ずっと習ってましたから」

「へぇ」


 うなずいて、グレースはマーキスを見た。

 身近な存在でありながらも、個人的なことは、よく知らなかった。

 マーキスがグレースの父に連れられ、商会に来たのは三年前。面倒を見てほしいと頼まれたらしい。しかし二つ返事で、引き受けてしまうほどの人物が誰なのか。父は教えてくれなかった。

 彼のジェントルな言動から、没落した貴族の息子だろうかとグレースは妄想したりしているが。それを本人に尋ねたこともない。


 むくむくと湧き上がってくる興味に、口を開いた矢先。お呼びがかかった。

 

「グレース」


 声をかけてきたのは、メチャエーヒト侯爵夫人。アーキンドー商会の上得意様だ。


「とんだ茶番劇だったわね」


 うんざりした顔で言う夫人に、グレースは礼を言った。


『まぁ、白々しいわね』


 開き直ったネトリーンを非難した声は、夫人のものだった。


「まったく、見苦しいんだもの。オーバッカ家も、あんなのが次の当主だなんて、うちも付き合いを考え直さなくてはね。あなたも、あんなしょうもない男と、結婚しなくてよかったじゃない」

「そうですね」

「あなたが望むなら、いくらでも相手を紹介してあげるわ。アフォードよりも上等な殿方と結婚して、見返してやりなさい」


 そう言って、夫人はウインクしてみせた。今回の騒動に対する彼女なりの励ましだろう。そう思って、グレースは、ありがとうございますと答えたのだったが。


「それで、あなたの好みはどんなタイプかしら? 背は高い方がいいの? 顔は、そりゃあ、男前がいいわよねぇ?」


 夫人の方は案外、本気だったのか、グイグイと迫って来た。

 そこへ。


「ベアトリス様」


 グレースと夫人の間に、マーキスが体をすべりこませて来た。


「あら、マーキス」


 夫人の顔に、満面の笑みが浮かぶ。心なしか、声も半トーンほど上がって聞こえた。


「仕事もいいけど、たまには、顔を見せにいらっしゃいな」


 夫人は、すっとマーキスの頬に手を伸ばし、優しく微笑む。

 マーキスは時々、父親の補佐役として、商談についていくこともあるから、夫人と面識があってもおかしくはない。

 でも、この親しげな雰囲気は……。

 グレースまでもドキドキしてしまう。

 もしかして、これが世に言う『若い愛人ツバメ』なのか。


 マーキスと、夫人が……。


 思わず、エッチな妄想を思い浮かべてしまって、グレースはブンブンと頭を振る。

 ない、ない、ない。

 熱くなった顔を、パタパタと手であおぐ。

 いくら、美女とはいえ、夫人にはマーキスよりも年上の子供がいたはず。その子供たちもすでに結婚していて、確か、今年、孫娘が生まれたのではなかったか。


「グレース、マーキスをよろしく頼むわね」

「え、あぁ、はい」


 反射的に、うなずいてしまったグレースだったが。一体、何をよろしくすればいいのか。


「では、またね」


 夫人の後ろ姿を見送って、グレースは思いきってマーキスに尋ねた。


「夫人とは、どういう関係なの?」

「関係、ですか……」


 マーキスはしばらく考え込んだあと、「まあ、一言で言えば」と、再び、口を開いた。

 その前置きに、グレースは小さくつばを飲みこんだ。


「ベアトリス様は、父の妻にあたる人です」

「父の……妻?」


 その言葉の意味するところが、一瞬、グレースには理解できなかった。


「よくあるでしょう。金持ちの中年エロオヤジが、若い娘に手を出してって、やつです。俺の母親は、侯爵家のメイドだったんです。俺を産んですぐに死んでしまって、それで、俺はベアトリス様に育てられたんです」

「それって、つまり、お母さん?」

「みたいなものですね」


 自分の生い立ちを、あっけらかんと話すマーキス。


「そうだったの。ごめんなさい」


 謝ったグレースに、マーキスは首を振る。


「俺は恵まれています。ベアトリス様には我が子同然に育てていただきましたし、」


 それにと、マーキスがグレースに微笑んだ。


「こうして、お嬢様にも出会えましたから」


 真正面からの言葉に、グレースの胸がドキンとはねた。

 今まで全く意識なんてしなかったのに。勝手に顔は熱くなり、心臓がスピードを上げる。


「お嬢様、どうかしましたか?」

「なっ、何でもないわ! 行きましょう!」


 グレースは慌てて、マーキスに背を向けた。

 よくよく考えてみれば。

 仕事はできるし、性格も悪くない。顔だって、好みと言える。

 もし、先ほどの夫人の質問『あなたの好みのタイプは?』に答えていたら。あるいは、自分の好みを寄せ集めたら、彼になるのではないか?

 

 グレースはちらりと、マーキスへ目をやる。

 トクトクと胸を打つ鼓動は、恋心なのか。

 それが分かるまでは、もうしばらくかかりそうだ。

 

「これから、どうしようかな?」


 グレースは、ゆっくりと歩き出す。


「どこまでも、ついて行きますよ」


 隣からマーキスが答えた。



           ─ 終 ─


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