1000文字小説 テーマ「海」

ひびき遊

海の罪人


「わたくしの罪を告白、ですか? ……そんなの」

 あの人に恋してしまったこと。

 それがすべてだ、と自覚はしている。わたくしはつい苦笑した。

 でも、そのことを口に出す気はない。

「わかりませんわ。いったいなぜ、こうなってしまったのか」

 恋――。

 それすら、今になって気付けたのだから。

 でもその始まりはきっと、最初にあの人と出会ったとき。身分も、生き方も、住む場所さえもまるで違ったというのに。

 けれども。


「なんて、お美しい姫さまだ」


 顔を真っ赤にしてわたくしを見つめる、あのときの彼の瞳。

 どんな大粒の黒真珠より煌めく眼差しが、わたくしの胸を銛のごとく射貫いたのだ。

 そう、あのときから――わたくしはきっと間違ってしまった。

 自分の立場も忘れて無邪気に、成すべきことをし続けた。彼のためならば、それこそすべてを捧げたのだ。

 それなのに。

「ああ、どうして」

 わたくしの目から、涙が漏れて漂った。

 あの人はとうに去ってしまった。


「そろそろ家に帰りたいのです」


 ずっと一緒にいられるなんて、それこそ水泡のごとき夢だった。

 彼が満足するならば、家臣たちの反対も押し切って、何でもやってのけたのに。

 でもそれがきっと、今日の結果に繋がってしまった。

 だからこうして、拘束されたわたくしは、宮殿の前に集まった群衆に晒されていた。

「殺せえ!」

「独裁者に裁きを!」

「おれたちの家族を返せよ!」

 取り巻く彼らは皆、呪詛の言葉を吐き、わたくしを非難する。

 わたくしは謝罪しない。謝って許されることではない、とわかっていたから。

 それでもただひたすらに、彼のためならば、と。

(ねえ……あなたは気付いていませんでしたか? ここにいる間、あなたが食べていた絢爛豪華な食事が、なにからできていたかを)

 わたくしは宮殿前で泳ぐ群衆より目を離し、視線を上げた。見やるのは遙か、厚い海水の向こうにある陸地だ。その先に、地上に戻った彼の姿を思い浮かべる。

 いいえ。

 わたくしはいつしか、ほくそ笑んでいたでしょうか?

 ――愛は簡単に、憎悪へと変わる。そのことを彼のおかげで知れたのだから。

 別れ際に渡しておいたのだ。愛憎をたっぷり込めた手土産を。

(あなたはきっと、なにもわたくしを疑わず、開けてしまうのでしょうね)

 どうか、あの人に呪いあれ――。

 そう願うわたくしの前で、怒りの形相に満ちた大亀が、包丁を手にした。

「城主、乙姫! その罪をあがなうべく……これより活き作りの刑に処す!」


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1000文字小説 テーマ「海」 ひびき遊 @hibikiyu

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