重力に囚われて

いちはじめ

重力に囚われて

 軌道エレベーターのハッチが、プシュッという音とともに開いた。その瞬間生暖かい空気がカプセル内に侵入してきた。

 湿気を含んだ重たい空気が肌にまとわりつき、鼻腔の奥を雑多な臭いが突いてくる。

 こんな空気の中で自分が生まれ育ったとはとても信じられない。それにこの重力。宇宙船での人工重力とほぼ同じであるということは理解しているものの、地面から受けるそれは三割り増し程に感じてしまう。

 地上に降り立つたびにうんざりし、早く宇宙に戻りたいと思ってしまうのだけれど、この環境にすぐ慣れてしまうのも事実。体は本来居るべき場所はどちらなのか分かっているのだろう。


 入管ゲートを出て、いつものように支社に立ち寄った。形ばかりの挨拶と報告を終え、帰ろうとしたところ、面会者がいると告げられた。

 面会室に行くと、一人の二十歳そこそこの青年が座っていた。どことなく別れた夫に面影が似ている。

 目の前の若い男は緊張しているのか、私を見つめているだけで話し出しそうにない。仕方がないので私から切り出してみた。


「坊や、私に何かご用?」


 坊やと呼ばれ彼は少しむっとしたように見えた。彼には私は少し年上のお姉さまに見えているはずだ。確かに見た目は三十歳そこそこ、でも本当は六十歳。このことを知ったらこの坊やはどう思うかしら。そう思うと可笑しくて仕方がない。

 彼の出方をうかがっていると「このメッセージを読んでほしいんだ」、と情報チップをテーブルの上に置き、そしてそのまま出ていってしまった。


 仕方なく家に持ち帰り、それを開いてみた。そして息が止まるほど驚いた。情報端末のモニターに映し出されたその人物は、私の元夫だったからだ。

 数十年ぶりに見る夫はずいぶんやせこけ、青白い生気のない顔をしていた。

 彼が弱々しく語り掛けてきた。


『メイ、やっと地球に戻ったんだね。これを君が見ている頃には私はこの世から消えていることだろう。何度も通信を送ったが、読んではくれなかったようだね。あの事故のことで君を責めたのだから無理もない。その件については本当に申し訳ないと思っている』


 何をいまさら……。

 私は堪らなくなり、記録の再生を止めた。


 何十年も昔、私と彼の間には一人息子のケンがいた。私たちはあの愛くるしい笑顔を守るためなら、どんなことでさえできると思っていた。

 しかしケンは四歳の時に事故に合いこの世を去った。

 あの日、ケンの誕生日祝いに郊外のレストランで食事をした際、ちょっと目を離したすきに店を飛び出したケンは、ちょうど駐車場から出ようとしていた車に轢かれたのだ。すぐに病院に搬送され、懸命の治療が施されたがケンが再び目を開けることはなかった。

 それからの日々は地獄だった。ことあるごとに事故の責任を相手に求め罵り合った。そんなことをしてもどうしようもないことはお互い分かっていたが、心にぽっかりと空いた穴を、相手を非難することでしか埋めることができなかったのだ。そうしてお互いをとことん傷つけあった私達は、とうとう折り合いがつかなくなり別れた。

 別れてからも地球上の何もかもがケンのことを想起させ私を苦しめた。

 そして私は宇宙に居場所を求め、木星・地球間の重水素運搬船のクルーになった。

 そういう訳で宇宙に上がってからは、夫を含め誰とも一切の連絡を取らなかった。

 宇宙船では、加速・減速時と五か月ごとの当直以外は人工冬眠状態なので、ケンとの思い出に苛まれることもなかった。また人工冬眠では、新陳代謝が極端に低下しているので老化もほとんど起こらない。人工冬眠を何十回も繰り返してきた結果、私は今では同年代と比べ数十年程の肉体的な年齢差が生じている。

 宇宙での時間が、あの事故の記憶を遠い過去のものとして葬り去ってくれるはずだった。

 だが元夫のメッセージが、それが単なる欺瞞だったという事実を私に突き付けた。今私は、あの事故のことを昨日のことのように鮮明に思い出していた。

 私はただ人より多く眠っていただけだったのだ。


 悲痛な気持ちで再び記録を再生した。


『私は自分の罪を償うためにある研究に没頭し、そしてついにそれは成功した。その成果が君の前にいる男だ』


 何を言いたいのか意味が分からない。


『その男は君のために作ったケンのクローン体だ』


 私の頭の中で、四歳のケンの顔があの坊やの顔と融合し、醜い何かに変貌していった。 

 私は絶叫しテーブルの上の情報端末を払い落とした。

 冗談じゃない、そんなことをして私が喜ぶとでも思うの? 私のケンは四歳なのよ。成人したケン? しかもクローンですって? 悪ふざけにもほどがあるわ。

 やり場のない怒りとともに『ケンのクローン体』という言葉が頭から離れない。

 私は泣き叫び続けた。そして精も根も尽きた時、空っぽの頭の中にある考えが浮かび上がってきた。

 私もケンのクローンを作ればいいのよ。そうしたら四歳まで何度でも育てることができる。ああ、あの柔らかで草原の香りがするケンを好きなだけこの胸に抱くことができるんだわ。

 何ということかしら。クローン技術の権利関係を調べて投資、いや丸ごと会社を買い取ることもできるわね。宇宙では使い道のないお金がたんまり貯まっているんだもの……。

 それとあの坊やの細胞を早くストックしなくちゃ。


「うふふふふ、あははは……」


 古い幼児向けの玩具が散乱する部屋に、狂気じみた笑い声が響き続けた。

                                   (了)

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