四 デッドエンド

「マズイ……」

「先生、一生のお願いなので、うまく誤魔化すの手伝ってください」

「わ、わかってるけど、先生こう見えて嘘苦手……」

「あれ~? なんか元気そうだね。犬助」

「ほんと、さっきまで気絶してたとは思えない」

「ね~」

 小声であたふたする僕たちに、女子二人が口元から牙をちらつかせながら、ゆっくりと近寄る。


「き、気付け薬を嗅がせたんだ。もうバッチシ元気だよね戦場くん。そうだよね?」

「そうですね。やっぱり、ちょっとだけ具合悪いですけど」

 先生のどう見ても下手すぎる芝居に便乗してはみたが、二人の不信感はちっとも消えず、むしろ火に油を注ぐだけだった。

「さっき紫と話してたんだよね。よくよく考えたら、あれって気絶したフリだったんじゃないかなって」

「そうそう。犬助ならやりかねないもん。青香は普通に信じてたけど」

「戦場くん……普段からそんなことしてるの?」

「覚えてないって言ってるじゃないですか」

「もう先生、君の記憶喪失の方も嘘なんじゃないかって思えてきたよ」

「だから二人には記憶喪失を隠してるんです。とにかく、このままじゃ本気で殺されかねないので、助けてください…!」


「まあいいよ。無事だったなら、私も安心したし」

 コソコソと会話する僕たちに、女子勢がまた一歩詰め寄った。

「さ、帰ろっか。犬助」

「まだ、い〜っぱい話すことあるもんね?」

 ふと紫の右手を見ると、三角定規が握られていた。

 僕のDead Endが、着々と進行している。あんぐり口を開いた2つの毒牙は、僕の喉笛の先まで迫っていた。

「だ、ダメだよ二人とも。どうやら戦場くんは頭を打ったようだし、具合も悪いからね。念のためちゃんと病院に連れて行かないと」

「先生、さっきバッチシ元気だって言ってましたよね」

「い、言ってないよ?」

「………」

「………」


 重苦しい沈黙が、僕たちの周囲を縛るようにして包みこむ。初夏の保健室は節電のためにクーラーがついていなかったが、立ち込める冷気は絶対零度のそれだった。

 なぜか喉が異様に乾く。隣に置いてあったお茶に手を伸ばすが、手にした時は火傷しそうなぐらいの熱々だったのに、口に運ぶ頃には夏場の麦茶くらいキンキンに冷えていた。

「せ、先生、やっぱり戦場くんと何があったのか聞きたいな〜?」

「それで庇ってるんだ、犬助のこと」

「頼まれたんですね」

「な、なんのことやら……」

「ゔっ……オェぇぇぇっ!」


 先生がいよいよギブアップしそうなタイミングで、僕は口の中に含んでいた緑茶を、胃の内容物と共にシーツの上にぶちまけた。

 これは演技とかじゃない。マジだ。

「い、戦場くん⁉︎ 本当に大丈夫⁉︎」

「犬助!」

「本当に具合悪かったんだ……!」

 途端に保健室が騒然とし、三人が僕を囲んで右往左往する。

 向かいの棚に置いてある茶葉の缶に目をやると、賞味期限が三ヶ月も切れていた。十中八九、原因はアレだろう。というか、生徒に期限切れのお茶を飲ませるな。どんな保険の先生だ。

「き、君たちは向こうに行って!」

「でも……」

「いや、これが感染症とかだったら一大事だからね! まずいな戦場くん……早く病院に連れて行かないと!」

「犬助くん、死にませんよね……?」

「わからないな。もしかしたら、もう……」

「そんな……!」

「え、普通あんなので死ぬ?」

「とにかくここは先生に任せて! いいからっ!」

「わかりました……行こう、紫」

「えぇ~、なんか納得いかないんだけど」

 先生の迫真の演技に、疑り深い女子勢もさすがに諦めたようだ。彼女達は心配そうに僕と先生を交互に見つめながら、仕方なく保健室を去って行く。

 なんだか、ものすごい罪悪感だ。嘘じゃないからいいけど、演技でこれをやっていたら、もう一度吐いていたかもしれない。


 僕は逃げてばかりの自分にため息を漏らしてから、喉奥から湧き上がる第二波をグッと飲み込んだ。

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