おやすみ映画館

ギガ肩幅担当大臣

おやすみ映画館

祖父が死んだのはほんの数週間前だというのに。

我が家では、その輝ける人生のトロフィー達を奪い合う協議が行われていた。


ペチャンコの一軒家に集まった親戚達が、現金な話をペッチャクチャリと唾かけ論で延々としている様は、祖父が生きていた時の家族という形から、なんだかさもしい怪物の群れに変身してしまったかのようだった。


協議に参加する父の腫れ瞼からは、涙の枯れ沢がしわしわと伸びていた。

あんがい、じぶんもあの父が死んだとして、ああやって図太く権益を主張するんだろうなと思うと、

大人にならないピーター・パンという生き物が羨ましいと感じてしまう。


ヒートアップする大人会談に耳がツーンとしてきたので、家をでてケッタマシンにまたがった。

新しい持ち主が決まるまでの間、宙ぶらりんになったあの映画館を一人占めしたくなったのだ。

祖父の映画館まではほんの数十分であるからして、じぶんのタチコギパワーならちょうど9分で到着するのである。

尻を浮かせてペダルを漕ぎ狂うと、尻とサドルの間を1月の朝の冷気が元気に通り過ぎて行った。


数々の冷ややかなおはようが尻を撫で続け、汗がキンキンに睾丸を冷やし終えた頃ようやく、腐った豆腐みたいな四角い建物にたどり着いた。

このなにもない町唯一の萎れた商店街で、四辻の角というよく目立つ立地に鎮座する、くすんだ白い映画館。

所々が茶色くしみったれ、緑の蔦が申し訳程度に這っているのでこれは冷奴だと思う。


「それじゃあ、これは薬味だな」


のってきたケッタマシンをそえて入り口に向かう時、豆腐にかっぷり空いたショウウィンドから、日焼けした古い映画のポスター達が見えるのだけど。

顎の割れた金髪のおじさん、作り物みたいな宇宙人、全裸のおばさん、バカみたいに笑顔の女の子。

みんな色褪せた世界からこちらの世界を凝視していて、今日なんかは特に遺影のようだった。

いえーい。


入り口のガラス戸には大昔の上映スケジュールが貼られていて10年前の昨日の今頃は、「怪人ギロ男VS熊撃ち次郎」とかいう訳のわからない映画を上映していたとの事。

後から調べてみてもわからずじまいだったので、野犬みたいにひっそり産まれて、知らないとこで野垂れ死んだんだろうと。

何となく悲壮感が骨に凍みたので、ブルブルと身体を震わせながらじぶんはカビ臭い映画館の中へこそこそと入ることにした。


光の入らないホールの先にある暗闇には、時間の止まったガラクタやポスターなんかがゴロゴロと山になっている。

もはや手探りで配電盤まで向かうのも慣れたもので、何度も踏み台にしてきた事務所のデスクには、じぶんだけがつけた靴底の跡がいくつも残っていた。


バチンッ


誰かが光あれと言った。豆腐に光があった。

カウンターと、短い廊下と扉があった。

埃の積もったカウンターには、祖父のお気に入りのコーヒーの器具があった。

理科室にあるような、アルコールランプとフラスコみたいな道具だ。

あの時、ぼこぼこと沸くフラスコの中の湯をじぶんは眺めていた。

祖父がコーヒー豆をガリガリと引くと、芳香が狭い映画館にふわりと漂い、常連のおじさんたちが、ゾンビみたいにカウンターの前に集まってくる。

カウンターの裏から眺める祖父の所作は、まるで映画に出てくるようなカッコいい老紳士のようで。

きっとじふんの目は、キラキラと怪光線を散らしていただろう。


短い廊下の先にシアターがある。一つしかない扉に上映中のライトがチリチリと点滅している。

皮張りの重たい扉を開くと、40人ばかりの座れるシアターが出てくるのだ。

殆どの席はもう何年も人を座らせていないので、カビをまとった埃で満席の状態である。

彼らを空に撒かないように、ゆっくりとシアターの後ろの小さな鉄扉を開くと、急な木の階段が現れる、一段一段ゆっくりと登るたび、ぎいぎいと年老いた木材が小さな喘鳴を漏らしていく。


階段を登りきった先はじぶんの秘密基地だった。

映写室にはフィルムを置く大きな棚があったけれど、ほとんどのフィルムはマニアに売ってしまったし残ったのもきっと、買い手がつかなかったかボロボロで価値がないものばっかりなんだろう。

空いた空間にゲーム機やらボードゲームなんかを置いているけれど、がらんどうの棚をモノで埋めるには、じぶんの人生はあまりにも短かった。

小窓からはほの暗いシアターが見渡せて、そのおくでボロの赤いカーテンが広がっている。


じぶんは映写室の明かりをけしてそれから、シアターの照明をゆっくりと落としていった。

冬空に夜がやってくるみたいにすっと、光が部屋から失せると、そのうち瞳孔がゆっくり開いて、目が即席の夜に慣れてゆく。

カーテンを巻き上げると、その後ろからグレーのスクリーンがあらわになってゆく。

じぶんはこの瞬間が好きだ。なにかが始まる予感、隠されたものが暴かれる興奮、暗闇に浮かびあがる物語の始まり。

誰がなんと言おうと、たまらなく好きだった。


スクリーンに映る木製の仮面を被った男が、火曜サスペンスみたいな崖っぺりに立たされていた。両手にバチをもっていたのでドラマーかと思ったけど、仮面のぎざぎざした彫りからそれが、怪人ギロ男であることを悟った。ギロ男はじりじりと後退してゆくが、がらごろと小石が崖から落ちたところで足が止まった。

落ちていった石たちは悲鳴も上げずに波にのまれていき、目の眩んだギロ男が唾をのみ込む音が聞こえた。ギロ男の目線(実際に穴が空いていてそこから目が見えた!)の先には、猟銃を構えた無精髭の男が立っていた。

トリガーに指をかけたまま、しょっぱい見た目の怪人ににじり寄る。


緊張感のあるシチュエーションなのだろうが、二人の衣装の作りはなんだか安っぽくて、板から滑り落ちるような演技力もあいまってか、喧嘩して気まずい友達同士の沈黙のような空気感に包まれていた。


「おとうもこの時は緊張してたなぁ」


隣に椅子を並べて座っていた祖父が呟いた。


「じいちゃん、死んだんじゃないの?」


「そうだ、だからここに座ってるんだ」


半年前にお見舞いにいった時、寝たきりじゃ好きなところに行けないなぁ、とぼやいていたのを思い出す。

なにも化けて出ることもないのに、とこぼしかけたけれど、祖父がこの映画館を誰よりも大切にしていたのは知っていたので、余計なことは言わないこととした。


「この映画を作ったのはお前のおとうなんだよ」


どうやらギロ男の正体は父のようだった。

スクリーン上のチープな怪人をよく見てみると、多少痩せてはいるものの背格好はじぶんのよく知る父のものであった。


「なんで父さんはこんな映画を作ったの?」


じぶんは見るに耐えない痴態から目をそらすと、祖父の横顔を見つめた。スクリーンから反射した光がチラチラと、白い髭を蓄えた祖父の顔を照らす。そのうるうるとした瞳には、スクリーンに映る父の姿が写り混んでいた。


「忘れられていく物に送る、ラブレターのつもりだったらしい、そんなことしても、ここの閉館は変わらないというのに」


父のロマンチストな一面を垣間見て、なんだか背中がむず痒くなってしまった。

そんなに好きなら、映画監督を続ければよかったのに。面白くもない海外の映画を日本に持ってくる仕事だなんて、中途半端にすがるくらいならいっそ、街中華とかトラック運転手とか商社マンとか、関係のないところで頑張ればいいのに。

父もこの映画館を好きだったはずなのに、今もきっと親戚の大人たちと、ここを駐車場にでもする話をしているんだ。

そんな事をぐずぐず考えていたら、なんだか目ん玉の奥がどくどくと熱くなってきた。


「で、たか坊は将来、何をしたいんだい」


祖父は、じぶんの気持ちなんか全部分かってるというような口調で話しかけてきた。

この映画館を壊してほしくないのだ、きっと何か方法があると思う。

今流行りの映画を流すとか、最新の機械を導入するとか。


「それが無理なのも、たか坊なら分かるだろう?」


祖父はスクリーンに映る父の姿から目を離さない。ギロ男と熊撃ち次郎がもみ合いになっている。

スクリーンの中の父が叫んだ。


「思い出してもらえなきゃ、意味がないじゃあないか、学校の引き出しの中で終わるなんて、ぼかぁ嫌だ、爪痕を残すんだ」


もみくちゃになった二人の足元が映り、崖が崩れる。倒れこむ二人がスクリーンから消えると、崖下を写すカメラに切り替わる。

そしてどう見てもぬいぐるみにしか見えない二人が落ちてゆき、波にのみこまれて消えてゆく。



「おい、たかと、起きろ」


父に揺さぶられて、じぶんは目を覚ました。

小窓に突っ伏して寝ていたらしくて、顔中が鼻水だかよだれだかでべちゃべちゃになっていた。目も腫れていると思った。

父は祖父が座っていたのと同じ椅子に座って、同じ姿勢でスクリーンを見つめていた。

それから夢に見た祖父に似た喋り方で話しかけてきた。


「とうさんな、映画を撮ったことがあるんだよ」


初めて秘密を打ち明けるような感じだったので、思わず鼻で笑ってしまいそうになった。


「怪人ギロ男ってセンスはどうかと思う」


じぶんの言葉に父は目を丸くした。こちらを向き直ると、おじいちゃんから聞いてたのか、と訪ねてきた。確かに、ギロ男の目は今の父の目そっくりだった。


「ついさっきね、夢で見たんだ」


そうか、夢で見たのか、父もあまり深掘りしてこなかった。

ただ錆び付いた映写機を撫でながら、次の言葉を探しているようだった。


「映画館、なくならないよね?すごく好きな場所なんだ」


じぶんは映画を愛したギロ男に訴えた。父は配給会社のぺーぺーだし、ここの経営をどうにか出来るような要領のよさもないと思う。

でも確かにシアターを見つめる横顔から、心のそこにくすぶった火種が見えた気がした。

スクリーンに映るギロ男の心の叫びが、まだ父の頭がい骨にこだましていると思った。


「なくなるわけないさ、おじさんとも話を付けたんだ、方法はまだ考えてるんだけど、でも絶対なくさない、いつかまたここで映画を上映したいんだ」


父は、じぶんが説得するまでもなく、あの時スクリーンに映ったギロ男のままだった。

またいつか、あの映画見たいなバカなものを撮るのだろうか。そう思うと父もじぶんも結局、ピーターパンという生き物に近いんじゃないかと思った。

本当は大人なんてどこにもいなくて、みんな必死に大人のふりして生きているだけなのかもしれない。


映画館の電気を消して、鍵をかけて、父の車にケッタマシンを引っかけた。

空はすっかり上映中みたいに真っ暗で、冬の風はじぶんと父を容赦なく冷やし始めた。

車に乗り込むと暖房がかんかんに効いていて、あれだけぐっすり寝たのにまた意識がもうろうとしてきた。

窓ガラスごしに見える映画館は真っ暗で、時間が止まっているようだった。、

腐った豆腐の扉の内に、髭もじゃの老紳士が立っていたかもしれない。


父が車を出すと、それもすぐに見えなくなってしまった。


さよならとはちょっと違うから。

とりあえず今は、おやすみと言っておこうかな。

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