第1話

「今日どうする? どこか寄って帰る?」

 銀行を出た所で、恋人の美希がしなだれかかってきた。

「そうだなぁ……」

「遠藤さん」

 銀行から数メートルも離れていない場所で、後ろから名前を呼ばれた。今、一番聞きたくない声だ。逃げたい気持ちを押し殺し、ゆっくりと後ろを向く。

「遠藤さん。お待ちしてました」

 派手なスーツをだらしなく着崩した背の高い男が、下卑た笑みを顔に貼り付かせて俺を見ていた。

「誰、この人?」

 男の異様な雰囲気を感じた美希が、絡めた腕に力を込め不安そうに聞いてくる。

「えっと……ちょっとした知り合い。後から行くから、いつもの店に先に行っておいて」

 やんわりと絡む腕をほどき、優しく笑いかける。

「でも……」

「大丈夫。すぐ行くから」

 不安げな美希の背中を軽く押して促すと、しぶしぶといった感じで歩き出した。心配そうにちらちらと振り返る美希の背中を見えなくなるまで見送り、ちらりと男に視線を送った。美希が向かったのとは逆方向に歩き出し、狭い路地裏に入って行くと、男は無言で付いて来た。

「困るよ! 職場には近付かないでくれって、言ってるだろ!」

 人気がないのを確認し、男に向かって不平を告げる。

 この男と話していた時間は短い。美希以外の職場の人間に見られていないとは思うけれど、油断はならない。こんな風態の悪い連中と付き合いがあると知れたら、俺の職場での地位にひびが入る。

「でもねぇ遠藤さん。最近ちょっと返済が滞ってませんか?」

「あ……後3日! 3日後には給料が入るから……」

「じゃあ後3日だけ待ちますけど……」

 男がにやけた顔を近付けてきた。ヤニ臭い息が顔にかかって、顔をしかめそうになるのを必死で抑える。

「3日後にお支払いいただけなかったら、彼女さんに払ってもらいましょうかね?」

「かっ……彼女は関係ないだろ!」

「そうですよねぇ!」

 大仰な動作で離れてくれた男にほっとしていると、男はとんでもないことを言った。

「いざとなれば、金なんかいくらでも用意出来ますもんねえ? 遠藤さん」

「なっ、何の話だ!?」

「いやいや、おとぼけにならないでください。遠藤さんのお得意様なら、多少は……ねえ?」

「なっ……! 客の金に手を付けろと言うのか!?」

 地方銀行の営業マン。新品の札束を手にすることも、大金を手にするのも日常茶飯事だ。だけどそれは全て客の金。客の金に手を付けて無事に済むわけがない。運良く1回や2回バレなかったとして、ずっとバレない保証はない。そしてバレて捕まるのは、この男じゃなく俺だ。

「まさか! そんなことは、ぜーんぜん言ってませんよ! ただね……」

 張り付いていたにやにや笑いを顔から消すと、鋭く細められた目が俺を射抜くように見る。男の変化に、背筋がぞくりと寒くなる。

「こっちも慈善事業してるんじゃないんでね。金を返してくれれば問題ないんですよ! どんな手段を使ってもね」

 男の言葉に、心臓が縮み上がった。

 どんな手を使っても、俺から金を取り立てる気だ。その金は、彼女に借金したものでも、横領したものでも、関係ないと男は言っている。

「それじゃあ、3日後に」

 絶望感に打ちひしがれながら、俺は男の背中を見送った。

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