見えもしない星はいつしかあなたの元で輝く

紙飛行機

見えもしない星はいつしかあなたの元で輝く

 宝探しにしては地味で、亡くしたものを探すにしては大袈裟な、そんな楽しみを僕は最近見つけた。家からパイプラインで二十分のところにショッピングセンターがあった。最近はほとんどの店がショールームと化しており、手にとってそのまま購入という店も少なくなった。ただ僕は、ショールームで商品を見て、通販で買うというこの時代の購入スタイルがあまり合わなかった。手にとって選んだものを購入し、家に帰るまで大事に両手で抱える。家に帰った時に、開封する楽しみがある。開封する楽しみなら通販にだってあるじゃないかと言われそうな気がするが、実際に持ち帰るという行為にワクワク感を感じるのだ。注文ボタンを押して五分で届く通販の買い方ではそんな感覚はあまり味わえまい。そんな話をすると僕の祖父は生まれる時代を間違えたなと笑うのだが、もし生まれ変われるのなら、かつてジンボウチョーと言われた場所の書店街に行ってみたい。これも祖父から聞いた話だが、あの時はなんだかんだ紙の本がたくさんあったからそういうお店もまだあった。もっと昔だと店の数ももっとあったという。僕はかつての書店街に情景を思い浮かべつつ今はもう無くなった光景を惜しみ、もしそんな店が数少ないながらもあればぜひ行ってみたいと思っていた。だが、ネットで調べても違う国にあったり、閉店したニュースの記事が出てきたりで、なかなか見つけられず仕舞いだった。そんな中、近くにあるショッピングセンターの側にそんな店があったのだから、僕は涙が出そうなくらい嬉しかった。


 その店は本当に不思議な場所にあった。ショッピングセンターのある三十階建てのビルの側にある小さな建物の一角にあった。そこは元々外国人街の市場があって、百年以上時間が止まっているような場所だった。乾物食材や埃を被った雑貨が積み上げられ、小さなガラスの箱に缶のジュースが冷やしてあった。通りは日よけのパラソルに覆われ、舗装されてから数十年そのままの道は雨になれば泥だらけになりそれでも、スクーターが這うように走っていた。夏になると昼間は暑いから皆あまり働かず団扇を仰いでいて、夕方になると活気が出だす。地元客に肉野菜を安価で売り、観光客には高めの値段でココナッツジュースや瓶ビールを売っていた。親には子供の頃、物騒だからあまり近付くなと言われていた。本屋は市場の入り口の白い建物だった。入り口はガラス張りで、店の中にたくさんの本が積まれているのが遠くからでもわかった。僕自身は、紙の本をほとんど見たことがなかったからそれだけでもひどく興奮した。本当に紙で印刷されている。あの一冊にいろんな知識や話が詰まっていると考えるとワクワクさせられた。ただ、十代中ごろになるまでは、親の言ったことが効いたのだろう。なかなか怖くて入ることができなかった。僕があの店に入ったのは十六の誕生日から一ヶ月経ってからのことだった。どんな本があるのか、一冊どれくらいの値段がするのか、そんなことも含めて気になっていたが、この度、意を決して入ることにした。その日、外は蝉の声も聞こえなるくらい暑かった。ニュースでは熱中症で倒れた人がその日で二十人程出たという。地面に近づく程、砂埃を多く被るガラス戸を恐る恐る押した。電子音のメロディが鳴った。エアコンの涼しさとインクの匂いが体を包んだ。入り口付近に積まれている本には「一冊五百円」と手書きで書かれており、奥には左右に天井まである高さの本棚に整然と本が並べられていた。ほとんど文庫本のサイズの本ではあるものの、様々な装丁で着飾っていた。

「いらっしゃい」店主らしき老人が奥から顔を出した。僕は会釈だけをした。

僕は店の中で統一された装丁の本の並びをキョロキョロと眺めた。買うにしてもどこからどれを手に取ればいいかもわからなかった。電子書籍なら検索をして候補を出してもらえるのだが。僕自身、胸を張って読書家を自称できる人間ではなかったし、そうそう本の数々を読破してタイトルや作家の知識があるわけではない。ただ、それでも店の本棚を見回してわかったことは、有名な作家や有名な作品が無いということだった。一応、作家名五十音順で並べられているが、どれも知らない作家の作品で、ジャンルもバラバラだった。それは自分自身の知識不足なのか、本屋のチョイスがそうさせているのか、わからなかった。


「どれも知らない作家だろう」そんな、僕の挙動を見て老店主は少々得意げな表情でそう言った。


「そこに椅子があるから買うなら、そこでゆっくり内容を見てから決めるといい」


たしかに背もたれの無い丸椅子が隅に置かれていた。日光が読書灯の役割をしてくれる。エアコンの効いた室内で当たる夏の日差しは、ちょうど心地よい温かさを持っていた。本は持っていなかったがふと丸椅子座って本屋の全景を眺めた。やはり、何度見ても不思議な光景だった。白い本棚に白い装丁の本、壁も白ければこの丸椅子も白かった。色の統一感と言うにはいささか不気味にも見えるくらいだった。


「おすすめはありますか?」僕は老店主に聞いてみた。老店主は何人かの作家の名前を挙げたが、凡そネットで使われる名前のようなペンネームの人が多かった。


「まぁ適当に手にとってごらん。どれかいい作品に出会えるかもしれない」


そう言われて僕はひだ左側の本棚に立ち、ふと目についた本をとりあえず三冊手にとった。


「ほう!『元喫茶店員の私が転生先でレトロプリンを作る』か。なかなか良い作品じゃないか。もう一冊はどうだ。『ひぐらしとホッキョクグマ』か。これもいい。どれ、もう一冊は…『うちの村のクリシュナ』これもいいね」


「どれも良い作品なんですね」


僕は三冊ともどういった内容なのか検討もつかなかったが、どれもいいものを当てたらしい。


「もちろんだ。良いと思った作品しか置かないからね」


初めて触れた紙の本。表紙の手触り感、ページを捲る時の音、手にとった時の重さ。普段目にする電子書籍は一つの端末の中にたくさんの「本」が収められているが、これは正真正銘の「本」だ。歴史の教科書や骨董品の店にでも行かないとお目にかかれない紙の「本」だ。


「紙の本は初めてか。良いだろう。物を持つってのは場所は取るが、視覚だけで読むんじゃない。触覚臭覚も使う。身体全体を使って読むんだ」


どの本も表紙は独特の荒さを持っており、親指でなぞるとザラザラしていた。最初のページをめくってみた。端は四角い枠で囲ってあり、中心寄せでタイトルと作者の名前が記されていた。


 僕はその本の序盤まで読み進めて次の本を読み進めた。こちらの本は分厚い表紙で、カバーには光沢がありツルツルとしていた。三冊目のところで老店主はまた話しかけてきた。


「どうだい。紙の本てのは」


「なんというか…統一感がないんですね」


「それは『個性』ってやつだ。電子書籍だと端末の中に入っていて表紙にこそいろんなイラストやデザインが施されているが、手に取ったらすべて同じだからね。紙の本には我々と一緒で個性があるんだ。ほっとけば埃は被るし虫に食われる。手入れをしてやったら何十年でも読める。本も生き物なんだ」


「本も生き物」という言葉に僕はどこか不思議な魅力を感じた。今日、さまざまなものがデジタル媒体化してしまい、僕にとってはそれが当たり前の世界で生きてきた。紙の本は棚に置いたり、たまに掃除をしたり、被っている埃を除いたりして大切にすると長く読める。それもそれぞれの個性に合わせながら。


僕は手に取った三冊のうち一冊を買うことにした。三冊とも買ってみたいが、さすがに台所事情が苦しくなる。


「これを買います」僕は三冊のうちの一冊をお老店主に見せた。


「お、『ひぐらしとホッキョクグマ』にしたか。よしよし大事にするんだよ」


面と向かって支払う行為も僕にとっては新鮮だった。数少ないその場で会計をする店でも、もう無人のセルフレジが当たり前のこの時代だから。


「また来ます!」


「うん。またおいで」


僕は店を出た。


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 三ヶ月後、僕は再び店に来た。厳密に言えば、ほぼ毎日店の前を通っていたので、久しぶりに「入った」ということになるだろう。真っ白な壁と本棚は変わらなかったし、その中で文庫本サイズの紙の本がぎっしりと並んでいるのも代わりは無かった。


 相変わらず元気な老店主で、僕が入ってくるなり「お、いらっしゃい!久方ぶりに来たね」と大きな声で迎えてくれた。老店主はもしかしたら骨董的価値のありそうな埃払いを背中に差し、上の階に続く階段から降りてきた。僕にとっては三ヶ月も来なかったのにちゃんと僕の顔を覚えてくれていたことが微かに嬉しかった。買うか買わないかもしれない金欠学生の僕を。


 老店主に会釈をして、なんとなしに本棚に並ぶ本を眺めた。試し読みとはいえ何を読んでみようかとわくわくしていた。


「今日はこれがおすすめだね『冥王星徒歩縦断ガイド』」


 最近、八年前に打ち上げたじ無人探査船が紆余曲折を経て、やっと冥王星に着陸したニュースがあったばかりだ。きっとSFの過去作に違いない。ただ、それも興味深い。何年前の作品かは知らないが、昔の人がどういうことを想像して冥王星の世界を描いているのか。


「それ、読んでみます」


老店主は青色が基調の装丁の本を手渡した。


「冥王星〜」のあらすじは主人公が一人、冥王星に降り立ち、分厚い防寒スーツを来て冥王星に資源がないか探索する物語である。この本には挿絵があり、遠くに小さく光る太陽光、一面の氷の世界、北極や南極のように激しいブリザードが吹くような激しい世界ではなく、ただただ静かな、気温の低い、静寂の厳しさを持った世界のように思えた。


「これって何年前の作品なんですか?」僕は聞いてみた。


「つい最近の作品だね。だいたい六十年前くらいかな」


 老店主によるともっと古いものによっては二百年前の作品もあるという。人間が文明を築いてから文章による記録というのはいろいろあったと思うが、そのほとんどは土に埋まり、保存状態の良いものが偶然残ったもので、それ以外に関してはほぼ過去に葬られたものだろう。ただ、二百七十年程前にインターネットが普及し、一般庶民の文章による記録がデジタルデータによって半永久的に保存が可能となった(これに関しては媒体の保存状態、保存の維持をすることによって初めて『半永久的』と言えるわけだが)。


 当初、老店主は出版社に勤めている傍ら、なけなしのお金でもう珍しくなった紙媒体の書籍を収集するのが趣味だった。当然ながら古い出版物程、経年劣化で状態が悪くなり読むこともままならないものも少なく無かったという。若いころに少しだけ紙媒体の書籍が流行った時期があったそうだが、電子書籍と比べて扱いの面倒なところ、場所を取るなどの観点から数年でブームが去ると、老店主含む一部のマニアの骨董趣味のようになってしまった。ただ、その頃から彼が目をつけていたのはネットで公開されながらも、ほとんど注目されていないアマチュア作品だった。公開サイトのページビューや評価数など、数字が物を言う世界で、桁違いの数字が出ることは、いい作品の証だったのだ。これは彼が当時、勤めていた出版社でも同様だったようで、ネットでいかに「数」を稼ぐかが重点に置かれていたという。ただ、徐々に彼の中に必ずしもそうではないのではないかという考えが生まれ始め、気付いた頃にはネットの小説サイトでもページビューが少ない作品からジャンルを問わず読み漁っていくのが日課になっていった。その中から本当に良いと思った作品をアーカイブしておき、ある程度貯まったところで作品の作者に連絡し、紙媒体で出してみないかと言った打診をした。ただこの頃で、既に紙媒体がとうに斜陽だったことと、急に出版の連絡が来て作者自身が戸惑ったり、ネット故に音信不通で連絡が取れなかったりして、苦労は絶えなかったそうだ。古い作品においては作者が既に他界している場合もあったらしく、中々上手くいかなかったようだ。鬼籍の作者には遺族の方に連絡し、ようやく了承を得て書籍化するという苦労を重ねた結果、仕上げとして出版社を退職し、退職金と借金をつぎ込んでこの書店をオープンしたそうだ。


「儲けは考えていない。と言ったら嘘だけどね。それでもみんなにこんないい作品があるというのを世に知らしめたいんだ」そう言って笑う老店主。店主がこの店を開いて一番嬉しかったことは店の噂を聞きつけて、世界中から紙書籍愛好家の人たちが集まって来たということだ。彼らはやはり手触りを感じながら本を読みたいという思いが強いという。店主はまだ世界中に紙の媒体を好む人たちがこんなにいるとわかって大層嬉しかったそうだ。


実はその陽の目を見ない作品を紹介していこうと決意したきっかけとなった作品が、僕が今手にとっている「冥王星徒歩縦断ガイド」だったそうだ。


「その作品をネットで見つけた時、ページビューは二つだった。僕を含めてね」


この作品も作者は既に亡くなっており、遺族の方に連絡をとって出版した作品の一つだという。


「僕は疑問だった。怒りすら覚えた。なんでこんなにも素晴らしい作品が世に誰にも読まれていないのだろうかと。内容の流行り廃れもあったのかもしれない。ただ、この作品は紙にしろ電子書籍にしろ出版物にすべきだと感じたんだ」老店主は目を輝かせた。


「遺族の娘さんに出版の話をした時、驚きと共に少し涙ぐんでいたのを覚えているよ。『父はきっと趣味で書いていたと思うんです。同人誌にして出そうとも思っていなかったと思う。そんな話を私達にしたこともないから。ただ、こうして評価をいただいて出版したいというお話を頂けたこと、父はきっと喜ぶと思います。驚きもするでしょうけど』と言ってくださった」


「あの、この本今ではないんですけど、買ってもいいですか?」僕は自然と口からそんな言葉が出ていた。


「あぁいいとも。ぜひゆっくりと読んでくれ」


「お小遣いの関係でもう少し待つとは思うんですけど、二週間後にまた買いにきます」


老店主はそれを聞いて微笑みながら黙って頷いた。


「また来ます!」僕は意気揚々と店を出た。


二週間後、僕は「冥王星徒歩縦断ガイド」を購入した。「ネタバレになるかもしれないけど…」と言って老店主は「冥王星〜」についてある一節が好きなんだと教えてくれた。


〜地球からは見えることのない冥王星。ただ私にとっては月よりも太陽よりも輝いて見える時もあるのだ〜

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