嫌われ悪女セレスタ・クルールが殺された理由

滝川朗(旧:イグレットの魔女)

プロローグ

第1話:周りの同世代の女の子たちと違っていたのは、婚約者がアンドリューと言う名前のオーストラリア人だったことだ。


 もう、死んでしまおう。

 死んでしまうしか、方法はない。


 私は悲しみに暮れながら、平日昼日中の繁華街をふらふらと歩いていた。


 職場に連絡もしないで仕事を休んでしまった。

 無断欠勤だ。

 こんなことは、入社六年目にして初めてのことだった。


 スマホが鳴り響いていたが、すぐに電源を切った。


 私が死んでも悲しむ人なんていない。誰にもかえりみられることのない人生だった。

 私は、高卒で就職し、地味で目立たない、ごく普通の会社員をやっていた。


 周りの同世代の女の子たちと違っていたのは、婚約者がアンドリューと言う名前のオーストラリア人だったことだ。

 SNSで知り合った優しくて陽気な白人系男性。

 職場の人間関係ですさんだ心を癒してくれる存在だった。


 疲れて家に帰ったら、「あかり、今何してる?僕はエドシーランを聞いてるよ」「あかり、疲れてる?ゆっくりお風呂にでもかったら?」「あかり、今日は極上のカルボナーラを食べてるよ、コショウでむせそうになったよ、あかりは?」などと、アンドリューが何気ない日常を送ってきてくれる。


 私は、「今日はムジのカレーだよ。紅茶のティーバッグみたいなもみだし式の入浴剤を見付けたから、今夜は薔薇の薫りを楽しむね」と、絵文字を満載したお返事を送りながら、スマホ片手にレトルトカレーを食し、パワハラ上司の愚痴をこぼしたり、高卒だからと言って下に見てくる大卒意識高い系女子たちを口汚くののしった。


 アンドリューは私の婚約者だった。

 オーストラリアのメルボルンに住んでるけど、日本が大好きで、日本のアニメも大好きで、日本語がびっくりするほど上手で、いつか日本に来て私と結婚してくれると約束していた。


 まだ一度も会ったことはなかったけど、送ってきてくれた写真は人の良さそうな茶髪で茶色い目の白人男性だったし、私のことを溺愛してくれていたし、毎日愛してると言ってくれた。


 こんな私に「愛してる」なんて言ってくれるのは、アンドリューだけだった。

 アンドリューがいるから……私には素敵なオーストラリア人男性の婚約者がいるから、どんなに女子力が高く意識の高い同僚たちにさげすまれようとも、顔面偏差値が高めの女子たちにはにこやかに接するくせに、地味な私のことは奴隷のように扱き使ってくる上司のあからさまな扱いにも、歯を食い縛って耐えていた。


 もちろんアンドリューのことを彼らに自慢したりはしなかった。

 驚かせてやるつもりだったのだ。

 いつか、アンドリュー・スミスと二宮あかりの連名の招待状を職場の同じフロアの全員に送って、素知らぬ顔で出勤しようと思っていた。


 その時、同僚たちや上司がどんな顔をするか想像しているだけで、ひとりぼっちのアパートも、ひとりぼっちで食べるレトルトカレーも、全然寂しくなかった。


 私は本気でアンドリュー・スミスと結婚するつもりだった。アンドリューは、日本でお仕事を見付けてくれると言っていたし、実際に会う約束もした。


 ソーシャルギフトでプレゼントもたくさんくれた。

 高級そうな紅茶とか、バスソルトとか、誕生日には本物の薔薇の花束も届いた。


 だから私も、まったく疑わなかった。

 日本に来るためにお金が必要だから、いくらか送ってほしいと言われた時も。

 大した額ではなかったし、高卒とは言え社会人六年目、安い賃貸アパートで切り詰めて質素な生活をしていた私には貯金もある程度はあった。


 私は母親のような人間にはなりたくなかったから、質素倹約を自分に言い聞かせて、キラキラ女子たちにさげすまれようとも、駅ビルや百貨店に入っているような高価なブランドの服や小物には見向きもせず、身の丈に合ったファストファッションとプチプラコスメで済ませていた。


 シングルマザーだった私の母親は、自分を飾るのが大好きで、お金もないくせにヴィトンのモノグラムのバックとかピンヒールとかを身に付けて、いつもいろんな男の人と恋をしているような女だった。


 私はいつもカップ麺だった。

 6枚切りの食パン、もしくはカップ麺。給食だけがマトモな食事だった。

 夏休みになったらカップ麺カップ麺カップ麺……!

 一食百円のカップ麺だ!

 私は大人になって、就職して家を出てから、カップ麺は一度も食べていない。

 あんな不味まずいもの、もう二度と食べるもんか……!



 いや、話がれてしまった。

 とにかく、私はアンドリューに日本に来て仕事を見付けてもらいたかったし、何よりいつも写真で見ているアンドリューに会いたかった。


 SNSの言葉だけじゃなくて、面と向かって好きとか愛してるとか言ってほしかった。

 身長百七十八センチのオーストラリア人の腕の中に包まれたかった。

 そして、都内のお洒落なレストランを貸し切って、盛大な結婚パーティーを開いて、パワハラ上司やキラキラ女子たちを招いて、私のことをヒエラルキーの底辺だと蔑む者たちに、私はこんなに素敵なオーストラリア人男性を夢中にさせて、結婚したんだ、ざまあ!と見返してやりたかった。


 そのために、ゼクシーも毎日見ていたし、画像検索して、ウェディングドレスも、お色直しに着るカラードレスも決めていた。それに合わせた髪型も決めていたし、流す音楽まで選んでいた。


 アンドリューと一緒にレストランを下見に行こうと思っていた。一緒に貸衣裳屋さんに行って、アンドリューにドレス姿を見てもらおうと思っていた。


 だから、日本に来るためにお金が必要だと言われたら、すぐに送った。

 チケットを買ったと言われたから、成田までの電車のルートも調べていた。

 妹が病気に掛かっていけなくなったと言われた時も、がっかりはしたけど、それならば仕方ない、あと数ヶ月、アンドリューとのご対面は我慢だ、と思っていた。


 妹の病気を治すのにお金が掛かると言われた時も、貸すのではなくあげるつもりで送金した。

 いつか必ず返すからと繰り返し言ってくれたけど、私はアンドリューのことを溺愛していたから、返す必要なんてない、と言って、本当に彼にあげるつもりだった。


 でもそのうち私も貯金が底を尽きてしまった。

 食事もままならなくなって、カードローンにまで手を出した。


 母親とはほとんど音信不通だったから、相談もしていなかったし、母にお金を借りるなんて思い付きもしなかったから、自分一人でなんとかしようと思っていた。


 そのうち、お金も借りられなくなってしまった。

 このままじゃ家賃も払えない。

 スマホ代も払えない。

 ご飯も食べられない。


 そしてアンドリューからの連絡が途絶えて……私は街中を彷徨っている。


 皆が幸せそうに見えた。


 お父さんお母さん、お兄ちゃんと妹。家族四人で笑い合いながら歩く親子。

 色違いのパーカーを来て、仲良く手を繋いで歩くカップル。

 スマホを見ながら足早に歩いていく女性も、薬指には指輪が光っていた。あの人も結婚しているんだ。


 みんな愛されてる。

 みんな誰かに想ってもらってる。

 本当にひとりぼっちなのは私だけだ。

 キラキラ女子たちを見返してやるつもりだったのに。

 優しいオーストラリア人男性と、素敵な国際結婚をするつもりだったのに……。


 私は悲しすぎて意識レベルが低下していたんだと思う。


 自分が何に轢かれたのかも、理解していなかったのだから。

 たぶん赤信号になっていることに気付かず交差点に入って、トラックにでも跳ねられたんじゃないだろうか。


 とにかく、私は一度死んだらしい。

 現世を儚んだまま、死んでしまったみたいだ。

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