第64話 新しい風

 プレアデスの店内は、以前よりも少しだけ賑やかさを取り戻していた。平日の午後、カフェのテーブルには高校生らしき制服姿のグループや、ノートパソコンを広げた大学生が座っている。店の奥では、二人組の女子大生がスイーツを撮影しながら、「これ映えるね!」と笑顔を交わしている。


 昴はカウンター越しにその様子を見つめながら、ホッと胸を撫でおろしていた。これまで常連だった年配の方々や家族連れが減り、売上に不安を感じていたが、ここ数日、明らかに若い世代の新規客が増えていたのだ。その影響か、プレアデスのSNSのフォロワー数も緩やかに増え続けている。


「…本当に助かったな。」


 昴は手元の注文表を整理しながら、小さく呟いた。


 新規客の増加には心当たりがあった。千春と優翔がSNSや友達や部活仲間にプレアデスを宣伝してくれたからだ。優翔は自分の学校の友達に口コミで広め、千春は写真付きで詳細なレビューを投稿し、それがリツイートされて拡散された。実際、今日も「この店、友達から聞いたんです!」と笑顔で訪れた新規客がいた。


 夕方、閉店準備が終わる頃、昴はふと思い立ち、スマホを手に取った。


「千春、優翔、本当にありがとう。おかげで若いお客さんが増えてきたよ!」


 昴は二人のグループチャットにメッセージを送った。すぐに返信が返ってくる。


「役に立ててよかった!もっと宣伝しておくよ!」

「私もまたレビュー書いておくわね。今度はラテアート推しで!」


 二人の明るい反応に、昴は思わず笑みをこぼした。


 ただ、以前の客入りに比べれば、まだまだ回復途中だった。カウンター越しに見える客席には、まだ空席が目立つこともある。「もっと多くの人にプレアデスを知ってもらいたい」と焦る気持ちは捨てきれなかった。それでも、変化が見え始めたことは確かだ。


「千春さん、優翔、次に来た時は何かご馳走しないとな…。」


 独り言を呟きながら、昴は閉店後の掃除を続けた。焦りと期待が入り混じる中で、彼の心には新たな決意が芽生え始めていた。



 夜、自宅のリビング。テーブルには澪が広げたプレアデスの帳簿が置かれ、昴はその隣でペンを握りしめていた。数字の羅列が続くページをじっと見つめながら、昴は小さく息を吐いた。


「やっぱり、まだ厳しいな…。新規のお客さんは増えてるけど、常連さんが減った分を補うには足りない。」


「そうね。でも焦らず少しずつやっていきましょう。」


 澪は穏やかに言いながら、帳簿に目を落とした。昴の焦る気持ちは理解していたが、数字は嘘をつかない。それだけに楽観的にはなれなかった。


「どうにかして、もっと多くの人にプレアデスを知ってもらわないと…。」


 昴はぼんやりと天井を見上げ、思案に暮れた。


 その時、ふと脳裏に一つのアイデアが浮かんだ。


「市フェスタ…!」


 思わず声に出してしまい、澪が顔を上げる。


「市フェスタ? あの毎年やってる夏祭りのこと?」


「そう。ほら、大きな総合公園でやるやつ! 屋台もいっぱい出て、毎年すごい人が来るでしょ?」


 昴は勢いよく椅子から立ち上がり、興奮気味に話し始めた。


「ここで宣伝をすれば、もっと多くの人にプレアデスを知ってもらえるかもしれない!」


「でも…屋台を出すには準備が大変じゃない?」


 澪の言葉に昴は一瞬戸惑ったものの、すぐに笑顔を浮かべた。


「大丈夫、きっとやれる! 少なくとも、今の状況を変えるためには何か行動しないといけない。それに、屋台なら普段店に来ない人にもアピールできるよ。」


 その熱意に澪も少し驚いたようだったが、やがて微笑んだ。


「そうね。お母さんも協力するわ。出店の準備、ちゃんと計画して進めていきましょう。」


「ありがとう!」


 昴は力強く頷き、早速メモ帳を取り出してアイデアを書き留め始めた。市フェスタという新しい舞台で、プレアデスを多くの人に届ける。昴の心は決意で満ちていた。


 リビングのテーブルには、フェスタ出店に関する資料やメモが散らばっていた。昴と澪は向かい合い、真剣な表情で話し合っている。


「やっぱり、フェスタでは提供時間が短いほうがいいよね。」

 昴が考え込むように言いながら、手元のノートに何かを書き足した。


「そうね。長く待たせるとお客さんも困るし、こっちも回らなくなるわ。飲み物に絞ったほうが現実的じゃない?」

 澪がアドバイスをしながら、昴の意見に頷く。


「確かに…。じゃあ、まずアイスコーヒーは外せないよね。プレアデスといえばコーヒーだし。」

 昴が言うと、澪は微笑みながら頷いた。


「それに加えて、アイスラテもいいんじゃない? コーヒーが苦手な人でも飲みやすいし、若い子にも人気があるわ。」


「うん、それはいいかも。あと、コーヒー以外の選択肢も必要だよね。何かフルーツ系の飲み物とか…。」


「そうね、ミックスジュースはどうかしら? あらかじめ材料をブレンドしておけば、提供時間も短くできるわよ。」


「それいいね! じゃあ、メニューはアイスコーヒー、アイスラテ、ミックスジュースの三つで決定にしよう。」


 昴はノートに大きく「メニュー決定」と書き込み、満足そうに顔を上げた。


「限られた時間の中で、最大限プレアデスの魅力を伝えられるメニューだと思う!」

「そうね。どれもお客さんに喜んでもらえそうだわ。」


 二人はしっかりと頷き合い、次は具体的な準備作業へと思いを巡らせていくのだった。



 昴はリビングの一角にパソコンとプリンターを広げ、メニューボードのデザインに取り組んでいた。ネットで見つけたテンプレートをもとに、「プレアデスらしさ」を加えた洗練されたデザインを試行錯誤している。


「背景は木目調で、フォントは落ち着いた感じがいいかな…」


 独り言を呟きながら、カフェらしい温かみを意識して微調整を重ねる。


 完成したメニューボードには、アイスコーヒー、アイスラテ、ミックスジュースが可愛らしいイラストと共に並んでいた。昴は満足そうに微笑むと、次は名刺サイズのカードデザインに着手した。


 カードには店舗のロゴや住所、営業時間を記載し、目立つ位置にSNSのQRコードを配置した。「これでお店のことがすぐ分かるはず」と自信を持ちながら、オンラインツールを駆使して洗練されたデザインを完成させた。


 その後、昴は調達リストを整理し始めた。コーヒー豆、ミルク、フルーツミックス、カップやストローといった消耗品をリストに書き出しながら、フェスタ当日の動線も頭の中でシミュレーションする。


「カップはここに置いて、ジュースは事前に準備した場所に…あとは提供スピードをどうするか。」


 考え込む昴の姿は、すっかり経営者そのものだった。


 夜も更け、静かになったリビングに澪の足音が響く。寝る準備を終えた澪がキッチンから昴に声をかけた。


「昴、もうこんな時間よ。無理しすぎないでね。」


 澪の声には心配が滲んでいる。


「うん、大丈夫。もう少しで終わるから。」


 昴は笑顔を向けながらも、少し疲れた様子を見せた。


 澪は静かに昴の肩に手を置き、「全部が完璧じゃなくても、昴の思いはきっと伝わるわよ」と優しく言った。昴はその言葉に力をもらい、頷いた。



 準備が着々と整う中、昴は自室でフェスタ当日のイメージを繰り返していた。机の上にはメニューボードやカードの試作品が並び、その一つ一つにプレアデスへの想いが込められている。


「このフェスタが成功すれば、もっと多くの人にプレアデスを知ってもらえるかもしれない…。」


 昴はそう思う一方で、初めての屋台運営に対する不安が心をよぎる。


「うまく回るだろうか。お客さんに喜んでもらえるだろうか…。」


 肩に力が入り、無意識のうちにため息をついてしまう。


 そんな昴の姿を見て、澪がそっと部屋を訪れる。手には温かいミルクティーを持っていた。


「昴、あなたならきっと大丈夫。だって、こんなに一生懸命準備してるじゃない。」


 澪はミルクティーを昴に手渡し、穏やかな笑顔を向ける。


「…ありがとう、母さん。絶対成功させてみせる。」


 昴は母の励ましに背中を押され、再び前を向く決意を固めた。


 準備の疲れを忘れるほどの緊張と期待を胸に、昴は市フェスタを迎える準備を整えていくのだった。



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 良ければこちらもご覧ください。

 ・直さんは冷静な顔で、俺を殺しに来る

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090481722534


 ・ハリネズミ女子飼育日記:僕と彼女の365日間

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090591046846


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