第6話 不思議塔

 その雨は突然だった。突然降ってきた。しかも土砂降りだ。僕は自分を雨から防ごうともせずに、打たれるまま立ち尽くした。


 かすんだ背景の向こうに、淡く、暖かく、そして小さな灯が見える。僕は吸い寄せられるように、その光の方へ歩き出す。


 もう手足の感覚がない。雲を踏んでいるかのようだ。ただぬくもりを求めて、光の方へ歩く……。そして、気付くと目の前に巨大な塔が佇んでいた。雨の弾幕に黒い影を落とし、一つだけある窓から暖かな光が漏れ出ている。


 僕は正面にある、木製の扉を押し開け、塔の中へ倒れこんだ。それと同時に、耳を覆っていた狂ったような雨音は消え失せ、静寂が訪れる。


 ここは暖かい。安全だ。もう大丈夫だ。そう思わせる、至福の静寂。でも欲を言うなら、せめて身体を拭きたい。だから、たとえば……


「タオルが欲しいか?」


頭上から低い声がした。この塔の主だろう。僕は倒れたまま、顔を上げる力もなく、ただ


「はい、お願いします」


と答えた。するとその主は、


「あいにく、この塔には乾いたタオルならたくさんあるよ。申し訳ないが、濡れたタオルは一枚しかないんだ。それでもいいかね?」


と、不思議なことを言った。


「できれば乾いたものが良いです」


「ふむ、私は乾いたタオルが苦手でね。まあ、探してくるよ」


そう言って主は奥へ去っていった。


 彼はすぐに戻ってきた。僕は起き上がりはしたものの、まだ床に座り込んだまま、濡れた服が肌に張り付くのに辟易していた。


「あったよ」


僕はありがとうと言って受け取ろうとした。しかし主はそのタオルを引っ込め、僕を見た。


「まあ、よく考えなさい。今この世界には、濡れたタオルは一枚しかないんだよ。それでも君は、乾いたタオルが欲しいのかね?」


「はあ?」


「今この世界にある濡れたタオルは、唯一これしかないんだ」


「だから何だというのですか?」


「君はこの濡れたタオルが欲しくはならないのか?」


「濡れたタオルなんかあったって、何の価値も無いですよ。たとえそれが今、世界に一つしかないとしても」


僕は息まいて続ける。とにかくタオルが欲しい。


「それに、そんなに大事なら、なんで僕にそれを見せようとしたんですか? 僕は乾いた方が欲しいのに」


しばらく、沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、変に厳かな塔の主の声だった。


「合格だ」


「は?」


「君には、この濡れたタオルを渡そう。繰り返すが、これは世界で一つしかないのだ。あらゆる人間がこれを狙っている。だが君なら、守り通せるだろう」


「いや、だから……」


彼は濡れたタオルを僕の手に押し付ける。そしてそのまま僕を立たせ、背を押して扉から追い出した。後ろでバタン、と強く扉が閉まる音がした。


外は快晴になっていた。地面は驚いたことに、完全に乾ききっている。僕の服さえ、ふわふわに乾いている。


僕は手に持った濡れたタオルを見た。ひんやりと心地よい湿り気を放っている。振り向くと、さっきまでそこにあったはずの塔は、影も形もなくなっていた。


「ばかみたいだ」


僕はつぶやいて、街の方へ歩き出した。









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