第2話 追放されし学園長の思惑

 リグループ魔法学園、学園長室。


 ニコライが眺める窓の外では生徒たちが魔法の修練に励んでいる。


 標的に魔法を当てるもの、氷魔法習得のため桶に張った水を凍らせようとするもの、息切れで詠唱が止まってしまわないよう走り込みをするものなどなど……


 皆、思い思いの練習をしている。


 そこに身分の垣根は無い、貴族も平民も魔法習得のために切磋琢磨している。


 皆が平等に学べる……それがこの魔法学園の理念であり、様々な分野に魔術師を輩出し続けている秘訣でもある。



「それを分からず小銭目当てで貴族偏重にするつもりかね……」



 確かに貴族の金払いは良い、名門魔法学園に大金を払ってでも入りたい連中は少なくない。


 だが、素質のない人間を大量に入学させることは評判を下げる一因にもなる。


 素質はあるが経済的な問題で入れない平民の子が盗賊なんかに身を落とす可能性もある。犯罪者の抑止も兼ねている部分もあるとニコライは自負している。



「やれやれ、頭が痛くなる」



 たまらずニコライは胸ポケットから煙草を取り出し火をつけた。



「ま……一度、痛い目を見と良いさ。これも勉強だよバルザック君」



 貴族に懐柔された脂ぎった男の顔を思い出し苦笑するニコライ。


 そんな彼の背後からコンコンと静かにノック音が鳴る。



「どうぞ」

「失礼しますニコライ学園長」



 中に入ってきたのは秘書のようなスーツに身を包んだ女性だった。


 指で押さえているメガネの下に沈痛な面持ちを携えている。


 彼女の表情をほぐすようにニコライは軽い感じで手を挙げた。



「あぁローズ君。もう学園長ではないから呼び捨てでもかまわないよ」



 ローズと呼ばれた女性は真面目な顔で首を横に振る。



「そうはいきません、ニコライ学園長はまだ学園長なのですから……ふぅ」



 ローズはため息を一つついてニコライに尋ねた。



「あの、学園長ぶしつけな質問だと思うのですが」

「どうぞどうぞ」



 生徒の質問に答えるようにフランクに応じるニコライ。


 衣を正すとローズは一礼して質問を投げかける。



「何故わざとバルザック氏の策略に掛かったのですか?」

「質問を質問で返して恐縮だが……何で、わざとだと気がついたんだい? その理由を教えて欲しいね」



 答えだけでなく理由も述べよ――生徒に関わらず、自分で考える力をうながすような問かけをするのがニコライの癖だった。


 ローズは「バカでもわかります」と少々ご立腹気味だ。



「バルザック氏は一つ覚えのように何かと理由を付けて解任要求、そして周りを金で懐柔したり投票に細工をして……今回も何一つ工夫もなく同じ手口でした。毎回対策していた学園長が今回に限って何もしなかったのはわざととしか思えません」



 敢えて引っかかったとしか思えないとローズ。


 ニコライは「ご名答」と手を叩いてみせる。



「素晴らしい、ただ一点間違っているとするならば……「バカでもわかる」のは違うかな。分からなかったよ、彼には」



 遠回しにバルザックを名指しで「バカ」と言ってのけたニコライにようやくローズの顔に笑みがこぼれた。



「申し訳ありません、勉強不足でした」



 小さく頭を下げるローズにニコライは机の上に腰をかけるとバルザックに対して愚痴をこぼす。



「あのバルザックという男は貴族連盟から派遣されてきた人間なんだけどさ……学校運営よりどちらかというと私腹を肥やすことに注力する輩でね。教職員としては――」

「三流以下の風上にも置けない人物と」



 スパッと言ってのけるローズにニコライは口笛を吹いた。



「いうねぇ、ローズ君も。やっこさんは貴族連盟からの「もっと貴族を入学させろ」という使命を忠実に守っていたんだろうね。表面上は連盟と仲良くしたいから切るに切れなかったし泳がしていたんだけど……」

「だから敢えて罠にかかったと?」



 ローズの問い。


 ニコライは二本目の煙草に火を付け、続ける。



「彼のお仕事に時間を割くのは無駄と思って、それにバルザック氏をどうにかしても、また連盟から別の人間が送られてきたら意味が無い……」



 紫煙をくゆらせ、ニコライは笑っている。


 彼の意図を察したローズは呆けた顔でこめかみを抑えていた……聡明な美人が台無しである。



「つまり、一度彼に学園長の座を譲って痛い目を見てもらおうと?」

「その通り。僕がただ学園長の椅子に座って煙草を吹かしているだけだと勘違いしている節があるからね、彼……いや彼らは」

「貴族偏重にしたら今まで通りの運営は困難。学園の評判もおそらく落ちるでしょう、貴族連盟とバルザック氏……その二つに分からせるため、あえて失脚すると」

「何がダメだったのか、身をもって知るのも教育とは思わないかいローズ君?」



 笑うニコライにローズは困った顔をする。



「考えは大変よく分かりました、しかし取り残される生徒や私たち教師のことも考えて下さいよ」

「あ、ひどいなぁローズ君。僕がそんな非情な男に見えるかい?」

「手は尽くしていると願いたいところですが」



 考えがあるのだろう、ニコライは楽しそうに笑っていた。



「もちろん、バルザック君のせいで生徒達は混乱してしまうだろう。有望な生徒が流出したり退学させられたりしないか心配だが……受け皿を作ったり、関係各所に根回しはしておいたよ」

「できれば私の方の受け皿もよろしくお願いします。あなたに永久就職という線も視野に入れておいて下さい」



 さらりとプロポーズまがいのことを言ってのけるローズにニコライは困った顔だけしてそれをいなした。何度も似たようなやり取りをした様子がうかがえる。



「はいはい……ところで、その封筒は何かな」

「誤魔化しましたね。あぁ、これは学園長宛てです」



 封筒を受け取り中身を確認するニコライ。


 彼は内容を見た瞬間、吹き出しそうになった。



「与えられた仕事は遅いくせに、こういう仕事は早いんだな、彼。いやいや、まったく」



 呆れを通り越し感心の域に達するニコライ。できの悪い生徒に対する態度にも似ている。



「正式に解任の通知が来たよ。明日から晴れて無職だ」

「明日ですか!?」



 どうやらその簡素な紙に解任に関する旨が書かれていたようだ。


 ローズはメガネがズレるほど仰天しているがニコライは笑ったまま通告書を眺めている。



「今日中に学園長室を引き払えってさ、初老には堪えるねぇ」

「――心中察するにあまりあります」



 心底同情しているローズだがニコライの顔はどこか晴れやかだった。


 彼の表情に違和感を覚えたローズは疑問に思う。



「……あの、どうかしましたか」

「いや何も、想像通り過ぎてねハッハッハ」

「他にも意味がありそうな顔をしていますよ」



 長い付き合いだからか深くツッコんでみるローズにニコライは笑顔で白状する。



「別に大したことじゃないさ、いやいや溜まった書類仕事をしてから出て行こうと思っていたんだけど今日中となったら無理だなぁ、うんうん」

「は?」

「……というわけで、あとはよろしくローズ君」

「は?」



 ローズのクールな顔立ちがみるみるうちに般若のように強ばっていく。


 それを尻目にニコライは「身辺整理するかぁ」と去る気満々。勢いよく煙草を吸い終わり灰皿でもみ消した。



「さぁて、無職だしどこいこうかなぁ、セイブル地方の温泉にでも行こうかなぁ」



 この反応を見て般若の顔をしたままローズは核心を突く。



「学園長、もしかしてこの更迭をちょっとした長期休暇と考えていませんか? ていうか、わざと仕事ためていましたよね」



 ニコライは彼女に背を向けるとわざとらしく嘆いて見せた。



「いやいや、悲しいなぁ。最後まで学園長として仕事したかったなぁ。あ、そろそろ引っ越しの準備するから」

「ちょ!? 学園長!?」

「もう正式に学園長じゃないから呼び捨てで良いって。あぁ、バルザック氏のせいで学園が大変なことになると思うけど頑張ってねローズ君。本当にヤバくなったら戻れるよう手は打っとくんで」



 そして「片付けがあるから」とニコライはローズの背中をグイグイ押して御退室を願う。



「ちょ……このニコライ! 書類だけでも片付けろコラァ!」



 叫ぶローズを追い出し鍵を閉めるニコライ。


 一息ついた彼は今後のことを考え「やれやれ」と苦笑する。



「少し地方でのんびりしたいところだけど、バルザック君のことだ。変なことをやらかして優秀な人材を腐らせてしまうかも知れない……根回しだけじゃ少々足りないかもな、さて」



 「他にもう一手打つ必要がある」と窓の外を眺め思案するニコライ。


 ジリリリリ――


 そこに一通の電話が鳴り響いた。



「……はて、引っ越し業者にはまだ連絡していないのだが」



 そう言いながらニコライは受話器を取る。



「もしもし」

「どぉもぉ」



 その電話口からは引っ越し業者とはほど遠い景気の悪い声が聞こえてきて、ニコライは身構える。



「君は――」



 意外な人物からの一通の電話。


 ニコライの脳裏に嫌な予感が浮かぶ……そして、その予感は悲しいことに大当たりしてしまうのだった。

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