25話 リクくんの優しさ
「別にされてないけど。どうしたの、リクくん。」
「いや、何もないなら大丈夫。」
リクくんは膝に手を当てて肩で息をしている。そんなに急いで、何かあったのかな。
それに、手には年季の入った古い杭を持っている。私の神具と同じ布のついた鉄杭だった。
「……わざわざそれを言うためだけに来てくれたの?」
「え、ああまあ、ちょっと気になって。」
頭をかきながら目を逸らすリクくんの目的が全くわからなかった。
おまけに、今日も服が汚れていた。もしかして、妖異のせいだろうか。
視えるようになってから日が浅いリクくんのような人間を、妖異は喜んで襲うはず。
いざとなれば鈴を使って三狐神様を呼び出せるらしいけど、それでもほんの少し心配だった。
「……。」
「どうした、やっぱり何か思い当たることが?」
「ううん、何もない。リクくん、その服……。」
「俺は平気。あー結構汚れてんな。」
リクくんは服についた泥を払うように制服を撫でた。
リクくんがそう言うのならそうなんだろう。実際、服に泥がついているだけで、見た感じ怪我はしていように見えた。取り越し苦労だったと、胸を撫で下ろした。
「なら、いいんだけど……。」
「困ったこともないか? 食費以外のことで。」
腰のあたりをはたくリクくんに、澄んだ瞳で見つめられた。
ふと脳裏に浮かんだのは、弟のことだった。今に始まった悩みではないから、頭を振った。
「……ない。」
だから気にしないで、の意味も込めてみたけど、リクくんは首を傾げて納得いかない様子だった。
「やっぱりカンナビって無理してるよな。」
「え。」
やっぱりって? リクくんは私の何を見てそう判断したの?
聞きたいことは言葉にならなかった。詰まるような短い悲鳴が出ただけで、口をぱくぱく動かすことしかできない。
「どこかで遠慮したり、我慢したり、諦めたりしてるような気がするから。もっとわがままになれよ。」
「わがまま?」
なんでリクくんはわかるんだろう。確かに私は遠慮がちだと思う。だって、私なんかより弟の方がずっと我慢して、苦しそうで、そんな隣で弟が持っていないものを持っている私がわがままを言うだなんて、そんなのできるはずもなかった。
おねぇちゃんだから我慢しなきゃ、弟の分まで強くならなきゃ、私がなんとかしなきゃ。
それなのに、なんで、なんで私が欲張ることを望むの?
——もう、これ以上何もいらないはずなのに。
「カンナビ、大丈夫か?」
「え。」
差し出された紺色の正方形は輪郭がぼやけていた。瞬きをして、鮮明になった視界に映るのは白いラインの入ったハンカチだった。
そこで初めて、自分が泣いているのに気がついた。
「ごめん、なんでもない。」
親指で目尻を拭う。不思議だ。いつもならすぐに泣き止むのに、今日は涙が溢れて止まらなかった。心なしか、心臓がチクチク痛んでいる。
普段は妖異を寄せ付けないために、感情を一定に保てるように訓練してきた。涙が出ても、顔の表情は変えないよう工夫していたし、成長するに連れ、出てもすぐ止まるようになった。
色んな人に無愛想だと言われても、自分の身が守れるならそれでよかった。
「使えよ。」
半ば押し付けられるようにハンカチを手渡された。
どこかで似た光景に出会したことがある。
「ごめん。」
ハンカチを受け取って、雫を拭き取るように目の端に当てた。
私が使っているのとは別の柔軟剤の匂いがした。
「あんまり無理すんなよ。」
その優しさが沁みて、土壁がボロボロと崩れていく。堰き止めていた水が溢れるように、さっきよりもたくさん涙が流れた。
「それやるよ、この前のお礼。」
そう言い残して、リクくんは私に背を向けた。
「——待って。」
伸ばした手も、掠れた声も届かない。なんで呼び止めようとしたのかもわからないのに、伸ばした手をそのまま下ろすことができなかった。
「泣いてる女一人にして帰るんか。カスやな。」
声のした方を振り返ると、腕を組んだ三狐神様が立っていらっしゃった。いつもなら気配ですぐわかるのに、情緒が乱れているせいか、気づけなかった。
「……平気だって言うんだから、カンナビなりのプライドもあるだろうし、これ以上俺が関わるのも違うかと思っただけ。一人で気持ち整理したいときだってあるだろ。」
背を向けたまま、リクくんは答えた。
「しょーもない言い訳いらんわ。おどれが泣かしたんに変わりないやろ。」
「なっ。」
振り返ったリクくんは次の言葉が紡げないでいる。多分、リクくんなりの優しさなんだ。だから、私のことなんて気にしないでほしい。私のほんの少しの迷いで、リクくんを困らせちゃった。
でも、謝ろうとしても、言葉が詰まって、代わりに涙が出るの。
ごめん、ごめんね。
「あーあ、せっかくの唐揚げ冷めてまうやん。」
「すみ、ません。」
三狐神様には謝罪の言葉が口をついて出るのに、一番伝えなきゃいけない相手には謝れないでいる。
自分が不甲斐なくて手にしたハンカチをきゅっと握った。
腫れた瞼は重かった。何度か瞬きをして、やっとリクくんに焦点が合った。
リクくんは気まずそうに私から目を逸らした。それから目を隠すように、長めの前髪を手櫛で梳いた。
「悪い。」
先に謝ったのはリクくんだった。何も悪く無いのに謝らせてしまった。
「ううん、違う、そもそも私が。」
自分の声が思ったより震えていて、リクくんからもらったハンカチで思わず口元を押さえた。
感情を整理するのに時間が欲しかった。けれども、リクくんをずっと引き留めておくわけにもいかず、早く泣き止まないとと焦れば焦るほど、呼吸が浅くなった。
——ぐぅ。
啜り泣く声に腹の虫が鳴る音が混ざった。
「なんや今の。」
恥ずかしさに顔を上げることができなかった。三狐神様に触れられてしまい、余計に痛かった。
「身体は正直やな。」
「おい、言い方。」
そんなやりとりをする一柱と一人の空気は、さっきより和んでいるように感じた。
そこでやっと緊張が解けて、顔の筋肉が緩んだ。ふぅ、と息を吐くと毒が抜けていくような感覚がした。
「……ごめん、ありがとう。」
目の前はいまだにぼやけているけど、ちゃんと伝えられた。ただ謝っただけなのになぜか達成感があった。
「もう平気。」
目の端を拭う。今日一番の笑顔を作ったつもり。笑うのは苦手だけど、これでリクくんも安心してくれるはず。
「ふっ、カンナビって嘘つくの下手だよな。」
思ってた反応と違って、口を尖らせた。
「そんなことは……。」
「ほらまた目が泳いだ。」
リクくんは人の癖をよく見ている。怖いくらい。まるでそうすることを強いられてきたかのようで、彼に隠し事をしてもすぐにバレてしまう気がした。実際、さっき言葉を詰まらせただけで、私が我慢していることを見破った。
「そういや、さっきそこで覗いとったちんちくりん、話しかけても無視されたわ。自分より愛想ないな。」
ふと、脈絡もなく三狐神様がおっしゃった。狩衣のような和装の袖の中で手を組み、中国の礼のような姿勢で後方を振り返っている。
三狐神様の視線の先には冷たい廊下に薄暗いあかりが灯るだけで、誰もいなかった。
「ちんちくりん?」
「なんやえらい形相やったで。そんな気になるんやったら話しかけーや言うたけど、黙って二階上がってったわ。」
広い家の割には、使用人もいないし、両親もなかなか帰ってこない。
思い当たる人物は一人しかいなかった。
「氷牙……?」
呼びかけても返事は返ってこなかった。
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