7話 巫女
「すみませんすみませんすみませんすみません!!」
人通りのない校舎の四階。廊下に響く声には罪悪感が満ちていた。
艶のある黒髪が乱れることも気にせず、カンナビは何度も何度も体を九十度に折って謝罪した。
俺は教室から二人を連れ出して、祠を壊したことを伏せたまま、昨日あった出来事を話した。ことの顛末を知ったカンナビは珍しく驚いた表情をしたかと思ったら、先ほどの非礼を詫びるように謝罪を繰り返している。
「神と妖異を間違えるとか、どないなっとん?」
さっきまでなんの反応も見せなかった自称神も頭を掻きながら、小柄な少女を見下ろした。
分かりやすいため息と横柄な態度で、自称神は仁王立ちしている。飲食店で執拗に店員のミスを指摘する輩のようで、いい気はしなかった。
「いやあの、カンナビ。この人神を自称してるだけの可能性も——」
「なんや、自分まだそんなこと言うとん? 祠壊しといて、あんな目に遭うたのに、偉そうやなほんま。」
「う、それは。」
あっさりとバラされてしまった。いや元はと言えば自分が悪いのは百も承知している。しているけど、その報いは昨日受けたはず。こちらにもそろそろ発言権が欲しかった。
「え、高天野くん……?」
ふと、顔を上げたカンナビは相変わらず感情表現に乏しかったが、わずかに寄せた眉間のシワから「信じられない。」という空気を醸し出しているのは、なんとなく伝わった。
いやあれは事故で、なんて弁明すると、彼女は目の下に下半月を作った。そのまま、彼女は訝る表情を変えることはなかった。
「男のくせに保身に走るとかほんまなっさけないわ。祟られて死んだほうがええんちゃう?」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ。」
「なんや、カミサマ信じてへんくせに『縁起』とか言いよるねんな。」
「う。」
痛いところを突かれた。カミサマは信じていなくても日常的に使われている言葉の語源なんていちいち気にしてないし、と心の中で言い訳してみたところで、サグジの言った情けないという言葉が反響して脳内で白旗を上げた。
この男に口で勝とうと思わない方が正しいのだろう。下唇を噛むと、男から目を逸らした。
「はぁ。まさか、かの
独り言のように細く呟くカンナビには、先ほど俺に向けた怪訝な雰囲気はすっかり消え去り、反省とも深謝とも取れる表情をしている。仏頂面がデフォルトだと思っていたが、よくよく見ると案外そうでもないらしい。
新たな発見を面白がっていたが、話題が変わる前にカンナビの出自について追求した。
「カンナビって巫女だったの?」
「……? はい。結構有名だと思ってましたが。」
感情の乗らない声で返された。きっとこの村では周知の事実なのだろう。
なるほど、それならあの言動や行動にも合点がいった。そりゃ神職に携わる人間がカミサマを信じないわけにはいかないよな。
「いや、俺こっち来てまだ三ヶ月だぞ。この土地のルールとか関係とかそういうのわからん。」
「三ヶ月も居ってそんなんも知らんとか、自分に社会性がないからやろ。あかんで、自分に友達できへんの他人のせいにしたら。」
横から口を挟むサグジにはまるで人の心がない。いやカミサマだからと言われてしまえばそれまでだが、それにしたってもう少し手心があってもいいと思う。
まあでも友達いなくたってなんとかなると思ったし、実際なんとかなってきたし、別に全然悔しいとかそういうのはないし。……本当だし。
「まあ言うて俺も知らんかったけど。」
「え。」
この男の言動は読めない。何を考えているかもわからない。その常に閉じられた糸目は怒っているようにも、笑っているようにも取れる。
「あ、えと、申し遅れました。私、三柱神社六十代目の宮司、になる予定の
「じゃあ昨日俺がいたあの神社が三柱神社か。」
「あれはちゃうよ。」
カンナビに変わってそう答えたサグジの声には、どこか元気がなかった。
「山奥にある神社ですよね。あれは廃神社です。もともと三狐神様だけを祀っていたお社でしたが、三百年ほど前に合祀したんです。それに伴って、あの神社は使われなくなったらしいです。」
「へー。じゃあカンナビんとこって今何祀ってんの?」
「三柱の神様です。」
サグジ、ヤマツミ、ミナカミ。なるほど、それぞれの神を祀っていた神社を統一させたらしい。でもそれって、
「勝手な話やな。自分らで祀ったくせに、管理が大変? 財政難? そんな理由でオヤシロまとめましょーなんて、傲慢にも程があるわ。」
確かに身勝手な話だ。これじゃあまるで人がカミサマを都合の良いように消費しているだけじゃないか。
そこまで考えて初めてサグジに同情した。ほんの少しだけ。
「……帰って自分の家無くなっとる思わんやろ普通。」
不満を全面に押し出したサグジから紡がれた言葉に耳を疑った。なんて?
「え、カミサマなのに知らなかった、んですか。」
「なんやその取ってつけたような敬語は。そら神にも知らんことの一つや二つあるわいや。」
どうやらカミサマは全知全能ではないらしい。カミサマに特別良いイメージを持ってはいなかったが、自分の中で形成されたカミサマの概念がだんだんと崩れ出す。
「……で、でも三百年も前の話ですよ。」
俺に続いてカンナビも眉を顰めた。相手を刺激しないようにか、不満を悟られぬようにか、ここにきてから一番小さく、遠慮を含んだ声だった。
「だから知らんのはおかしいて? しゃーないやん。この村おらんかってんから。」
「村を守るカミサマが三百年も不在だったってことですか。」
「悪いんけ?」
「悪くないです。決して。」
カンナビは間髪入れず擁護した。
確かに勝手に住居を移したのは人間が悪いかもしれないが、それを引いても村の象徴たるカミサマがその意義を成さないのはいかがなものかと思う。そんなカミサマを肯定するのも少しだけ違うような気がした。
こんなカミサマを祖母は信じ続けたのかと思うと、失望より沸々と怒りが湧いた。もちろんサグジに。
「いやそこで開き直るのはおかしいでしょう。曲がりなりにもカミサマなんですよね?」
「ふん、都合いい時ばっかり神扱いしてくんなや。」
腕を組みながら不満をぶちまけるサグジの後ろで、カンナビは顎に手を当てて考えるポーズをとっている。
「……そっか。だからサグジ様のお姿を視ることはできなかったんですね。」
糾弾する俺とは反対に、カンナビはどこか納得したように深く頷いていた。
一通り状況やカンナビについてわかったところで本題に入った。
「で、あんた何しにきたんです?」
ホームルームが始まる時間が迫ってきている。連れ出して開口一番に聞けば良かったものの、俺が保身に走ったせいで逸れてしまった。
この男をカミサマとはどうしても認めたくなかったが、クラスメイトに見えてないのも、突如校舎の三階(しかも外側)に現れるのも、彼をカミサマと判断する材料として十分だった。もう少し欲張っていいなら、ヨウイの一体や二体祓って見せて欲しいものだったが。
「……オレはこの村がどうなろうと、心底どうでもええ。でもな、一度知ってもうたら、見えるようになってもうたら、あいつらは問答無用で襲ってくる。村が退廃するより先に、自分呪われて死ぬで。」
「あいつらって、昨日言ってたヨウイやアラミタマのことか。」
「あと、なんや死にたなさそうやったけど、ここに残るっちゅうことは自殺するようなモンやで。そんなんで死んだ後はきついやろな。」
俺の質問には答えず、独り言を呟くテンションでサグジは続けた。
「どういう意味だ?」
「まあ神聖な祠壊したんやから、その結果妖異に殺されても極楽にはいけへんやろな。最悪、転生もできず変な役所で死んだ後も馬車馬のように働かされて、あーかわいそ。」
早口でサグジはそう告げると、「ま、でもそれを選んだんは自分やからな。用心しいや。」と俺たちに背を向けた。聞きたいことは山ほどあったが、これ以上は引き留められなかった。
「わざわざそれを伝えに?」
「……べっつに? そんなんでここまで出向いて伝えるギリもないわ。」
振り向いたサグジは口を尖らせて、子供が嘘をつくときのような顔をしている。素直じゃないな。
ふんと鼻を鳴らしたサグジは草履を履いた足で廊下にペタペタと足音を響かせながら、廊下の先の暗澹に消えていった。
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