3話 祠

 ——高校に進学すると同時に、この三柱村に母親と引っ越した。

 家庭が複雑だから、という理由で腫れ物のように扱われてたせいで、友達もいない俺にとって県を跨いで引っ越す寂しさは皆無だった。それより、やっと母親の理不尽から解放されると思うと、喜ばずにはいられなかった。

 ところが、そうも簡単に上手くいかないのが人生。家庭の問題は解決しつつあったが、今度は学校で「都会から来た憧れ」からか、同学年から、特に男子生徒から冷ややかな目で見られた。全一クラス三十五名。目立つということは、それだけで気に食わない小山の大将たる存在に難癖をつけられた。

 そんなこと言われたって、この村のルールも知らないし、関係性がどうとかもわからないし。それに、やっぱり見て見ぬふりはできなかった。もちろん、自分が関わらなければ平穏な日々を過ごせるのだろう。いじめられるやつだって、もっと声をあげたら良いのにとさえ思う。けれど、もしその方法を知らなかったら? 自分の知らないところで、必死にSOSを出していたなら?

 やっぱり放っておくことはできそうになかった。お人好しなんかじゃ無い、見過ごして心がモヤモヤするのが嫌なだけ。本当にそれだけだった。

 それに、一人の居心地が悪いわけじゃ無い。誰かと合わせる必要もないし、気は楽だった。ペアを作れと言われたら、積極的に一人余って先生と組むのも悪くないと思う気質タイプだったし。

 ただ明日の体育は流石に見学せざるを得ないだろうと、諦める他なかった。

 

「——痛そう。」


 翌日、頭に雑に巻かれた包帯を見てか、はたまた頬に張り付けられたガーゼを見てか、神奈備に憐憫の目を向けられた。

 別に、と返したところで会話は終わったが、その後も視線を感じた。包帯の巻き方が間違っていたなら教えて欲しいが、どうやらそういうわけではなさそうだった。心配されたいわけじゃない俺は、その視線さえも気には留めなかった。

 放課後、昨日行きそびれた山中の階段を登る。階段を抜けると、疾風が駆けた。ふと気温が下がる気配がして顔を上げると、目の前には古びた鳥居があった。誰も管理していないのか、朱が禿げ、所々朽ちている。

 

「……。」


 誘われるようにそのまま本殿へ続く参道を進んだ。

 蚊が好みそうなジメジメとした山中には、鳥や鹿の鳴き声が聞こえるばかりで、人の気配は一切なかった。

 本殿をぐるりと一周しようとして、裏に小さな人工物を見つけた。腰のあたりまでの小さなそれは、屋根の部分に苔がびっしりと生えていて、両開きの扉がついた意匠だった。

 

「ボロい祠。」


 三柱のカミサマを敬虔している割には、こういうところは手入れが行き届いていない。

 ほら、結局カミサマなんて自分に都合のいい存在でしかないんだ。忘れ去られて、朽ちて消える。そんなものに縋るのもファッションなんじゃないかとさえ思う。

 扉に貼ってある小さな札も、水で文字が滲んでしまっている。

 

「三……狐……?」


 目を凝らして、祠に顔を近づける。もう少しで分かりそうだと、札に手を触れた瞬間。


「あ。」


 よほど限界だったのか、祠の扉がパカリと外れ、地面に落ちた。それだけではなく、屋根を支える小さな梁も歪み出した。


「やっば。」


 木々がざわめいて、風が吹き抜ける。

 周囲の温度がまた二、三度下がったような感覚に陥った。

 カミサマは信じていないけど、他人が管理しているものを壊すと後が怖い。咄嗟に辺りを見回すが、森の静謐が漂うだけで、やはり人の気配はなかった。

 ほっと胸を撫で下ろして、落ちた扉を元の場所に立てかけた。パッと見では壊れたかどうかわからない。これでいいだろうと一人満足して踵を返すと、


「壊してもうたん? それ。」


 ギョッとして半歩後ずさる。先ほど確認した際には誰もいなかったのに、目の前には浅葱色の着物に灰色の袴を着た糸目の男が立っていた。男が首を傾げると、短く切り揃えられた銀色の髪がサラサラとゆれた。それだけじゃない、頭の上に二つの耳が生えていた。犬のような、狐のようなその耳は時折ぴくりと動いている。この祠の管理人、いや、神社の神主だろうか。はたまたコスプレをするために撮影をしていたのだろうか。後者だとしたら、なかなかのクオリティだった。

 

「か、完成度の高いコスプレですね。」


「は?」


 違ったか。男はより一層不快感をしわに刻み、顔をしかめている。

 うん、そりゃそうだ。一か八か、話題が逸れるかと思ったが、ここは素直に謝るしかなさそうだった。器物損壊をしてしまったのは紛れもない事実だし。


「すんません。」


 男は大袈裟にため息をつくと、「気の毒やね。御愁傷様。」とだけ残して背を向けた。


「じきに村は廃れるわ。自分のせいで。」


 ——廃れる。なんで?


「ちょっと待ってください。それってどういう。」


 男の含みのある言い方に聞き返さずにはいられなかった。


「その祠ん中、何が居ったと思う?」


 ふと足を止めた男に投げかけられた。


「何って——。」


 何もいない、と喉まで出た言葉を飲み込んだ。扉の向こうは空っぽだった。ただ、ここで聞いているのはきっと物理的なもののことではないのだろう。


「カミサマ、とか。」


「荒御魂。」


 半ば被せるように答える男は呆れた顔でこちらを向いた。


「アラミタマ?」


 耳馴染みのない言葉を口に出して聴き返す。精霊の類だろうか。


「妖の上位互換や。自分、この村の成り立ちも知らんの? 」


 三柱村。三柱のカミサマがアヤカシからこの村を守った逸話。帰郷するたびに嫌というほど祖母に聞かされたその話は、カミサマを信じない俺でも暗唱できるほどだった。


「知ってますよ。知ってますけど……まさかそのボロ、古めかしい祠に、アラミタマが封印されてたとかですか。」


 たとえアヤカシやアラミタマがいたとして、そういう超常的なものはいくら人の手を使っても、鎮めることはできない。逸話の中ではずっとそうだ。だから人はカミサマを頼った。

 目の前の男は何も言わなかった。その行為が、自分の犯した罪の大きさを知らしめた。

 にわかには信じ難いが、アラミタマが村を衰退させるような存在であるなら、俺になす術はなかった。


「で、どうすんの自分。」


 腕組みをした男は俺を睨めつけた。全身から放たれる威圧感に気圧され、心臓がどくどくと波打った。

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