第15話 ケンカ
仕事中に4回ほど紗英から着信があった。電話番号を消していてもこの番号を覚えていることでそれは何の意味も持たない。
電話が来ること自体が煩わしいと感じるようになっていた。もう自分にひとかけらも情がない事をあらためて認識した。
家に戻りシャワーを浴びてカップラーメンを食べ、出かける準備をする。
家を出てすぐの所で後ろから声をかけられた。
その声は想像よりはずっと低くて怒りを持ち合わせた声色だった。
振り向くとそこには知らない男が立っていた。
「紗英の男か。」
とうとう来たかっと思った。すぐに紗英の夫だと分かった。
その男は自分の想像よりずっと大きくて厳つかった。
「まずは話からだ。ここに来てることは紗英も知ってるはずだからそこは心配しなくてもいい。」
男は駐車場の低いコンクリート壁に軽く腰をのせたがおれはその横ではなく正面に向かい合って立った。
男の第一声は意外なものだった。
「お前らなんで別れた。」
この男は俺たちが隠れて会ってたことよりも会わなくなったことに怒りを感じていた。紗英はおれと別れることになったとたんに離婚を決意したらしい。
この男が埋めれなかった紗英のさみしさを自分が埋め合わせていたことは何となく理解していたがそれはこの男にとっても必要なケアだったのだ。
自分の今までしてきたことはこの夫婦の関係を壊すものなどではなく、つなぐ行為だったのだ。笑ってしまうほどあほらしい時間を無駄に過ごしていたという事だ。
「大事な女がいる。」
男はたばこを足で踏み消してそうか、っと一言言った。
そして苦しそうな顔で
「最後に殴らせてくれ。」
っと言って立ち上がりこちらに一言も発せる間もなく殴りかかってきた。
誰かに思いっきり顔を殴られたのは久し振りだった。男は一発顔を殴ったらそのまま勢いが止まらなくなり何発も続けて殴った。
おれが抵抗しないのがわかると掴んでいたシャツの襟を離してさらに何発も殴った。
殴られていることが特別変わった行為だと思えないようになっていた。
そしてもっと殴れと思った。殴られている俺より殴っているあいつの方が息が切れて苦しそうだったからだ。倒れたところをさらにわき腹を蹴られた。
そして全く動かなくなった俺を見てその男の顔に一瞬、恐怖の表情が表れた。
男は膝に手をついて息を切らしていた。しばらくそのままおれの様子を見ていたがおれが片手をかすかに動かすとその途端に我に返った。
そして逃げるように駐車場から出て行こうとしたその時、オレンジ色の車止めの上に座ってこちらを見ている志穂に気付いた。
「誰だてめえ。」
「気にしないで。ただの見物客よ。」
男はまだ気が立っていた。怒りの衝動のまま志穂に近づこうとしたがその側を自転車の2人の学生が通りかかった事で思い直して反対側から出て行った。
志穂は倒れこんだ俺の足元に立ち
「どう?たのしかった?」
っと嬉しそうに笑って聞いた。それがすごく志穂らしいと思った。
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