僕のふわふわ

高橋カノン

第1話

 そんなつもりじゃなかった。

本当に、そんなつもりじゃなかったんだ。あんなに泣くなんて思わなかったんだ。


 僕の目の前に、鼻をくすぐる真っ赤でふわふわの毛先が左右に揺れた。何だ?これは、髪の毛?


 真っ赤なふわふわの正体が、振り向いた。


 大きな茶色い瞳、白い肌に散らしたそばかす。ぷくぷしたまあるい頬がほんのりと紅い。頬と同じ色をした花びらみたいな唇がぷはっと開いた。


「だあれ?」


 僕を見て、茶色い瞳が輝いた。君こそ誰だ?僕は、少しの間、ポカンとしていたと思う。


「……?ふふ。変なのー」


 僕を見てくすくすと、可愛い声をあげて笑った。くそっ!何が変だって言うんだ!


「ふん、変なのはお前だ!この真っ赤なくるくる頭!」


 僕はそのふわふわな赤い髪を掴んで、引っ張り上下に揺らして言った。


「へーんだ。この真っ赤っか!」


 僕はちょっと意地になって、何か言い返したくて仕方なかった。


 その赤いふわふわは大声で泣き出した。こんなに大きな声が出る事に驚いた。

 すると、大人たちが集まって来た、


「デューイ坊ちゃま!こんな所にいらしたんですか。もう!先生が探しておられますよ」


 乳母に見つかってしまった。


 僕は数学の授業が嫌で、抜け出して、庭で木登りをしようとして、隠れていたところだった。


 赤いふわふわは泣き続けている。


「まあまあ、リリア。どこに行ったかと思ったら。お庭に出たのね」


 ふわふわの母親らしき人が、涙を拭って、ふわふわを慰めている。


「デューイ!お勉強をさぼって何しているの?」


 母様が怒った。いつもの事だ。僕は項垂れて、母様の怒りが収まるのをじっと地面を見て待っていた。


 ふと見ると、もう、ふわふわは連れて行かれてしまった。


「あの、母様、あの子……」


「リリア・ロードマン令嬢よ。あなたと婚約するのよ」


 え?婚約……?母様、僕はまだ八歳ですが……。


「リリア嬢は六歳なので、ちょうどいいの。早く決めておかないと、条件のいいご令嬢はすぐに決まってしまいますからね」


「婚約すると……どうなるの、母様」


「そりゃ、大きくなったら結婚するのよ」


 僕とあの、ふわふわが……結婚する……?。


「今日はせっかく後で顔合わせをしようと思ってたのに……。駄目じゃないの、女の子を泣かせて」


 僕は母と乳母からこってり絞られて、部屋で反省するように言いつけられた。


 僕の頭の中は、「ふわふわと結婚」という言葉がぐるぐると回った。


 ***


 婚約すると、定期的に婚約者と顔合わせをする。幼いうちは、親に連れられて、お茶会に参加する程度なのだが、僕は、しょっぱなからやらかしているので、それから顔合わせは大変な事になった。


 僕の顔を見るたびに、ふわふわが泣くのだ……。


 そんな事が何年も続いて、僕は十二歳、ふわふわは十歳になった。ふわふわは、どんどん可愛らしくなってくる。でも、僕を見ると、毛虫か何かに遭遇したような顔になり、ぷいっとそっぽを向く。


 だから、つい言ってしまうんだ。


「リリア、相変わらず真っ赤な髪だな!」


 そうなんだ。ふわふわな赤い髪は背中まで伸びて、風にゆらゆらと揺れる。


「嫌い!」


 リリアは言い捨てて、どこかに行ってしまう。ほんの一瞬顔を見るだけになってしまうのだ。


 それから、さらに数年が経った。


 僕は十八歳、ふわふわは十六歳になった。


 ふわふわは、今でも僕を毛嫌いしている。最近は顔を合わせると、すっと表情が消えてなくなり、プイっとそっぽを向く。昔から変わらない。


 だが、変わった事がある。


 僕はもう、髪の事で彼女に何か言う事ができない。


 リリアはびっくりするくらい、きれいな令嬢に成長した。長く伸びた髪は相変わらず、ふわふわできらきらで、そしていつの間にか、そばかすは消えていた。


 髪の事が言えないとなると、僕はもうどうやって会話を切り出していいか分からない。


 もう幼い子供ではないので、顔合わせでは、僕がロードマン家に出かけて行く。リリアは形だけ「ようこそ」と迎えてくれるがその後のお茶会は悲惨だ。


 リリアは黙ってお菓子をつまんで、お茶を飲む。僕は冷や汗をかいて、話す言葉もない。それなのに、僕は毎回自分から、ロードマン家を訪ねて行く。きっと来ないでくれと思われているかもしれない。


 でも、リリアが見たい。目の前でお茶を飲み、お菓子をつまむ姿が愛らしい。可愛い唇がお菓子を食べるたびに開くのが、どきどきする。



 僕は、リリアが好きだと気づくくらいには、成長していた。


 一言も口をきかず、時間になると、すくっと席を立ち、僕の帰宅を促す。「では、ごきげんよう」と型通りの挨拶をして、くるりと踵を返して、部屋に戻ってしまう。


 ああ、まずい。このままでは到底結婚生活など出来ない。それに、本当にリリアはうちに来てくれるのだろうか?


 だが、両家からこの話が破談になるような話はないし、きっと時が来たら結婚式を挙げられるはずだ。


 そのはずだったのだ……。


「デューイ。ちょっと……」


 母が険しい顔をして言う。


「何ですか、母上」


「あなた、リリア嬢にデビュタントのエスコートの申し込みはしたの?」


 え?デビュタント?申し込み……?


「……してないのね!何でしないの!」


「え?だって、婚約者なんだから……」


「それでも、申し込みはするものなの!リリア嬢、婚約者が申し込みをしないという噂が飛び交って、申し込みが殺到しているそうよ……」


 ええーーーー!なぜだ!


 婚約者は僕だ。婚約者がいる令嬢に言い寄るとは、何事か!誰だ!誰が申し込んでいるのだ!


「デューイ……確かに幼い頃に決めた縁談ですけど、あなたがそんなに嫌なら、無理強いまでするつもりはないのよ……」


 ち、違う!母上!僕は嫌なんかじゃない!


 むしろ……その逆です!


 ロードマン侯爵家とうちのグレイズナー公爵家は、派閥も同じでどこから見ても良縁だ。僕もそう思う。


 だが、結婚しないとどうにかなってしまう訳でもない。


「ロードマン家でも、公子様がそれほどお嫌なら……って、気を使って下さっていてね」


 ち、違う!違います、母上!破談になんかしないで!


「母上!します、しますから!エスコート」


「そうなの?……無理はしなくていいのよ?」


「無理なんかしていません!ちょっと、馬車を使います」


 僕は慌てて出かけて行った。エスコートの申し込みの花を買いに。確か、夜会のエスコートの申し込みは、花束を添えた手紙とかを贈ると聞いた事がある。多分、そうだ。それでいいはずだ。


 僕は赤い髪に似合う、白い花を両手で抱えきれないほど大きな花束にした。


 突然の訪問に、ロードマン家の家令は驚いていたが、庭に席を作ってくれた。そして、ほどなく、ふわふわがやって来た。


 僕は体温が二度くらい上がったような気がした。今日もふわふわのリリアは美しくて可憐だ。


 馬車の中で何回ともなく、口に出して練習した言葉を言わなければ!


 僕は跪いた。多分男が令嬢に跪くのは、正面から顔を合わせるのが恥ずかしいからだと、この時気づいた。


「リ、リリア!結婚してくれ。それからデビュタントに僕を連れて行ってくれ!」


 ああ、僕は何を言っているんだ。顔がリリアの髪の毛よりも、もっと赤いはずだ。


「公子様……?」


「ち、違うんだ。結婚は婚約してるんだから、必ずしてくれ。それと、デビュタントも、他の男は駄目だ。僕と一緒にいくんだ、リリア」


「……」


 ふーっとリリアが息を吐いた。


 だ、駄目だったのか?一緒にデビュタントに行けないのか?


「公子様は……赤い髪がお嫌いで、口もききたくないのでは?」


 ち、違う、違うんだ、リリア!全然違うんだ!


「……母がこの結婚は、無理にする必要はないと……」


「違う!違うんだ!結婚はしないと駄目なんだ。僕は君が大好きなんだ!赤いふわふわの髪が大好きだ。子供の頃からずっと、ずっと君だけが大好きなんだ!」


 ……言ってしまった。


 リリアが茶色い目を、子供の頃のように大きく見開いた。ああ、僕はあの瞬間から、ふわふわのリリアが大好きだったのだ。


「本当に……?」


「本当だ!」


「でも、髪を掴んで虐めました。それに真っ赤っかって……」


「違う。きれいなふわふわでびっくりして、後は何て言っていいか分からなくて……」


「公子様は私を……」


「愛している……」


 ***


 僕はリリアの心を掴んで、デビュタントでエスコートの任を得た。周りの男たちの羨望の眼差しの中、リリアのファーストダンスの相手になれた。


 これ以上の幸せはそうない。僕が二十歳になったら、結婚できる。うちにリリアが来てくれる。ロードマン家を訪ねても、以前のように冷たくされる事はなく、リリアも僕に笑いかけてくれるようになった。


 好きなものを好きと言うのが、こんなに楽しい事だと知らなかった。可愛いリリアを遠慮なく褒めて、惜しみなく贈り物が出来る。


 婚約者の特権だ。何で今までそうしなかったのか。男に大切なのは、愛を告げる勇気だ。


 息子が出来たら、ぜひ教えてやろうと思う。


 ***


「さすがでございますわ。グレイズナー夫人。最近よく、公子様がお見えになりますの。うちのリリアも、デューイ様がいらっしゃるって、楽しみにしておりますわ」


「ほほほ。良かった事。うちのデューイも、あんなに分かりやすいのに、不甲斐ないものだから、ご令嬢にもやきもきさせてしまって」


「男というものは、気が弱いものですからねえ……。背中を押してやりませんと、動きませんのよ」


「夫と同じですわー」


「うちもですのー、ほほほ」


END


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