神現る

中野半袖

第1話

 帰宅すると、テーブルの上に置いてあるノートパソコンが真っ二つに割れていた。


 折りたたみの部分からパカリと割れるならまだしも、ディスプレイとキーボードの真ん中から、左右に分かれるように割れてしまっていた。


 内蔵バッテリーが爆発でもしたのだろうか。いや、それならば焼け跡のようなものが残っているなり、ノートパソコン本体が吹っ飛んでいるなりするはずである。

 それに内蔵バッテリーが爆発したからといって、こうも綺麗に左右に割れるだろうか。


 分かりやすく説明すると、桃太郎が出てきた桃のような割れ方をしているのである。パッカリと割れているのである。断面は、多少のギザギザをしているが、それにしても綺麗に割れてしまっている。


 とても大切にしていたパソコンだけに、ショックが大きい。

 しかし、その割には冷静に話していると思うかもしれないが、今日も残業を4時間もしてきたからだ。


 昨日も4時間。その前は5時間である。先週にいたっては……、いや、とにかく毎日毎日残業続きで、ノートパソコンが壊れたことに対して驚くことができないでいる。

 ショックであるし、なぜこんな壊れ方をしているのか気にもなるが、瞬発的な感情が出てこない。それこそ、感情が大きな桃の中にでも閉じ込められているような気がして……


「おい、若造」


 出し抜けにそう言われて、俺は尻餅をついて驚いた。久しぶりに「うわあ」と叫んだ。

 声のした方を見ると、隣の寝室の暗がりに爺がいた。


「だ、誰だあんたは。泥棒か。こんちくしょう、やるか。いますぐ警察に突き出してやる。それとも、いますぐに警察に電話してやるか。どっちがいい。俺は学生時代、柔道の県大会の予選で2勝したことがあるんだからな、なめるなよ。小学生ののときに、夏休みに書いた書道が金賞をとったことがある。市民ホールにだって飾られたんだ。もっともそれは、クラスの半分がそうだったけどな。やるか、どうなんだ。母親に言いつけてやる」


 久しぶりに興奮して、自分でも何を言っているのか分からない。


 爺はそんな俺を笑いながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


「なななななんだなんだ、やるってのか。やるってのか。よし、よーしよし。やるか。やるんだな。どうするんだ。やるのか、どうするのか。話し合うなら聞いてやるぞ」


 爺はあきらかに爺で、髪の毛は長く、髭はさらに長くどちらも総白髪だった。まっ白な浴衣のようなものを着ていて、棺桶から飛び出してきたような、はたまた、神様のような格好をしていた。


「まあ、そんなに興奮するな若造よ」

「あ、あんた一体なんだ。勝手に人のうちに上がり込んできて」


 俺はへっぴり腰になりながら、持っていた鞄を盾のように構えていた。もし相手が包丁でも持っているなら大変だ。 


「ワシは、神様じゃ」爺はニコニコしながら言った。

 やはり、棺桶から出てきてしまったぼけ老人かもしれない。きっと、通夜の後に息を吹き返したに違いない。こうなるとますます危険だ。ぼけてしまうと、物事の判断がつかなくなる。刃物を人間に突き立てるとどうなるか、などという至って簡単なことでさえ分からなくなっているはずであるからだ。


「これこれ、誰がぼけ老人じゃ。ワシはな、本当に神様じゃ。小説の神様なんじゃよ。お前のパソコンから、出てきたんじゃ」


 そう言って、爺はパカリと割れたノートパソコンを指さした。


「意味が分からない。どうしてノートパソコンから、小説の神様が出てくるんだ」

「それはな、うーん。説明すれば長くなるんじゃが……。タバコ持っておらんか」


 そう言われると、ありますよ、と答えてしまうのが喫煙者というもので、俺はポケットからくしゃくしゃになったハイライトメンソールを取り出すと、一本渡した。

 爺は、テーブルの上にあった俺のライターを無断で使い、深く吸い込むと煙を吐き出しながらしゃべり出した。


「つまりじゃな……」


 本当に長かったので、かいつまんで説明する。


 爺が、もとい、小説の神様がノートパソコンから出てきたのは、俺の小説家になりたいという思いが強すぎたせいらしい。しかし、そういった気持ちをもった輩はごまんといるが、俺の場合はその上に鬱憤が溜まっているからだと言った。


 小説家になりたい気持ちがあり、パソコンを使って小説を書いてはいるが、残業続きで執筆時間が思うように確保できない。朝7時に家を出て、帰宅する頃には日付が変わる。それでも頑張って執筆をしてみるが、あれよ二〇分もすれば疲れ果てて眠ってしまう。では、休日に集中してやろうと思うのだが、休みだから時間があると余裕をこいているうちにあっという間に休日は終わってしまって結局書けない。それでも小説家になりたいという気持ちだけは強く、人気のあるウェブ作家の作品を直視しないようにして、自分だって本気を出せばあれくらいの作品は、いや、もっと面白いものが書けるはずなのだ。なんだあれは、流行に乗って、世間に媚びて、そんな作品を書いて何が楽しい、何が嬉しい。売れれば何でもいいのか、いや、俺はそんな風には絶対にならない、決してなるものか。などと思うのだが、明らかに実力は向こうの方が上であり、それだから人気があるわけなのだが、一度自分もプライドを捨てて流行に乗ってみようと思ったこともあるが、思いのほか難しく転生する間もなく書くのを止めてしまった過去がある。しかし、そんな過去を都合良く忘れて、相変わらず人気作家と人気作品をけなし続ける。このようなどす黒い怨念のような気持ちを胸の奥でボコボコと日々湧き出し続ける俺のパソコンと、小説の神がいる世界がついに繋がったのだということだった。


「小説の神様ということは、売れる小説の書き方を知っているのでしょうか」

「それは当然そうなる」


 小説の神は、俺から奪った残りのハイライトメンソールを全て吸い尽くすと、灰皿にあった長めのシケモクに火をつけた。


 俺は神の前で正座になり、新品のタバコを買ってこなかったことを後悔しながら質問を続けた。


「では、率直に聞きます。ずばり、売れる小説とは」

「売れる小説とは……」


 そこで吸っていたシケモクを灰皿につっこむと、また長めのシケモクを探しだした。しかし、なかなか見つからないようだった。


 神は、吸えそうなシケモクが見つからないことに対してなのか、それとも、俺の質問の答えを考えているのか、眉間にしわを寄せたまま灰皿を物色していた。

 この分では、吸えそうなシケモクが見つかるまでは答えは聞けそうにないような気がした。俺は昨日捨てたシケモクをゴミ袋から探そうかと思ったところで、尻のポケットに違和感を感じた。


 そうだ、帰りに寄ったコンビニで試供品のタバコを一箱貰ったのだった。俺は、すぐさまタバコを開封して神に差し出した。

 神は一瞬嬉しそうな表情をしたが、見たこともないタバコだからか、それともメンソールではないからなのか、ふん、と鼻息を出してから一本に火をつけた。


「つまり、売れる小説とは……読む人を驚かせることじゃ」

 なるほど、と思ったが、どこかで聞いたことのある答えで正直がっかりした。

「若造、いまがっかりしたな」

 俺はドキリとして、首を左右に激しく振った。

「まあいいんじゃ。確かに、どこかで聞いたことのある答えかもしれん。しかし、ただ驚かすと言っても別に文章で驚かせとは言っとらん」

 売れる小説を書きたいというのに、文章で驚かさずにいったい何で驚かすというのだろうか。俺はその続きを聞きたくてじっとして待ち続けた。


 しかし、神は中々その続きを話さず、美味そうにタバコをぷかぷかと吸っていた。

「茶でも頂けないかね」

 神がそう言ったが、あいにく家には茶など無かった。

「コーヒーならありますけど。だめですか」

「いやいや、それでけっこうけっこう。なるほど、コーヒーという手もあったな」

 インスタントコーヒーをいれて戻ってくると、神は、俺のタバコをまるで自分のものかのように吸っていた。


 そういえば、今日は帰ってきてからまだ一本も吸っていない。俺がタバコを一本つまみ出すと、神がずっと見ている。自分のタバコを無断でとられているかのような顔をして、俺の手元をずっと見ているのだ。それを無視して、俺はタバコに火をつけた。


「で、先ほどの続きですが」

「……」

「あの、先ほどの続きを教えてもらいたいのですが」

 神は俺の質問には答えずそっぽを向いて、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる。タバコをとられたのがよほど嫌だったのかもしれない。一箱すべてをあげたつもりは無いのだが。


「読者を驚かすには文章じゃなくてもいいとおっしゃいましたが、それはいったいどうすればいいのですか」俺はもう一度聞いた。

「まあ、それはつまりだ、小説だからといって何も文章に縛られることは無いということでもあるし……、その、何て言えばいいだろうな……お茶菓子でも食べればもう少し頭も回って、もっと簡潔に答えることができるのだろうが」神は新しいタバコに火をつけると、天井に向かって煙を吹き出しながら言い放った。


 小説の神はなんて厚かましいのだろうか、他人の家に勝手に上がり込み、いや、勝手に出現して、タバコをせびり、コーヒーを飲み、あげくにお茶菓子を用意しろという。しかし、せっかく小説の神に会うことができたのだ、せめて売れる小説の書き方くらいは聞いておきたい。これもお供え物のひとつだと思って、我慢するべきだろう。


 ところが、男の一人暮らしの部屋にお茶菓子などあるわけがない。仕方が無いので、明日の朝食に買っておいたメロンパンを出すことにした。


「すみません、こんなものしかありませんが」

「ほうほう、メロンパンか。ところでこれはセボンのメロンパンかな」

「いえ、カミチーマートのメロンパンですが。なにか」

「ああ、カミマの……」


 あからさまにがっかりした様子の神は、袋を開け、少しだけむしって食べると後はテーブルに置いてしまった。


 コーヒーをちびりちびりと飲みながら、もう自分の懐にしまっていたタバコを取り出すと火をつける。その際、タバコの残り本数を二回も数えていた。


 そして、俺の質問にはいっこうに答える様子はなく、室内を歩き回り台所を物色したり、ベランダに出ては「あっちの方にタバコが売っているコンビニがあったな」などと、こっちに聞こえる独り言をいうのだった。


 明日も仕事だ。俺は神の答えを聞いてさっさと寝ようと思い、コンビニへタバコを買いに走った。神がどの銘柄が好きなのか分からなかったので、ハイライトメンソールを二箱買い、念のため缶コーヒーも二本買った。


 部屋に戻ると神は俺の手からコンビニ袋をひったくり、タバコのひとつを懐に、もうひとつを早速開封して吸い始めた。そのついでにテーブルにあった俺のライターも一緒に懐に入れてしまった。缶コーヒーを一本、グビグビと一気に飲み干し、残り一本も懐に入れるとようやく話だした。


「つまり、読者を驚かせるためにはだね、文章だけに縛られてはいかん。文章以外で驚かせる必要があるということだ、つまり、挿絵を入れるのである。しかも、ただの挿絵では無い。いや、挿絵というと文章の隙間隙間に入るイラストのようなものを考えるかもしれないが、そうではない。むしろ、挿絵の連続、つまり紙芝居のようなストーリー性を出した絵の上に台詞などを書くのだ。人物の動きや状況描写などは絵で表し、文章で表すのは人物の台詞や効果音などだけにする。さらに、一ページをいくつかのコマで割り、ストーリーを細かく様々な角度から書く。そうすることによって、読者は文章だけでなく、絵からもストーリーを感じることができる。そして絵は穏やかなものよりも、激しく特徴的なものにすることが肝心であり……」


 神が話しているのは恐らく漫画のことであり、小説の神として小説のことばかりを見てきたせいで、どこかで目にした初めての漫画に衝撃を受けてしまったのかもしれない。


 神の小説(しかしそれは、漫画について話しているわけだが)に対する演説は熱を帯びてきた。立ち上がり、身振り手振りで漫画の素晴らしさ面白さを俺に説明し、タバコをスパスパ、コーヒーをグビグビ。目は血走り、ツバを飛ばし、声を張り上げて喋り続けた。


 俺は小説の神に会うことはできた。しかし、神は神でも貧乏神だったのかもしれない。

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