第39話 盗まれた青い花 04
たとえ嘘をついていると思われても疑心暗鬼させ小さな火種として心の中に埋め込めれば勝手に怖がり、ティニ公国から花を仕入れようとは思わなくなったはずだが、それがカルロのおかげでよりスムーズにうまく行ったのだ。
「そして」と話を続けるネグロの声に私はカルロとの楽しい街歩きの様子を一旦記憶の奥にしまい込む。
「ヴェアトブラウの毒が浸透してきた結果、指先が黒くなってくると信じ込ませ、ヴェアトブラウに何度も触れると指先が黒くなる仕掛けをしていました。この仕掛けがどのようなものなのかは私にもわかりませんでした」
「最初の噂は正解ですが、最後の噂は私が流したものではありませんし、特に仕掛けはしていません。噂が一人歩きした結果ですね」
ネグロは驚いたようにその端正な顔を崩した。
「ですが、村人たちの中にはそのような症状が出ている者が実際にいます」
「村にはそれほど水が豊富ではないのではないですか? ヴェアトブラウが咲く土は他の土地の土よりも黒っぽいので、ヴェアトブラウが枯れないために土ごと花を盗み、その後に石鹸でしっかりと手を洗わなければ色もつくでしょうね。その証拠に帝都の花屋さんの指先は黒くないですよね? 手洗いが徹底しているからでしょう」
オーロ皇帝は本日何度目かの深いため息をつき、「馬鹿どもめ」と重く呟いた。
「本当に、其方は公国を許すつもりがなく、その噂を収集するつもりがないのだな?」
「許すつもりもないですし、たとえ、私が噂を収集しようとしてもこれだけ噂が広まってしまえば収集など無理でしょう」
私の言葉に「そうか」とオーロ皇帝は言い、その手をパタパタと動かして退出を促した。
私は早々にオーロ皇帝の執務室から出た。
扉の前で待っていた乳母とグレデン卿と共にカルロとナタリアが勉強しているはずの部屋へと向かった。
それからひと月後、再び私はオーロ皇帝の執務室に呼ばれた。
「リヒト、あの噂はどうしたら消えるのだ?」
オーロ皇帝の眉間には前回同様に深い皺が刻まれていたが、今回は厳しい顔というより渋い顔だった。
「オーロ皇帝、噂は火事と同じです。火がついた瞬間が肝心なのです。風に煽られ、燃え広がれば広がるだけ消えにくくなります」
SNSで広がった火のせいでどれだけの人々が辛酸を舐めたことか。
ここにはSNSがあるわけではないからどれくらい噂が広がるかはわからなかったけれど、新しい話題がどんどんと押し寄せる世界ではないから、もしかすると前世よりも鎮火させるのは難しいかもしれない。
「つまり、もう消えぬと?」
「自然に鎮火するのを待つしかないでしょう」
「其方はその噂が他の噂として広がりつつあるのを知っているか?」
渋い顔は新しい噂のせいだろうか?
前回の噂は私が意図的に流したものだが、新しい噂はそうではない。
「『公国の植物には毒があるらしい』というものですか? それとも、『公国は盗賊国家らしい』というものですか? 噂とは怖いものですね」
情報ギルドに情報収集の成果を確認しに行った時に、新しい噂についてゲーツが楽しそうに教えてくれた。
「公国の農作物は他国に売れなくなり、公国の商人は他国への入国を拒絶されるようになったそうだ」
「そうですか」
「他の噂で上書きするのはどうだ?」
「悪い噂はいい噂を上書きできますが、その逆は難しいですね」
「では、悪い噂を流しては……」
「どこの国を滅ぼしたいのですか?」
公国を救うために悪い噂を流すということは、公国についての噂よりもインパクトがなければならない。
植物全てに毒があるといった噂や盗賊国家という噂以上に悪い噂を流せば、その国は容易く崩壊へと向かうだろう。
オーロ皇帝は厳しく、時には冷酷な面も持つ皇帝だが、多くの国を無血開城したことからもわかるように悪人ではない。
むしろ、その精神は善人に近いだろう。
そのような人物は、帝国傘下にある国を救うためとはいえ、帝国外の国を陥れるようなことはしない。
思い悩むオーロ皇帝の様子に私は「ああ、でも」と言葉を続けた。
「オーロ皇帝の名声をあげることならできますよ」
私の言葉にオーロ皇帝は不可解そうな表情を見せた。
「オーロ皇帝の名で公国の農作物や大地の検査、そして、本当に盗賊国家なのかどうかを調べるのです」
「それでは、私の名声が上がるだけで公国を救うことはできないが?」
「オーロ皇帝の名声が上がり、一時的にでも注目度がグッと上がれば、その瞬間のオーロ皇帝の言葉は絶対的なものになります」
「ふむ」とオーロ皇帝は考えるように髭の生えた顎を撫でた。
「……つまり、その時に公国の大地には毒がなく、農作物にも問題はないと言えばいいのか? しかし、其方の国から花を盗んでいたのは事実ではないか」
「そうですね。そこはしっかり裁いていただきたいです」
私はにこりと微笑んだ。
「盗賊国家と思われているよりは、帝国傘下にない小国から花だけ盗んだ小物のこそ泥だと思われていた方がいいでしょう。それで、頭を真っ当な者にすげ替えていただければ私としても溜飲が少しは下がるというものです」
「……其方、ここまで公国を追い込んでおいてまだ怒っていたのか?」
そんなの、当然ではないだろうか?
私は最初から言っていたではないか。公国を許す気はないと。
「盗まれて売られた花、あの土地以外で寿命を迎えてしまった花たちは返ってきませんからね」
「エトワール王国からあの花を売り出す気はないのか?」
「毒を持つ花として広がってしまいましたから売れないと思いますよ?」
「そんなの、手袋をすればいいとか、よく手を洗えばいいとか、いくらでも言いようがあるだろう」
オーロ皇帝曰く、ヴェアトブラウはルシエンテ帝国の貴族たちにかなり人気だったそうだ。
「私の妹もどうにか新しい花が手に入らないかと相談してきた。エトワール王国が最初に流通する商品としてはいいのではないか?」
「それは領主である私の乳母やカルロが決めることです」
「国のすべての領土は王のものだろう? 帝国の傘下に入る前の今からでも売り出せるものがあれば売ればいいのではないか? 帝国の傘下に入る前の今の方が高値で取引されるであろう?」
「我が国の王は領土とはそこで住まう民のものだと考えています。私が尊敬する父王は売れる商品だからと好き勝手はしませんよ。それに、帝国の傘下に入る前に売り出すのは得策ではありません。高値で売れれば売れるほど偽物が出回る可能性が高くなりますし、偽物が出回った際に帝国法が使えないのは面倒です。自分たちで関係者を見つけ出して罰を与えなければなりませんから」
「……きっちり罰を与えようとするあたり、其方は統治者に向いているな」
オーロ皇帝の褒め言葉に私はお礼を述べたが、なぜかオーロ皇帝は呆れたような表情を見せて、また面倒くさそうに手を振って私を退出させた。
その後、オーロ皇帝は薬の研究者や植物研究者からなる調査団を作って公国へと送り出した。
もちろん、騎士団もつけて盗賊国家と呼ばれるようになった噂が事実なのかどうかも調査する。
その結果、自暴自棄になった公国の統治者だった公爵が暴走して村人にエトワール王国に咲くヴェアトブラウを噂通りの毒の花にしようとでもしたのか毒をかけるように命じたのだった。
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