第31話 新しい授業
一瞬、なんて面倒なことを言い出したのかと思ったが、私はすぐに自分の考えを改めた。
オーロ皇帝は別段、私に小国の王子として帝国の姫を接待しろと言っているわけではない。
一緒に学ぶことによって、私とナタリアに接点を持たせようとしているに過ぎないのだ。
それはつまり、私と常に一緒にいるカルロがナタリアと親しくなるためのチャンスだ。
これはむしろカルロにとっていい機会になるだろう。
カルロとナタリアは一緒に学ぶことよって、お互いに親しみを覚え、距離を縮めることができるだろう。
「私の気持ちが変化するかどうかはともかくとして、ナタリア様と一緒に勉強できることは楽しみです」
「ひとまずはナタリアの学友として魔導具をまけてやるとするか」
「まけていただけるのはありがたいのですが、まけていただいても私にはすぐに支払えるだけの金貨はありません」
「一国の王である父親を甘やかすというのもどうかとは思うが、仕方ないので出世払いでかまわん」
「ありがとうございます!」
私は満面の笑顔でお礼を言った。
「しかし、現在、エトワール王に貸し出している分については王に払ってもらうぞ」
「もちろん、それは帝国傘下の国としてまけてくださいますよね?」
「……ちゃっかりしておるな」
「お褒めいただき光栄です」
オーロ皇帝は苦笑しつつ席を立つと、執務のために食堂を出ていった。
「あのように楽しそうな陛下は久しぶりに見ました」
そう言う老執事も楽しそうだ。
6歳の子供をいじめて楽しむのはいかがなものだろうか?
中身は52歳なのでダメージは特にないが。
いつも必要以上のことは話さない老執事の雰囲気が柔らかくなっていたので、この機会に私は気になっていたことを聞いた。
「ノアールとネグロは親子なのですか?」
老執事の名前はノアールで、オーロ皇帝の側に使える執事長の名前がネグロだ。
ネグロはいつも影のようにオーロ皇帝の後ろにおり、オーロ皇帝が何か指図せずとも望まれることを適切に動いている。
それはまるで黒子のようで、見えているのに存在感を消して目立たないのだ。
「はい。よくお分かりになりましたね」
「よく似ていたので」
「ネグロは妻にはよく似ていますが、私とはそれほど似ていないと思っておりました」
「顔ではなく、体型と立ち居振る舞いが似ているのです」
「リヒト様は本当によく見ておられますね」
老執事はどことなく嬉しそうに微笑んだ。
「それでは、お部屋に戻って早速本日の授業から始めましょうか」
老執事の言葉にすでに誰か講師を用意してくれているのだろうかと思い、私は素直に老執事の後をついていく。
カルロと乳母とグレデン卿が私の後に続く。
案内された部屋は調度品が少なく、素朴な雰囲気でこじんまりとしていたが落ち着きのある居心地のいい部屋だった。
「いい部屋ですね」
「勉強部屋として用意させていただきました。お気に召されましたでしょうか?」
「はい。落ち着いた雰囲気で私は好きです」
シックな色合いの美しい机を私は撫でた。
しかし、次の老執事の言葉に私は思わず固まった。
「陛下が子供の頃に勉強部屋として使っていた部屋です。机や本棚など、家具も全て当時のままなのですよ。年月を重ねてますますいい色になってきました」
「そ、そのような貴重な部屋をなぜ私に……」
「あまり重荷に感じることはございません。ナタリア姫様も一緒にお勉強されますから、最高級のお部屋をご用意するのは当然のことです」
「ああ。ナタリア様のためですね!」
それなら納得だ!
これもある意味、外堀から埋めてきたのかと思って驚いた。
「まぁ、リヒト様がナタリア様のことをお気に召して婚約となった際に、外部にその予定で自身が使っていた勉強部屋を与えて教育してきたと大体的に公表するための根回しではありますが」
普段はニコニコと穏やかな好々爺然とした老執事なのに、私が警戒していることを知ってわざと的確に攻撃してくるところが恐ろしい。
「そ、そのようなお部屋を使わせていただくわけにはまいりません」
「根回しではありますが、陛下は第一に両者のお気持ちを優先するお考えではありますのでそれほど重く受け止める必要はございません」
その言葉をどこまで信用していいのだろうか?
私は老執事の勧めで恐る恐る席についた。
エトワール王国での勉強部屋ならば私の席の隣にはカルロの席があるのだが、カルロの席を用意して欲しいとは言えないので、私はカルロを私の後ろに呼んだ。
それは遠回しに老執事にカルロの席も用意して欲しいと伝えたかったわけではなく、参考書などがあった場合に一緒に見える位置だからなのだが、老執事はすぐに察したようだった。
「カルロ様も授業を受けられますか?」
「カルロは私と一緒に勉強したり、遊んだりする存在として両親が従者にしてくれたのです」
「それでは、カルロ様のお席もご用意しましょう。もちろん、参考書などの授業に必要な教材も」
私とカルロは老執事に礼を言った。
「すぐにはご用意できませんが、本日は私の授業で参考書などは必要ありません」
「ノアールの授業ですか?」
「はい。嘘を隠す授業です」
つまり表情を隠すための授業ということだろう。
オーロ皇帝はよぼど私の嘘くさい笑顔が気になったのだろう。
「執事をはじめとした使用人に最も大切なことが何かお分かりになりますか?」
「主人の要望を察することですか?」
「それももちろん大切ですが、正直、おっしゃっていただかなければわからないことは多々あります」
それはそうだろう。
言わずともわかれとか意味のわからないことを言う者もいるが、そんなことが完璧にわかる者はきっとエスパーに違いない。
「我々が一番大切にしていることは主人のどのような些細なことも外部に漏らさないことです。食堂でも陛下が気軽に話をされているのは魔導具のおかげもありますが、そもそも使用人たちを雇う時には出身や思想、思惑など十分に注意しています。さらに、使用人たちを互いに見張らせて外部に陛下のことを漏らすような疑いがある時には首が飛びます」
それは、クビにするという意味だろうか?
それとも物理的に首が飛ぶのだろうか?
私が恐る恐る聞くと、「どちらの可能性もあります」と老執事は穏やかな表情で返した。
「気が緩んで外部に漏らした者は首にしますし、面接をした者のヘマで城に入ってきてしまった害虫は文字通り首を飛ばします。まぁ、漏らした内容によっては前者も物理的に首が飛ぶわけですが」
「穏やかな表情で恐ろしいことを言いますね」
「恐ろしいのは秘密が外部に漏れて、その情報によって国が乱れることの方です」
「なるほど……」
思わず納得してしまった。
確かに、国が乱れ、それにより多くの国民が犠牲になることは避けなければいけないが、簡単に首を物理的に切ると言ってしまうのもやはり恐ろしい。
私もいつか人を斬る時がくるのだろうか……いや、きっと来るのだろう。
ここは前世の世界とは違うし、私は将来は一国の王になる立場だ。
自身で直接手を下さなくても、そのような命令をする必要が出てくる時もあるだろう。
「そのため、私たちは外部に秘密が漏れないようにあらゆる訓練を行いますが、その一つが表情から心情を読み取られないようにする訓練です」
「それでノアールが先生なのですね」
「はい。精一杯努めさせていただきます」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私とカルロはその日から老執事に様々な表情の訓練をさせられた。
それはまるで演技の訓練のようだった。
確かに、自身の感情を隠し、情報を隠すということは演技をするということだからやり方は間違っていないのだろうが、前世では演技などとは無縁だったから少し恥ずかしかった。
途中、何度も、自分は今6歳の子供だから恥ずかしくないし、一国の王子として必要なスキルなのだと言い聞かせる必要があった。
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