聖女辞めたくない!
やなぎ怜
前編
シンシアは聖女である。
けれども今、聖女の任を解かれようとしている。なぜならシンシアより素晴らしい力を持ったジャスミンという名の少女が見つかったからだ。たちまちシンシアはジャスミンのスペア扱い、聖女のお役御免と相成る運命。
横暴とも言える聖女交代劇。巷でシンシアは哀れまれ、また義憤に駆られる人もいた。そしてシンシアもまた己に降りかかった悲劇を嘆き、あがこうとしていた。
『一日一時間お祈りするだけで衣食住が保証される夢の生活を手放したくない~~~!!!』
シンシアは生まれついての怠け者である。
彼女の頭脳は自我が芽生え始めたころからすでに、いかに己が上手いこと怠けるかについて割かれ、家族をも呆れさせた。
シンシアのものぐさぶりたるや家族を嘆かせるだけにとどまらず、彼女につけられた家庭教師はみな医者が匙を投げるかのごく音を上げるか、折れるかして去って行った。
これでは社交界デビューはもちろん、輿入れなぞ夢のまた夢とシンシアの家族は危機感を抱いた。
他方シンシアは、生家に寄生する気満々だった。家を継ぐ予定の弟は、姉のそんな野望を知って泣いた。まだ一〇にも満たない子が、姉の不甲斐なさを目の当たりにして落涙するさまは、家族により危機感を抱かせたが、シンシアのものぐさぶりは一朝一夕でどうにかなるものでもなかった。
シンシアの怠惰ぶりに頭を悩ませる家族に転機が訪れたのは一〇年近く前のことである。
シンシアが聖女に推挙されたのだ。
家族は諸手を挙げてシンシアを教会へと送り出した。当初は抵抗していたシンシアも、己に課される仕事が「一日一時間のお祈り」だけであると知り、手の平を返していそいそと教会へ向かった。頭ごなしに――シンシアからするとそうなのだ――勤勉を説く家族がいる実家にいるよりはマシだと思ったのだ。
泣いて喜ぶ家族に、シンシアは「大げさね」などと言って、にこやかな別れがあった。
それからずっとシンシアは聖女だった。
教会ではだれもがシンシアを下にも置かない厚遇ぶりで、一方シンシアも実家とは違う環境ということもあり、猫を被っていた。
一日一時間のお祈り、物のない部屋に簡素な服と粗食。教会で贅沢は許されない。しかし、シンシアは一度としてそれに文句を言ったことはなかった。いつもシンシアは穏やかで、にこやかな聖女だった。それだけでシンシアの名声を高めるのにはじゅうぶんだった。
シンシアは怠け者なので、物欲は薄かった。食欲にも頓着がなかった。シンシアにとって、娘盛りのおしゃれはめんどくさいものの筆頭だった。
ただ自室でごろごろしている時間こそ至高――。
そう思って現在の生活に満足していたので、周囲の人間にも優しくできた。花やお菓子といったちょっとした贅沢品も、シンシアの生活には特に必要なかったので、みな下げ渡していた。そのさまを見た者は、シンシアは滅私の高潔な聖女だと言った。
シンシアが汚職や賄賂を突っぱね、それが白日のもとに晒されると、シンシアの聖女としての名声は頂点に達した。
単にシンシアが渡された金品を、その物欲のなさから持て余して、ものぐさゆえによく考えもせず外部に相談したから、一連の汚職が明るみに出たということは、だれも認識しなかった。
シンシアは「稀代の聖女」と呼ばれた。それでもシンシアはなにひとつ変わらなかった。変わること……それはシンシアにとってはめんどうごとと言ってしまっても過言ではないからだ。
シンシアの望みは、己の命尽きるときまでぐうたら生活を送ること。シンシアは、変化などなにひとつ求めてはいなかった。
しかしそう都合よくことが運ばないのが人生というものである。
ジャスミン――平民の中から見いだされた、聖女の資格を持つ少女。彼女は、シンシアをも上回る能力を持つと教会によって認められ、「次代の聖女」と謳われ始めている。
ジャスミンの存在は、シンシアにはとうてい受け入れられないものだ。教会が立てる聖女はひとりだけと決まっていた。かつて複数人の聖女が立てられた時代には、血で血を洗う苛烈な派閥争いがあり、一時教会の影響力が衰退したことへの反省だった。
だがシンシアにとって、そのような凄惨な歴史的経緯はどうでもよい。なぜ聖女の席はひとつしかないのかと、シンシアは内心で歯噛みした。
シンシアは生まれついての怠け者である。
彼女の頭脳は自我が芽生え始めたころからすでに、いかに己が上手いこと怠けるかについて割かれ、家族をも呆れさせた。
そして今、彼女の頭脳はフル回転している。
そう、どうすればこのまま聖女でいられるか――ぐうたら生活を続けられるかについて、その脳みそを珍しく使っているのであった。
そうやって導き出した結論は――
「ジャスミン……あんたが悪いのよっ!」
次代の聖女と謳われるジャスミンを追い落とす、ということであった。
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