来てしまったら、戻らない。

@Suzu_suzume

きっとここは

大きな木陰の下で1人、風に身を任せ目を閉じる。

静かに吹く風と木の葉が揺れる音。

それ以外は何も聞こえない。

何も聞かなくて済む。






幼い頃の記憶のほとんどは両親が喧嘩をしている様子だった。


父は昔から短気で、母とは相性が良くないのかすぐ喧嘩をして手をあげていた。


母も父に殴られる度、金切り声をあげていた。


仲が良かった記憶など一瞬も覚えていない。



けれど、父と母はお互いの実家からのしがらみがある。

2人とも名家の出だ。

父の家は財政難に困らされ

母の家は跡取りに困らされていた。

その結果2人はお見合いで結婚した。

…決して離婚せず、両家を発展させろと祖父母から言われ続けたまま。

なので別れることも出来ず、別居すら許されない。


実家に縛りつけられたままの両親は結局、離れることも出来ずに毎日喧嘩していた。



私が成長すれば、2人の怒りは私に向かった。

どちらかのとばっちりを受け、殴られたり、蹴られたり

ものを叩きつけられたり、様々だった。


それでも呪いのように言われ続けた。


「お前は成績優秀で、家庭円満な子供を演じ

決して周囲の人間に家の内情を探られるな。」

と。


プライドだけ高い家だから決して心を許すななと言われた。



もう、懲り懲りだ。

寒がりだからと黒い長袖ばかり着ていたり

アトピーが酷いとプールを休み

幸せですと三者面談で取り繕う。


嘘に塗り固められた毎日。


毎日机に向かっていない時間は叩かれて泣いているのに。


なんのために、なんで生まれてきたのか分からない。

将来の家のことを…などと2人とも言うが

あんなふたりの後に将来なんてあるのか、

こんな不幸の連鎖を私も続けるのか。

そう思ったら涙が止まらなかった。






両親は私が家に居なければいないで特に何も言わない。

だから、こうやって1人でふらっとでかけるのが癖になっていた。



始めは近所の公園だった。

けれど、どんどん知り合いに心配されるようになり


煩わしくて、遠くへ、遠くへと足を伸ばし

県境付近の山岳地帯が最近のお気に入りだ。


この辺は年中一定の気温に近い。


少し肌寒いぐらいで、夏も冬も居心地が良い。

あまり広い道では無いのも相まって人がほとんど居ない、


私にとってはただ1つ、1人になれる場所だった。



最近は特に山にこもる事も増えてきた。

冬が近づき、進路のことで母がピリつく時期だ。

来年度の仕事のことで父もかなりイラついている。

しわ寄せが酷くなってきたな、と他人事のように考えてしまう。








…今日はもう帰ろう。


少し暗くなってきた気がする。

タイミングを見誤れば、バイクで下るには危険な山道だったと思う。

ただでさえ方向感覚が疎いほうなのに来た時と景色が変わってしまったらたまったもんじゃない。



本当に、帰れなくなる。




立ち上がり、バイクを停めた山の麓まで降りようとした。

が、立ち上がった途端に後ろから足音が聞こえてきた。


落ち葉をふむ、ガサッと言う足音が

いきなり。


「…?そこに誰かいるんですか」

そう、話しかけられた。

少し高めの少年のような声だ。


思わず振り返り、後ずさる。


初めて、ここで人に会ったから驚いた。


と言っても今日は少し森の深いところまで来てるので、ここに来たのは初めてと言っても過言ではなかったのだけれど。



「……すみません。お邪魔でしたらもう帰るので…」

そう言ってそくささと帰る準備をすると


「いえ、邪魔では無いですが…

ここに人がいるなんて久しぶりで。

どうやってきたか聞いても?」

と、穏やかな声で続けた。


そうか。もしかしたらここは私有地かもしれないし。

悪気がなかったことは説明しておこう。



「すみません。1人でバイクで山の麓からふらっと、散歩してここまで…

地図もあまりみていませんし、何となくで来てしまって。

私有地でしたらすみません。」


軽く頭を下げながら正直に説明する。

そうすると少年は驚いたような顔をして言葉を続けた。




「君、ここがどんなところか分かってきていないの?

なら、すぐ帰った方がいい。


日が完全に沈んだら手遅れだ。」


そういって、早く!と手を引かれた。

いきなりバシッと掴まれた手首がズキリ痛む。

痛みで顔を歪めるほど。


だが、そんなことを気にする間もなく

少年は走り出す。


思わずつられて走り出すが、

急なことで足がもつれてしまった。


「ちょ、いきなりなんなんですか!」

焦って呼びかけるこちらを振り返ろうともしない。

苛立って手を払おうとしたら

「いいから!」

と、握る力を強めてしまった。


「いや、1人で帰れますし…というかただの山中ですよね?

まだ日も落ちきっていないし、帰り道もわかってるので…」


「ちがう!!ここは…!



ここは、黄泉の国の入口の森だ!




進行方向の反対側の岩陰には黄泉の国…

死者の国の入口がある!


夜になれば辺りは死者に囲まれ、君も取り込まれてしまうんだ!


どうやってきたから知らないが、死にたくないなら走れ!!」


焦ったように話す少年。

急に訳の分からないことを話し、焦っている彼の手を今まででいちばん強い力で薙ぎ払った。


衝撃で躓く少年。

私は、痛む手首を抑えながら酷く震えた声で答えた。



「…なら、今夜はここにいます。」


そう言って彼の方を見ると、驚いた顔をして立ち上がり、肩を掴まれた。


「何も聞いていなかったのか!!!

ここにいれば、死んでしまうと

「聞いていました!!!

だから、

だからここに残ると言っているのです。」



今度は、少し震えが収まった声で言えた。






…気づいていたのかもしれない。

もしくは誘われていたのかもしれない。







この山中のひんやりした空気はいつも少しだけじっとり、湿っていた。


人気は全くないのに、時折視線を感じていたし


時々、帰り道が曖昧になってしまう時があったのも

すべて、こういう事だったのだろう。


…実は今日ここに来た詳しい経緯を覚えていないのだ。


私の記憶では

今朝、起きた時の記憶もない。


今日は、気が付けばいつものバイクで

いつもの山が下に見えるような遠い場所にいた。


意識が曖昧なまま飛び出して来たのだと思っていたけれど、どうやらそうじゃないらしい。


今の説明を聞くと

全てに納得がいく。



「…私はきっとここに居るべき。


なにも、間違ってないよ。

ほんとにここが黄泉の国の入口ならの話だけど。」


少し口角を上げて話す。



久しぶりに自然と笑えた気がした。





…気づきたくなかった。

けれど、本当は気づいていたんだと思う。



今日は一段と冷えるから、長袖ジャンパーにバイク用の手袋をつけていた。


それは、防寒のためだと言い聞かせた。



…長袖に手袋をしたら自分の素肌なんて全く見えない。

本当は、隠したかっただけなのだ。






そっと、手袋を外す。

少し指先が透けていた。





少年は少し驚いたような顔をしながらも

何も言わずに透けた手を包んでくれた。


…もう、触ることが出来ない手を。



いつも、殴られた痣を隠すこの袖は

自分の本当の姿すら隠していた。



「…やっと、終われるんだ。

嬉しい。安心したよ…



少しだけ、こわいかな」



目を閉じた時に湧いてくる思い出。

綺麗なものなんて、ないなぁって思いながら


来世、生まれてくるときは

きっと、きっと幸せになれますように。


心の隅でそっと願った。

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