第21話

 仁藤恵美子に声をかけられたのは、それから三日後の正午だった。ぶらぶらとあてもなく二代目の居場所を探している間に私はいつの間にか彼女の通う大学の近くまで足を運んでいたようだ。


「貫徹くん」


 彼女が振り返る。あまりに俊敏な反応で私は思わずたじろいでしまう。


「貫徹くんごめんね急に声をかけて」


 私の顔を見た恵美子は興奮したように早口で声を発し、安堵したように笑顔を浮かべた。


「実は、私ねあのあと企業から連絡があって再試験を受けられるようになったの」


「えっ、どうして?」


「どうしてって、貫徹くんが送ってくれたメールのおかげよ。人事の人が今どき珍しい学生だって褒めてくれて、選考を見直してくれたの」


「そ、そうかい。おめでとう」


 私は恵美子のテンションについて行けずに苦笑いした。それでも彼女はお構いなく早口でその時の感動を口走っている。


「それでもう一回お礼がしたくて」


 頷くと恵美子は突然人目をきにするようにあたりを窺った。私が気にかけると「実はストーカーにあっているかもしれない」そう憶測を述べた。


「ストーカー? どうして?」


「わかんないけど、郵便受けをいたずらされたり、モノがなくなっていたり、それになんだかつけまとわれてる気がするの」


「それは気味が悪い、その輩に心当たりはないのか?」


「あるわけないじゃない、とにかくどこかで見られているかもしれないから場所をかえましょ、ちなみにお昼はまだ? 少し遠いけど美味しいイタリアンのお店を知ってるの」


「まだだけが……」


「じゃあ決まりね」


 というわけで私たちは即座に最寄駅から地下鉄千代田線を乗り継いで目的地まで移動した。電車に揺られている間に彼女が不安と興奮で更に気分が高揚することを恐れたが、さいわいそういったことはなかった。見知らぬレストランに入ると恵美子はむしろ落ち着いた様子になり「ここまでくれば一安心」と全身を脱力させた。


「それでそのストーカーに本当に心当りはないのか」


 私は恵美子に話しを促した。人間生きているうちは悪いことをあまり考えない方がいいが目先の問題を解決することが優先だ。それに私はその輩に興味があるのだ。


「実はひとりだけいる」


「その輩は?」


「うん、でも顔とかは分からない、ただインスタのDMで『面接に行かない方がいい』って言ってきて、怖くない? そいつ私が再試験受けること知ってたのよ」


「気味悪さを通り越してホラーだな」


「そうでしょ、もう鳥肌立っちゃって、しかもこの前お気に入りの手提げバックも盗まれてさもう人間不信になりそう」


 そう言ってスマートフォンを開くとお気に入りだった手提げバックを見せてくれた。それはクマのキャラクターがプリントされたいわゆるグッズだった。


「女性の困った顔をみると性的に興奮するタイプだな、そいつは」


 インスタやらDMやらは分からないが私は言い切った。罪を犯して衆合地獄に墜ちてくる亡者にそう言った類の輩が実に多い。いわゆるマゾヒズムと言った性的快感を得ようと若い女性に近づく嗜好がある変態だ。


「気持ち悪すぎ、舌切って死ねばいいのに」


 恵美子は乱暴な言葉でその変態を罵ると勢い任せにドリンクをがぶ飲みした。


「そいつは恵美子を気に入ったんじゃないか」


「私を?」


 恵美子はそれだけは言われたくなかったようで怒りをさらけ出した。


「じっさい企業も恵美子を気に入ったから連絡がきたんだろ」


「冗談じゃない、第一そんなおかしな人に気に入られてもちっとも嬉しくない」


「そうか」


 私は人間ではない。だからこそその変質者が人間であると決めつけることができなかった。ひとつだけ言えるのは相手の嫌がることを喜ぶような輩と接点があったとしてその先に明るい未来があるなんて考えられない。


「なんかまた天気が不安定になってきた」


 私はしばらく黙っていたが、恵美子に言われ窓の外を見上げると確かに重ぐるしい曇天だ。ひと雨きそうな雰囲気にしかめ面をしながら歩く人間たちが目に入る。


「空が暗いと気分も滅入るな」


 ついつぶやいた。地獄には天気やら気候やらそう言った概念はあまりないのだが、私は曇天が嫌いだった。


「低気圧のせいね」


「低気圧?」


「そう日照量の減少でうつになることもあるの」


「そうなのか」


「らしいよ、私だって天気が悪いと、気は落ち込むし、面接も上手くいかなかったし、貫徹くんと会うまでこのまま死んでしまいたいって本気で思っていたもの」


 もしかしたら恵美子は私をまるで救いのヒーローのように思っているのかもしれない。つまらない日常から理想的な世界に連れ出してくれるのは目の前にいるこの男に違いないと期待しているようにも見えた。


「でも一週間後の面接は頑張らないと、貫徹くんと神様がくれたせっかくのチャンスだもんね。もしかしたら貫徹くんが神様かも」


 暫く経ってから恵美子の明るい声が消えた。私は笑みを浮かべて頑張れとエールを送る。残念ながら私は神様ではない、まして神という存在は私が一番嫌う存在だ。神のような特別な力で人々を導くことは出来ないが、少しでも役に立てたら嬉しい。どうやら私はどうしようもなくお人好しらしい。

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